ことし2月2日に、千炳台さんの墓のまえで聞かせていただいた千榮基さん(千炳台さんのおい)の証言です。
捕まっていくようにして、連れていかれた。近くに住んでいた叔父(オモニの弟)もいっしょに連れていかれた。面事務所から職員が来て連れていくのを見た。いまの罪人といっしょだ。
젯뽕(遺骨箱)がきたのは、解放前だった。そのときのことを覚えている。役所の人間か誰かが持ってきたと思う。それを埋めて墓をつくった。そのなかになにが入っていたかは、知らない。その日を命日にして、チェサをしている。
叔父は結婚していた。おばは、젯뽕(遺骨箱)が戻ってきたあと、再婚して家をでていった。子どもがいなかった。わたしの弟が養子になって、墓を守っている。
祖母は、31歳のとき祖父が亡くなって、ひとりになっていた。そういうときに、2番目の息子が死んで戻ってきたのだから、想像してみてください。祖母には辛いことだった。
おじは無口な人だった。ちょっとでっぷりして、がっしりした人だった。アボヂ、おじさん、兄がチェサをして、ここに埋めた。
젯뽕(遺骨箱)は、木でできていて、正方形だった。木は白かった。持ってきた人がどういう人かは知らない。解放前だった。
おじは、同じ村に住んでいたオモニの末の弟、金태한といっしょに日本につれていかれた。金태한が解放後戻ってきて、おじの最後を話してくれた。てんねんとうにかかって死んだ。病気になって、まっくらな独房のようなところに入れられ、食事もちいさな穴から入れた。そのままそこから出てくることができず、死んだという。
穴からメシをいれたんだ。食べられなくて死んだと聞いた。いくら泣いても、心がはれない。
捕まっていくようにして、連れていかれた。近くに住んでいた叔父(オモニの弟)もいっしょに連れていかれた。面事務所から職員が来て連れていくのを見た。いまの罪人といっしょだ。
젯뽕(遺骨箱)がきたのは、解放前だった。そのときのことを覚えている。役所の人間か誰かが持ってきたと思う。それを埋めて墓をつくった。そのなかになにが入っていたかは、知らない。その日を命日にして、チェサをしている。
叔父は結婚していた。おばは、젯뽕(遺骨箱)が戻ってきたあと、再婚して家をでていった。子どもがいなかった。わたしの弟が養子になって、墓を守っている。
祖母は、31歳のとき祖父が亡くなって、ひとりになっていた。そういうときに、2番目の息子が死んで戻ってきたのだから、想像してみてください。祖母には辛いことだった。
おじは無口な人だった。ちょっとでっぷりして、がっしりした人だった。アボヂ、おじさん、兄がチェサをして、ここに埋めた。
젯뽕(遺骨箱)は、木でできていて、正方形だった。木は白かった。持ってきた人がどういう人かは知らない。解放前だった。
おじは、同じ村に住んでいたオモニの末の弟、金태한といっしょに日本につれていかれた。金태한が解放後戻ってきて、おじの最後を話してくれた。てんねんとうにかかって死んだ。病気になって、まっくらな独房のようなところに入れられ、食事もちいさな穴から入れた。そのままそこから出てくることができず、死んだという。
穴からメシをいれたんだ。食べられなくて死んだと聞いた。いくら泣いても、心がはれない。