三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「無罪判決後、涙を流す「スパイの濡れ衣」被害者の娘」

2024年05月28日 | 韓国で
「中央日報日本語版」 2024.05.24 11:52
■【写真】無罪判決後、涙を流す「スパイの濡れ衣」被害者の娘

【写真】「無罪判決後、涙を流すスパイ濡れ衣」の被害者、故チェ・チャンイルさんの娘、チェ・ジジャ(ナカガワ・トモコ)さん。 

 朴正煕(パク・チョンヒ)政権当時、在日韓国人スパイ捏造事件の被害者であるチェ・チャンイルさんの娘、チェ・ジジャさんが23日午後、ソウル瑞草区(ソチョグ)瑞草洞のソウル高等裁判所で開かれた判決公判で無罪を言い渡された後、記者会見で涙を流している。 


「中央日報日本語版」 2024.05.24 11:28
■「スパイの濡れ衣」在日韓国人に50年ぶり無罪宣告…娘は父の代わりに涙=韓国
 朴正煕(パク・チョンヒ)政権当時、スパイの濡れ衣を着せられ、獄中生活を強いられた在日韓国人2世に50年ぶりに無罪判決が下された。
 23日、法曹界によると、ソウル高裁刑事第13部(ペク・ガンジン部長判事、キム・ソンヒ部長判事、イ・インス部長判事)は、国家保安法・反共法違反の疑いで1、2審で有罪を言い渡された故チェ・チャンイルさんに再審で無罪を言い渡した。
 裁判所は有罪の根拠となったチェさんの捜査機関での供述と法廷での供述ともに「不法拘禁」によるものだったと判断し、証拠として認めなかった。
 裁判所は「公訴事実の中でチェさんが北朝鮮の指令を受けるために脱出したという点は証拠が足りない」とし「国家機密の漏洩に対してはその対象になった情報が国家機密だと認めるには不十分だ」と説明した。
 裁判所は「チェさんが国家暴力により犠牲になった事件と評価される」とし、「スパイとして起訴され、刑が確定する過程で重大な人権侵害があった」と認めた。
 同時に「基本権保障の最後の砦になるべき司法府がその任務を疎かにした」として「本来の役割を果たせなかった大韓民国司法府の一員として深い謝罪の言葉を申し上げる」と述べた。同日の判決後、故チェ・チャンイルさんの娘チェ・ジジャさんは記者会見を開き、涙を流した。
 在日韓国人2世であるチェさんは1973年に韓国に入国し、陸軍保安司令部にスパイとして名指されて連行された。
 過酷な行為の末にチェ被告は「北朝鮮から指令を受けた」などと供述し、1974年に裁判所は懲役15年を言い渡した。光復節特使として釈放されるまで、チェさんは6年間獄中生活を強いられた。1998年、脳腫瘍で死亡した。
 チェさん死亡後、事件を知ったチェさんの娘は2020年に裁判所に再審を請求し、ソウル高裁は昨年再審を決めた。


「The Hankyoreh」 2024-05-24 06:56
■50年間「スパイの濡れ衣」に裁判所が謝罪…娘は父親のため法廷に立った=韓国
 検察、50年前に法廷陳述を証拠に懲役7年を求刑 
 裁判所、「証拠能力は認められない」として無罪言い渡す

