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三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「広東裁判」・「香港裁判」 17

2012年02月17日 | 海南島史研究

 日本海軍巡査補として海南警備府佐世保鎮守府第8特別陸戦隊に所属させられていた姜延壽さんが、1947年8月4日に処刑される3か月前の5月9日に、安村對一氏、奥平定世氏、稲葉直氏、鈴木薫氏、村尾勝雄氏、黒住真雄氏、宮本春一氏、今井豊平氏、永田武雄氏ら9人の日本人を「広東裁判」を担当していた検察官は不起訴処分にしました。
 かれらは、1946年3月に海南島で国民党軍によって戦犯容疑で逮捕され広東の戦犯拘留所に拘禁されていました。
 防衛研究所戦史研究センター史料室で公開されている「被抑留者(戦犯容疑者)北部地区」によると、日本敗戦当時、安村對一氏は「所轄:特務部兼司令部」・「配置:政務一、二課長兼参謀」で日本海軍中佐であり、奥平定世氏は「所轄:特務部」・「配置:政務一課情報係」で嘱託であり、稲葉直氏は「所轄:第15警備隊」・「配備:七基地指揮官」で日本海軍大尉であり、鈴木薫氏は「所轄:司令部」・「配置:掌砲長」で日本海軍少尉であり、村尾勝雄氏は「所轄:特務部」・「配置:連絡部瓊山派遣所長」で書記であり、黒住真雄氏は「所轄:特務部」・「配置:政務一課報道宣伝主任」で司政官であり、宮本春一氏は「所轄:舞鶴鎮守府第一特別陸戦隊」・「配置:南坤石浮中隊長」で少佐であり、今井豊平氏は「所轄:特務部」・「配置:連絡部指導官」で海軍巡査でした。
 今井豊平氏が1978年に発表した『嗚呼天哉命哉』(海南海軍警察隊戦友会発行)には、9人にたいする「国民政府主席広東行轅審判戦犯軍事法庭軍法検察官不起訴処分書」の写真が掲載されています。それには、陶冠文軍法検察官の名で、9人を不起訴にしたのは証拠がないからだ、と書かれています。
 今井豊平氏は、姜延壽さんが佐世保鎮守府第8特別陸戦隊煙墩市警察隊に海軍巡査補として所属していたときの1943年6月ころ舞鶴鎮守府第1特別陸戦隊警察隊の海軍巡査をしていました。
 そのときのことを、今井氏は、『嗚呼天哉命哉』につぎのように書いています。
     「当海軍巡査隊は若い男の共産「ゲリラ」一名を逮捕して来た。陣地内の中央広場に於て海軍兵士による強制訊問が始まる。数字間に及ぶ強制訊問により仮死状態になる事数度。然し絶対に自白しない。日暮れ近くには遂に両眼が突出した。……八番線の太い針金で両手足と首を縛り広場の大木に縛り合せ再訊問は明朝再会する事にした。翌朝起床と同時に昨日の捕虜は如何にと思い広場に行った処影も形もない……」。
 「広東裁判」では、「討伐」や「捕虜」拷問に加担していた日本人海軍巡査らが不起訴になり、台湾人巡査補が処刑されていました。
                                                           佐藤正人