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中国朝鮮族と在日朝鮮人の民族教育 2

2007年04月08日 | 民族教育
 歴史的に見れば、中国朝鮮族の民族教育は、中華人民共和国が建国するまえの中国朝鮮人教育と建国したあとの中国朝鮮族教育に分けられる。
 近代的な中国朝鮮人教育は、瑞甸書塾の開設(1906年、延辺朝鮮族自治州の龍井)にはじまる。日韓合併後、多くの朝鮮人が祖国を離れて中国の東北部に移住するようになった。祖国が日本に合併され、亡国の民となった朝鮮人たちは、朝鮮の独立を目指して多くの朝鮮人学校を設立して朝鮮人子弟に自民族としての教育を行い、中国朝鮮人教育の黄金期を築き上げた。これらの朝鮮人学校は、朝鮮語、朝鮮地理、朝鮮歴史などの授業を積極的に行い、子どもたちの民族的意識を育成することに努めた。
 1931年9月18日、満州事変が起こり、翌年3月1日に「満州国」が成立した。日本は「満州国」政府を操縦し、中国東北地区に対する植民地支配を実行した。そのなかで、中国朝鮮人教育も厳しく抑圧され、大きく後退した。
 1945年、第2次世界大戦が終わり、中国の東北地区が解放された。中国にいた朝鮮人たちは、「民族自主、民族自治」政策を掲げてきた共産党とともに国民党の軍隊と戦い、国共内戦の勝利を収めた。その後、100万以上の朝鮮人が新しく建国された中華人民共和国にとどまることを選び、中国の1つの少数民族――朝鮮族となった。したがって、中国朝鮮人教育も中国朝鮮族教育へと転換した。
 その後、中華人民共和国が建国してから反右派闘争がはじまるまでの時期における中国朝鮮族教育は中国朝鮮族教育の第1の黄金期であった。長い間日本の植民地支配政策を受け、民族の言語、文化さえ否定された朝鮮族は、中国政府の「各少数民族はすべてその言語、文字を発展させ、その風俗習慣を保持あるいは改革する自由及び信教の自由を有する。人民政府は少数民族大衆を援助して、その政治、経済、文化、教育の建設事業を発展させねばならない」という民族政策のもとで、子どもたちに朝鮮語による教育を積極的に行い、東北各地にたくさんの朝鮮族学校を設立し、小学校から大学までの完全な教育システムを作り上げた。
 しかし、後の反右派闘争と文化大革命の時期において、朝鮮族学校を漢族学校に併合させて民族連合学校を作ることが多く見られ、朝鮮語や朝鮮語による教育が厳しく制限され、多くの朝鮮族教師が追放された。朝鮮族教育は大きな被害を受けた。
 1978年以降、文化大革命の終結によって、朝鮮族教育が全面的復活した。単独な朝鮮族学校が復興され、小中学校では漢語以外の授業がすべて朝鮮語によって行われるようになり、朝鮮族教育は第2の黄金期に入った。しかし1990年代以後、朝鮮族学校に通う子どもがだんだんと減少し、朝鮮族教育は衰退しはじめた。
 以上のように、中国における朝鮮民族の民族教育は、歴史のうえで三つの黄金期があったが、それぞれ祖国が日本の植民地とされた時期と厳しい抑圧から解放されたあとの時期であった。外部からの抑圧に反発して民族意識が高揚し、それが民族教育を発展させる重要な要因であったといえる。

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