【写真】在日韓国人スパイ捏造事件の被害者崔昌一さんの娘、智子さんが無罪判決後に開かれた記者会見で涙ぐんでいる=チャン・ヒョヌン記者//ハンギョレ新聞社

 「彼は約50年前、祖国に来て夢を広げようとした在日コリアンの青年でした。彼がスパイとして起訴され、刑が確定する過程で重大な人権侵害がありました。基本権を保障する最後の砦となるべき司法府は、その任務を疎かにしました。本来の役割を果たせなかった大韓民国司法部の一員として、深くお詫び申し上げます。宣告します。被告人は無罪」。
 23日午後、故崔昌一(チェ・チャンイル)さんの再審事件の宣告期日が開かれたソウル高等裁判所312号。裁判所の判決が終わると、傍聴席からは拍手が沸き起こった。生涯スパイの濡れ衣を着せられて生きてきた在日コリアンの故崔昌一さんが、50年ぶりに無実の罪を晴らした瞬間だ。検察は崔さんがおよそ50年前に法廷で行った陳述を証拠に懲役7年を求刑したが、裁判所は「証拠能力を認めることはできない」として、無罪を言い渡すとともに、崔さんが受けた国家暴力について謝罪した。
 ソウル高等裁判所刑事13部(ペク・カンジン裁判長)は同日、国家保安法、反共法違反の疑いが持たれている崔さんの再審で、49年前の判決を覆して無罪を言い渡した。崔さんは1941年、日本で在日コリアン2世として生まれ、東京大学を卒業した後、韓国に渡り、ソウル大学で講師として働いていた。しかし、国家は崔さんがスパイ活動をするために韓国に入国したとして不法拘禁し、スパイ活動の供述を引き出した。1974年、裁判所はチェさんに懲役15年を言い渡し、崔さんは光復節特赦で仮釈放されるまで6年間にわたり収監された。その後、日本に帰った崔さんは1990年代後半、病気でこの世を去った。
 同日、法廷には再審を申請した崔さんの娘、中川智子(韓国名崔智子)さんが立った。2017年になって偶然父親の過去を知った後、娘の智子(チェ・ジジャ)さんは2020年1月、父親の名誉回復のために再審を請求した。昨年11月になって再審請求が認容されたが、検察は最後まで崔さんの「有罪」を主張した。崔さんが捜査機関に不法監禁されて行った自白が本人の意思ではなかったとしても、法廷に出て行った自白は証拠として認めなければならないとして、懲役7年を求刑した。
 しかし、裁判所は検察の主張を受け入れなかった。裁判所は「法廷での陳述も捜査機関での不法拘禁により任意性なしに行われた陳述がそのまま続いたもので、そのような事情が解消されたという点に対する検事の証明がないと判断される」とし、「被告人のすべての公訴事実について証拠が不足している」とみた。特に裁判所は無罪判決の主文を読む前に「この事件は南北分断がもたらした理念対立の中で、一人の知識人であり誠実な大韓民国の国民、そして家長だった崔昌一さんが国家暴力によって犠牲になった事件」だとしたうえで、「今日の判決が故崔昌一先生と家族に少しでも慰めと癒しの意味を持つことを願う」と崔昌一さんと家族に謝罪した。

【写真】生前の崔昌一さん(左)が娘と一緒に撮った写真=崔智子さん提供//ハンギョレ新聞社

 智子さんの願い通り、父親は無罪を言い渡されたが、家族の傷まで癒えるかどうかは不透明だ。智子さんの母親と兄は「韓国政府に殺されるかもしれない」とし、智子さんの再審請求に反対してきた。智子さんはハンギョレとのインタビューで「父親はソウル大学の講師になったばかりの時に逮捕された。そのまま仕事を続けていたら、立派な研究者になって韓国で活躍したかもしれないのに、拘禁されたことでその夢が壊れてしまった」とし、「一生父親が友人に会うことも見たことがなく、母親と兄は日本に引っ越してからも『アカの家族』と呼ばれ差別を受けた」と語った。
 智子さんにとっても韓国は依然として「何の罪もない民間人を政治に利用した恐ろしく酷い国」だ。日本で働く平凡な高校教師である智子さんが韓国政府に再審を請求して結果を待つ4年間、何度も諦めるべきかを悩んだという。崔昌一さんのように在日コリアンに対するスパイ捏造事件の被害を受けたが、まだ容疑を晴らしていない人も多い。崔さんを代理したチェ・ジョンギュ弁護士(法務法人ウォンゴク)は「強要による捜査機関での供述だけでなく、これによって影響を受けたはずの法廷供述の証拠能力も否定したという点で意味のある判決」だとし、「国家暴力被害を受けた他の在日コリアンスパイ捏造事件をはじめとする人権侵害事件も、早く解決されなければならない」と語った。
チャン・ヒョヌン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-05-23 20:52


