三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「薄れゆく歴史 海南省の最後の「慰安婦」5人」

2024年05月29日 | 日本軍隊性奴隷
 「中国網日本語版(チャイナネット)」 2017年8月15日
■薄れゆく歴史 海南省の最後の「慰安婦」5人
◆1軒の瓦葺きの家で、日本政府を提訴した中国大陸最後の「慰安婦」生存者・黄有良さんは人生の最期を迎えた。屈辱を受け、世の激しい変化を経験した黄さんは、8月12日に海南省陵水リー族自治県英州鎮乙堆村の自宅で亡くなった。享年90歳。中国「慰安婦」問題研究センターの統計によると、現在登録されている中国大陸の「慰安婦」生存者はわずか14人である。うち4人が海南省に暮らしている。日本による中国侵略戦争中、20万人の中国人女性が日本軍の性奴隷となった。
 黄有良さんは謝罪と正義という長年の望みを叶えることができなかった。
 1軒の瓦葺きの家で、日本政府を提訴した中国大陸最後の「慰安婦」生存者・黄有良さんは人生の最期を迎えた。屈辱を受け、世の激しい変化を経験した黄さんは、8月12日に海南省陵水リー族自治県英州鎮乙堆村の自宅で亡くなった。享年90歳。

◆黄有良さんの家から50キロほど離れた場所にもう1人の被害者がいる。本号鎮宿風村に住む92歳の卓天妹さんは状況があまり良くなく、病気で寝たきりである。
 12日前の夕方、カメラを持った記者が訪れると卓天妹さんは起き上がって何か話そうとしたが、喉に痰が絡み、リー族の言葉をわずかに話した後に力がなくなり再びベッドに横たわった。息子の嫁の陳玉瓊さんによると、数日前は喘息がひどかったという。
 当時、卓天妹さんも悲惨な体験をした。4年間にわたり、卓天妹さんは「慰安婦」にさせられただけでなく、日本軍のために水汲み、洗濯、炊事も行った。暴行、暴力、労働、飢餓の繰り返しで、卓天妹さんの体はボロボロになった。日本が敗戦してようやく家に帰ることができたという。その時、両親はすでに亡くなっていた。
 【写真】92歳の卓天妹さん 

◆91歳の李美金さんと92歳の王志鳳さんは澄邁県中興鎮土龍村で暮らしている。メディアの取材と「慰安婦」に関する調査により、彼女たちが「慰安婦」だったことが近年になり村民に知れ渡った。
 1940年、王志鳳さんは澄邁県山口村の自宅で日本軍に連行され、付近の大雲墟拠点に拘禁された。1年後、李美金さんが澄邁県茅圓村で捕まり、臨高県にある日本軍の加来空港に拘禁された。
 日本軍が降伏して長時間経っても2人は当時の経験を語ることなく結婚し、土龍村に嫁いだ。
 秘密を守るため、王志鳳さんは4回引越しをし、夫も王志鳳さんの過去の苦しみを知らないままこの世を去った。王志鳳さんは今でも悪い夢を見、ここ数年は睡眠の質も悪くなっている。
 万寧市大茂鎮進坑村で暮らす91歳の陳連村さんは割と健康である。家事はできるが、1人で外出しなくなり、暗くなる前に自分の部屋に戻る。息子は、母親がテレビに映る日本人を怖がるため、テレビを陳連村さんの寝室から別の部屋に移した。
当時、最初に海南省で「慰安婦」調査を実施した符和積さんはもう68歳になっている。符さんは、日本に行き提訴した「慰安婦」生存者の陳亜扁さんが今年5月に亡くなったことを知らない。符さんは「まだ健在な方もいるが、年齢的に記憶が曖昧になっている。これは忘れてはいけない記憶である」と話した。
 【写真】91歳の李美金さん

◆【写真】92歳の王志鳳さん
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