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中国朝鮮族と在日朝鮮人の民族教育 3

2007年04月09日 | 民族教育
 在日朝鮮人の民族教育は、1945年から始まる。
 第二次世界大戦の終結により、朝鮮は日本の植民地支配から解放された。日本に住んでいた朝鮮人たちは帰国に備えて、朝鮮語のわからない子どもたちのために多くの朝鮮語講習所を作ったが、それが在日朝鮮人教育の最初となる。
 その後、約60万の朝鮮人が日本に在留せざるをえなくなった。彼らは「在日朝鮮人連盟(略称朝連)」の指導のもとで、日本各地に多くの朝鮮人学校を作り、かつて同化教育を受けて民族性が薄れていた子どもたちに朝鮮語や朝鮮地理、朝鮮歴史などの科目を教え、民族の誇りを持たせるために努力していた。
 1948年4月現在、朝連傘下には566ヶ所の朝鮮人学校があり、53,000人の朝鮮人児童・生徒が在籍していた。同じ時期、民団傘下にも小学校52ヶ所(生徒数6,297人)、中学校2ヶ所(生徒数242人)、訓練所2ヶ所(学生数289人)あった。これは、在日朝鮮人教育の歴史のうえで学校数と生徒数のもっとも多い時期の1つであり、在日朝鮮人教育の第1の黄金期であった。
 しかし、1948年からGHQと日本当局は朝鮮人学校を厳しく規制しはじめ、暴力的手段による弾圧をはじめた。よって、多くの朝鮮人学校が閉鎖され、在日朝鮮人教育は大きく後退した。  
 「サンフランシスコ条約」の発効(1952年4月)に伴って、日本当局は在日朝鮮人教育に対する政策を変え、暴力的弾圧から日本の義務教育の対象から排除する無視政策へと転換した。しかしそれは、在日朝鮮人に民族教育を発展する空間を与えることにもなった。
  そこで、在日朝鮮人は1955年に結成された朝鮮総聯の指導のもとで、北朝鮮からの資金的援助を受けながら、朝鮮大学校をはじめ、多くの朝鮮学校を作り、小学校から大学までの完全な教育システムを作り上げ、在日朝鮮人教育の第2の黄金期を築いた。しかし1970年以降、朝鮮人学校に就学する朝鮮人児童・生徒はますます減少し、在日朝鮮人教育は衰退期に入ったのである。
 以上のように、在日朝鮮人教育は歴史の上で二つの黄金期があった。つまり、植民地支配から解放された時期とGHQと日本当局による厳しい弾圧が緩やかになってきた時期であり、長い間厳しい抑圧を受けたことによって、在日朝鮮人の民族意識が高揚していた時期であった。この意味で、中国の朝鮮族教育の状況と同じく、外からの抑圧によって高揚した民族意識が民族教育の発展する重要な要因であったといえる。
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