「聯合ニュース」 2024.05.23 17:20
■「北のスパイ」として服役の在日男性 50年ぶり無罪判決=韓国高裁
【ソウル聯合ニュース】韓国の朴正熙(パク・チョンヒ)政権時代にスパイ活動の罪を着せられた在日韓国人に、50年ぶりに無罪判決が言い渡された。ソウル高裁は23日、国家保安法・反共法違反の罪で一審・二審で有罪判決を受けた故崔昌一(チェ・チャンイル)さんに対し、再審で無罪を言い渡した。
 裁判所は、有罪の根拠となった崔さんの捜査機関と法廷での供述をいずれも不法拘束によるものと判断し、証拠として認めなかった。
 また、公訴事実の中で崔さんが北朝鮮の指令を受けるために韓国入りしたという点について証拠が不足しているとしたほか、国家機密を漏えいした罪についても対象となった情報を国家機密と認めるには足りないと説明した。
 裁判官は、崔さんが国家暴力の犠牲になった事件であり、重大な人権侵害があったと認めた上で、「本来の役割を果たせなかった韓国司法府の一員として深く謝罪する」と述べた。 
 在日韓国人2世の崔さんは1973年に韓国を訪れたが、陸軍保安司令部にスパイの疑いをかけられて連行され、拷問の末に「北から指令を受けた」などと供述。裁判所は74年に懲役15年を言い渡し、崔さんは特別赦免(恩赦)を受けて釈放されるまで6年間獄中生活を送った。
 崔さんの死後に事件を知った遺族が20年に裁判所に再審請求を行い、ソウル高裁は昨年再審を認めた。 


「中央日報日本語版」2022.08.24 11:40
■韓国裁判所、「拷問でスパイの濡れ衣」在日韓国人遺族に22億ウォンの刑事補償判決
 故国を訪問中にスパイの疑いを受けて獄中生活を送った後、40年後の再審で無罪を宣告された在日韓国人事業家の故ソン・ユヒョン氏(1929~2014)の遺族が22億ウォン(約2億2500万円)余りの刑事補償金を受ける。
 24日、法曹界によると、ソウル高裁刑事7部(イ・ギュホン、チョ・グァングク、イ・ジヨン部長判事〕は、政府がソン氏の遺族に拘禁および費用に対する補償として22億7300万ウォン余りを支給するよう決定した。
 油類関連部品を韓国に普及する販売会社を設立・運営していたソン氏は1981年4月25日午前10時頃、国家安全企画部(安企部、現・国家情報院)の捜査官らによって法に則った令状もなく連行された。
 逮捕後、外部との連絡が遮断されたまま違法に拘禁されたソン氏は46日間、安企部の捜査官に拷問され、容疑を認める供述書を書いた。ソン氏は同年6月9日、「日本を拠点とした迂回浸透スパイ」とされ、拘束された。

大阪在日朝鮮人総連合会(朝鮮総連)商工会幹部を務め、1964年に日本に秘密裏に派遣された北朝鮮の工作員に誘い込まれ、スパイ行為を行ったという疑いだ。
 ソン氏は裁判で「安企部の拷問に勝てず、虚偽の陳述をした」とし、潔白を主張したが、1981年11月に裁判所は死刑と没収を宣告し、最高裁まで行った末、刑が確定した。
 その後、懲役刑に減刑されたソン氏は1998年3月に仮釈放されて日本に帰った後、2014年に他界した。ソン氏の死後、遺族が再審を請求した。
 ソウル高裁刑事12-1部〔チェ・ボンヒ、チン・ヒョンミン、キム・ヒョンジン部長判事(当時)〕は昨年10月、ソン氏が安企部に違法に逮捕・拘禁された状態で過酷な行為と懐柔により虚偽の陳述をしたと認め、ソン容疑者の無罪を宣告した。
 検察は上告したが、最高裁も「法理と記録に鑑み、原審の判断に証拠能力に関する法理を誤解した誤りはない」とし、今年1月に無罪を確定した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする