三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

1941年12月8日 13

2010年03月02日 | 海南島
 日清戦争と日ロ戦争に「勝利」して領土を拡大した国民国家日本は、第1次世界戦争に参戦して「南洋群島」(マリアナ諸島、パラオ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島)を領土化し、「満州事変」を発動して中国東北部とモンゴル東部を領土化し、中国侵略戦争中に海南島を領土化した。戦争によって領土を拡大してきた国民国家日本は、1941年12月8日に、対アメリカ合州国・イギリス戦争を発動して、アジア太平洋にさらに領土を拡大し、資源を奪おうとした。
 国内および領土化した地域に、近代戦遂行に不可欠な石油資源や鉄鋼資源やアルミニウム資源などをわずかしかもっていない日本が、大量の戦争資源をもつアメリカ合州国との戦争に「勝利」するためには、その資源をさらなる侵略戦争によって確保しなければならなかった。
 1941年11月20日に決定した「南方占領地行政実施要領」で、大本営政府連絡会議は、
   「占領軍ハ重要国防資源ノ獲得及開発ヲ促進スヘキ措置ヲ講スルモノトス」、
   「占領地ニ於テ開発又ハ取得シタル重要国防資源ハ之ヲ中央ノ物動計画ニ織リ込ムモノトシ作戦軍ノ現地自活ニ必要
  ナルモノハ右配分計画ニ基キ之ヲ現地ニ充当スルヲ原則トス」、
   「軍政施行ノ当初ヨリ貿易及為替管理ヲ実施シ特ニ石油、護謨、錫、タングステン、キナ等ノ特殊重要資源ノ対敵流出
  ヲ防止シ経済戦ノ遂行ヲ容易ナラシム」
としていた。
 ヒロヒト・日本政府・日本軍中枢は、1941年12月8日以後、ただちに、オランダの植民地とされていたスマトラ島南部のパレンバン地域の石油略奪などを開始した。
 また、ヒロヒト・日本政府・日本軍中枢は、日本軍兵士の食料を「現地調達」(すなわち、「現地」での略奪)で確保しようとした。
 アジア太平洋の民衆にとって、1941年12月8日は、国民国家日本による新たな災厄が開始された日であった。
 このとき、日本民衆のほとんどは、国民国家日本の侵略地域の拡大を喜んだ。日本の「知識人」のほとんど全員が、マスメディアとともに、日本民衆を扇動した。
                                          佐藤正人
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