三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑 除幕までの道程 2

2010年03月20日 | 紀州鉱山
■紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会

2008年8月31日 紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会創立集会(主催:在日本朝鮮人総聯合会
       三重県本部、在日本大韓民国民団三重県地方本部、紀州鉱山の真実を明らかにする会)。
2008年10月16日 熊野市との話合い。熊野市側からは、浜口社会教育課長、松岡社会課長補佐が出席。
              「鉱山資料館の土地に追悼碑を建立することが困難な場合、熊野市の所有地である紀和町
             板屋の旧選鉱山所跡を一望できる場所(すでに熊野市が公園のようにしている土地)に追悼碑
             を建立することを検討してもらいたい」と要請。浜口課長は、「検討する」と回答。
2008年10月25日 聖公会平和学習委員会のメンバーが紀州鉱山「現地調査」。
         この日、紀和町の「英国人墓地」で15回目の追悼集会がおこなわれた。
         事前に、紀州鉱山で朝鮮人の追悼碑を建てようする運動のことを知った聖公会が、これまで
        紀州鉱山で死亡した英国人捕虜の追悼式に参加してきたが、朝鮮人労働者については何もして
        こなかったという反省から、調査に協力してほしいと紀州鉱山の真実を明らかにする会に要請があった。
2008年11月23日 第15回紀州鉱山「現地調査」。
2008年11月24日 「朝鮮人強制連行 紀州鉱山跡を調査」、『毎日新聞』(三重熊野版)。「強制労働の実態調査 熊
       野 鉱山跡や寺など視察」、『中日新聞』(紀州版)。
2009年2月15日 3回目の在日本大韓民国民団三重県地方本部、在日本朝鮮人総聯合会三重県本部、紀州鉱山の
       真実を明らかにする会の合同会議。紀州鉱山の真実を明らかにする会が、熊野市とも交渉を継続しつつ、
       独自に追悼碑を建てる方針を提起。決定。
2009年3月14日~15日 第16回紀州鉱山「現地調査」。
2009年5月27日 碑建立予定地購入仮契約。7月10日に本契約。
2009年7月5日 竹本昇、在日韓国民主統一連合三重本部主催のセミナーで紀州鉱山への朝鮮人強制連行などにつ
       いて報告。
2009年8月11日 碑建立予定地にムグンファなどを植えるなどして、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する場をつくっ
       ていく作業を始める。
2009年8月12日 犠牲者の名を刻む石を碑建立予定地に運ぶ。
2009年9月 紀和町中心部に追悼碑を建立する土地を購入。
2009年9月6日 紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会、第2回集会。
2009年9月7日 「朝鮮人労働者の追悼碑 来年3月に除幕式 津で建立する会が集会」、『伊勢新聞』。「追悼碑除幕
       来年3月 紀州鉱山」『朝日新聞』(三重版)。
2009年9月11日 紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会、熊野市市長・熊野市教育長に「史跡 英国
       人墓地」にイギリス兵の遺骨は埋葬されているかなど、9項目の質問。
2009年9月13日 在日韓国民主統一連合三重本部有志、「木本事件」・紀州鉱山「現地調査」。
2009年9月30日 「強制労働の記憶 碑に 紀州鉱山 同胞・市民が来春建立 三重県熊野市」、『民団新聞』。
2009年10月12日 碑建立予定地に植樹。追悼碑原石探索。
2009年10月16日 熊野市から、つぎのような文書回答。
                「現在の英国人墓地は、1981年頃に紀和町の住民の方が個人で移設した史跡であり、1987
               年5月30日付けで旧紀和町が墓地を含めて石原産業株式会社から土地の寄贈を受けたものと
               同一のものであります」。
                「第2次世界大戦中に旧紀和町で亡くなられた16名の英国人捕虜の方を埋葬していた場所に
               あったイギリス兵の遺骨は、戦後、横浜市の英連邦墓地に移設されており、現在の英国人墓
               地には埋葬されておりません。また、1981年頃に現在地に移設する際に、元の場所を重機で
               掘り起こしたところ壺が発見され、中に灰が入っていたため、壺を割って現在の英国人墓地に
               灰を埋めたと聞いております」。
2009年11月1日 「朝鮮人犠牲者の追悼碑を 旧紀州鉱山で強制労働 関係者、史実掘り起こす」、『伊勢新聞』。
2009年11月22日 「紀州鉱山の歴史展示 熊野 朝鮮人追悼碑を建立する会」、『読売新聞』(三重版)。
2009年11月23日 第17回紀州鉱山「現地調査」。
            犠牲者の名を刻む石を碑建立予定地に運ぶ。紀和町で追悼碑原石探索。
2009年11月26日 「朝鮮人追悼碑建立へ準備 紀州鉱山で強制労働の末死亡 関係者“英国人との扱いの差は差
        別”」、『紀南新聞』。
2009年12月13日 尾鷲で追悼碑原石探索。
2009年12月22日 紀和町で追悼碑原石探索。
2009年12月26日 「紀州鉱山に朝鮮人の追悼碑設置へ 市民団体、苦節13年」共同通信社配信。
2010年1月25日 追悼碑原石決定。
2010年1月29日~2月5日 紀州鉱山の真実を明らかにする会、韓国江原道麟蹄郡・平昌郡、慶尚北道安東市へ。
2010年2月1日 熊野市市長および教育長に、「熊野市が、イギリス兵の遺骨が埋葬されていない“現在の英国人墓地”
        を文化財として指定している理由」、あるいは「“現在の英国人墓地”に埋められているという“灰”が、イギリ
        ス兵の遺骨の灰なのか」など、熊野市指定文化財「史跡 英国人墓地」にかかわる重大な疑問に明快に答
        えることを要求する再質問書を、2月15日を回答期限として送る。
2010年2月2日 午後9時過ぎの安東MBCテレビのニュースが、3月28日に紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑の
        除幕集会が開かれること、紀州鉱山の真実を明らかにする会の会員が紀州鉱山に強制連行され死亡した
        千炳台さんの遺族を訪ねたことなどを報道。
2010年2月22日 再質問に速やかに回答することを要求する文書を熊野市長と教育長に送る。
2010年2月25日 追悼碑の石を、「追悼の場」に置き、碑文板の大きさと位置を決定。参加者全員が、紀州鉱山で亡くな
        った朝鮮人の名前を、1人ずつ、石にしるす。「追悼碑建立宣言」を掲示する板の土台設置。
2010年3月1日 紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑の碑文決定。
2010年3月10日 追悼碑建立宣言文決定。
2010年3月20日 「追悼の場」、整備。
2010年3月27日 「追悼の場」、最終整備。
2010年3月28日 紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑、除幕。
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