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三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「広東裁判」・「香港裁判」 20

2012年02月21日 | 海南島史研究

 18世紀後半以後に限っても、イギリス、オランダ、フランス、日本、アメリカ合州国、ベルギー、ドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガル、ロシア…は、アジア太平洋、アフリカ、アラブ……の各地で侵略犯罪をくりかえしていました。侵略はしばしば戦争という手段でおこなわれました。戦争犯罪は侵略犯罪の軍事的形態でした。
 戦犯裁判は、主として戦争犯罪にかかわる裁判であって、侵略犯罪のすべてにかかわる裁判ではありません。
 これまで、侵略犯罪総体にかかわる裁判はおこなわれたことはありません。
 1945年8月14日の敗戦後、国民国家日本は、台湾、朝鮮……を植民地支配できなくなりましたが、それまでの侵略犯罪にたいする責任を全面的にとろうとしませんでした。
 その後、現在にいたるまで、日本国家は、他地域・他国侵略の歴史的責任を積極的にとろうとせず、他地域・他国侵略犯罪の犯罪者、他地域・他国侵略戦争犯罪者を特定しようとしてきませんでした。
 中国では「漢奸」が、韓国では「親日派」が、日本の侵略に積極的に協力したとして糾弾されてきましたが、日本では他地域・他国侵略を主導した日本人が日本人によって組織的に持続的に糾弾されることはほとんどありませんでした。
 日本敗戦直後、1945年8月17日に大日本帝国の首相兼陸軍大臣となった東久邇稔彦は、8月28日に記者会見で、
    「国体護持ということは理屈や感情を超越した固いわれわれの信仰である。……この際私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し、懺悔しなければならぬと思ふ、全国民総懺悔することがわが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信ずる」と厚顔な発言をしました。
 その後、「一億総懺悔」というコトバがマスメディアなどで宣伝されました。
                                                          佐藤正人