三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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植民地の「開発」は侵略の手段である(三) 1

2010年03月07日 | 個人史・地域史・世界史
松本俊郎は、「独自の歴史的解釈を提起することができたのではないかと考えている」と自称する『侵略と開発』と適する書物(御茶の水書房、一九八八年十一月)で、「侵略」と「開発」(あるいは「近代化」)とが対応する概念であるかのように主張し、次のようにのべている。
    「近年の植民地史研究にとって、侵略と開発というまったく対立的な視角が、いずれも重
   要な意味を持ちつつある」、
    「植民地において進められたさまざまな意味での近代化は、植民地支配者達の思惑を
   越えて、植民地が独立してからはかえって当該国の近代化にとって促進条件となることも
   あったように思われる」、
    「関東州、満鉄附〔ママ〕属地における日本の植民地支配は、日本の対中侵略と中国
   東北経済の近代化という二つの問題に関わって興味深い問題を提起している」、
    「関東州、満鉄付〔ママ〕属地における日本の植民地政策は、中国東北経済の発展と
   民族資本、民族勢力に対する抑圧という二面性を持ちながら、当該地域の経済を急激か
   つ複雑に作りかえていった」、   
    「「満州事変」を経て「満州国」の建国が強行され、日本軍の中国東北全域に対する軍
   事支配が定着する中で、日本資本によるむき出しの経済支配と東北経済の成長が加速化
   され……」、
    「日本の植民地政策が植民地経済を侵略と開発という二面から変化させていたというこ
   とは、朝鮮、台湾などの場合を含めて一般的に言えるのであろう」、
    「アジアに対するかつての日本の関わりを侵略と開発という二つの側面から分析し、そこ
   に歴史の教訓を見つけ出そうとすることは、今日のアジア、明日のアジアに対する日本の
   関わりを考える上で大きな問題となってこざるをえない」。

 植民地侵略と植民地「開発」(あるいは植民地「近代化」)とは、けして別個の二つの 「問題」ではない。植民地「開発」は、植民地侵略の手段なのである(「開発」が侵略そのものである場合もある)。植民地から人的・物的資源を奪うためには、帝国主義者は、植民地の鉱山を「開発」し、鉄道を建設し、銀行をつくり、行政機構を整備し、発電所をつくり、都市をつくり、農村を「近代化」しなければならない。また、植民地における鉄道建設、ダム建設、都市建設等々は帝国主義本国の土建会社の手によって、植民地の民衆を酷使して行なわれる。植民地の「開発」のために多くの植民地の民衆が健康を奪われ、いのちを奪われる。そして、日本の土建会社は、成長していくのである。
 鉄道をはじめ交通網が発達していなければ、帝国主義者は、植民地の資源(鉱産物、農産物、木材など)を大量に植民地から本国に運びこむことができないし、侵略軍や植民者を植民地のすみずみにまですみやかに送りこむことができない。植民地のインフラストラクチュアを整備し、生産力を高めなければ、帝国主義者たちは、植民地からの収奪を増大することも永続化することもできない。帝国主義者は、彼らが必要とする場合には、植民地の農民にモノカルチュア農業を強制し、モノカルチュア農業を「発展」させることによって植民地の農民を絶糧状態に追いこむ。植民地朝鮮における一時期の棉作強制は、その一例であった。
 侵略を、「と」という並列助詞で「開発」と結びつけて等置することは、植民地「開発」は侵略とは別個のものであるという立論を前提としている。日本人による台湾、朝鮮、中国東北部の「開発」と侵略とは別個のものであると措定し、「侵略と開発というまったく対立的な視角」などと言う松本俊郎の分析の方法は、はじめから侵略の正しい解明を不可能にしている誤った方法なのである。
 「アジアに対するかつての日本の関わりを侵略と開発という二つの側面から分析し、そこに歴史の教訓を……」と松本は言う。だが、「アジアに対するかつての日本の関わり」とは、すなわち、侵略であった。だから、松本の言っていることを正確に言いかえるならば、“アジアに対するかつての日本の関わり方――すなわち、侵略を侵略と開発という二つの側面から……”という、わけのわからないことになってしまうのである。松本は、「開発」という用語をしばしば「近代化」という用語に置きかえており、「近代化」を肯定すべきこととしている。従って、わかりにくい言いまわしをしているが、松本が主張したいことは、“日本のアジア侵略は、アジアの近代化という肯定すべき結果をももたらした。そのことを分析し、歴史から教訓を……”ということなのである。
 「侵略と開発」というコトバには、日本帝国主義者は侵略も行なったが「開発(近代化)」も行なったとする偽瞞が内包されている。
 いかなる歴史的事実もそうなのだが、とくに日本人研究者が日本のアジア侵略史を解明しようとするときには、侵略という事実を総体的に把握しようとする姿勢をとり続けることが根本的に重要である。なぜなら、侵略という歴史的事実でさえも、その断片を切りとるならば、切りとり方によっては、肯定しうるものとなるからである。日本侵略軍の「衛生隊」が侵入した山村で病気の子供を「無料施療」した場合、残虐な全行動から切り離して子供の 「治療」という部分のみをみるならば、侵略軍の行動は肯定されうるであろう。歴史的事実の断片を切りとり、つなぎ合せるならば、数限りない虚像をあたかも事実であるかのようにくみたてることが可能である。
 松本俊郎は、「関東州」と「満鉄附属地」の「産業発展」を分析するにあたり、両地域内部の産業のみを他地域から切断し、両地域の軍事的役割を無視し、わずかな資料に依拠して、安易に結論を導き出して、たとえば、「関東州の農業発展が……日本の手による当該地域の植民地化の進展を前提としていたという事実」なるものを語っている。だが、このような「事実」は、事実であろうか。
 植民地化は、侵略者の利益のために行なわれる。従って、植民地化の「進展」は、植民地の産業構造のすべてを、侵略者の利益を増大させうるように変えていく。「関東州」の農業も他の植民地の農業と同様に、侵略者の利益を生み出すものに変えられていった。遼東半島南端部が植民地とされなければ、「関東州」という地域の枠を越えて、中国全土の産業構造のなかで、植民者のためにではなく地域の民衆のために地域の民衆の力によって、産業が発展していったであろう。松本は、「関東州の農業発展が……」と言っているが、正しくは、「「関東州」の植民地的な歪められた農業「発展」が……」と言うべきである。松本は、非植民地の自立した農業発展と植民地の歪められた農地「発展」とをいっしょくたにして、「農業発展」という無性格的な一般用語を使うことによって、植民地農業の「発展」 の本質をごまかしているのである。
 朝鮮でも中国東北部でも、日本侵略者は、朝鮮民衆、中国民衆の自力による近代化の芽をおしつぶしつつ、侵略のための「近代化」をすすめた。
 日本の植民地とならなければ、朝鮮の近代化は朝鮮人のために朝鮮人によってすすめられ、中国東北部の近代化は中国人(漢族および少数諸民族)のために中国人によってすすめられたであろう。
                                      佐藤正人
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