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三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

海南島「朝鮮村」の朝鮮人虐殺現場での証言

2019年02月10日 | 海南島近現代史研究会
 以下は、きのう( 2019年2月9日)開催した海南島近現代史研究会第23回定例研究会(主題:証言、史料(文書・映像、音声、遺物、遺跡)での金靜美の報告(海南島「朝鮮村」の朝鮮人虐殺現場での証言)の要旨です。
 次回の海南島近現代史研究会第24回定例研究会・第13回総会は、今年8月24日に開催します。


■海南島「朝鮮村」の朝鮮人虐殺現場での証言■
  日本政府は、「朝鮮村虐殺」にかんする事実を隠しつづけている

※南丁村→「朝鮮村」→南丁村
 海南島三亜市街地から直線で約10キロ東北の地点に南丁嶺がある。その南麓に南丁村がある。この村には、朝鮮の刑務所から連行されて働かされ、殺された朝鮮人が埋められている。  
 この村の名は、一時期、「朝鮮村」であった。
 「朝鮮村」における朝鮮人虐殺の事実は、当然であるが南丁村やその周辺の住民、虐殺を実行した日本人(日本海軍海南警備府第16警備隊の将兵、朝鮮総督府の法務官僚や刑務官ら)は知っていた。しかし、日本では隠されつづけている。

※「朝鮮村」での朝鮮人虐殺にふれた文章
 三亜に住む羊杰臣さんが1992年に、陳作平さんが1995年に、「朝鮮村」での虐殺にふれた文章を、海南島で発表した。
 1998年3月2日の『朝鮮日報』に、朴雅蘭記者の「中国ハイナン島で韓国人虐殺 1945年」掲載された。これが韓国で発表された「朝鮮村」虐殺にかんするはじめての文章である。
 紀州鉱山の真実を明らかにする会は、「朝鮮村虐殺」のことを、1998年春にはじめて、羊杰臣さんと陳作平さんの記述で知り、6月に海南島に行った。この年8月8日~9日に石川県金沢市で開催された第9回朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える交流集会で、紀州鉱山の真実を明らかにする会が「日本の海南島侵略と強制連行・強制労働」と題する報告のなかで「朝鮮村」虐殺にかんして述べ、10月に同会が「海南島 1998年夏――田独万人坑・石碌万人坑・八所万人坑・朝鮮村――」を発表した。これが日本で発表された「朝鮮村虐殺」にかんするはじめての文章である。
 韓国KBS取材班が、同年7月に海南島で、8
月に日本で取材し、「朝鮮村」虐殺にかんするドキュメンタリー『海南島に埋められた朝鮮の魂』を制作し、8月31日に放映した。このドキュメンタリー制作に紀州鉱山の真実を明らかにする会が協力した。
 紀州鉱山の真実を明らかにする会は、南丁村に「駐屯」していた日本軍部隊にかんする文書を、防衛研究所図書館で見つけたが、虐殺に直接的に触れている文書は、発見していない。
1943年11月に編成された第7次「朝鮮報国隊」の隊長として1944年1月に海南島に行き1946年3月に日本に戻った衣笠一氏は『海南島派遣の朝鮮報国隊始末記』を1990年代末に発表し、2001年に書いた「わが足跡 上」の「陵水時代」の章などで、「朝鮮報国隊」や「台湾報国隊」について記述している。かれは、海南島に行く前は朝鮮総督府大田刑務所の看守長だった。
 かれ以外の日本軍関係者、日本政府関係者、朝鮮総督府関係者は、まったく沈黙しつづけたままである。当時海南警備府第16警備隊司令官であった能美実(1948年10月に「横浜アメリカ合州国軍裁判所」で終身刑宣告)は、1945年の三亜におけるアメリカ合州国軍兵士殺害以外は海南島での犯罪を語ることなく死んだ。
 日本政府・日本軍・日本企業の国家犯罪・侵略犯罪にかかわる証拠文書は多くは焼却・廃棄されたか隠されたままである。したがって、その歴史的事実を解明するためには、犠牲者、加害者、目撃者からの聞きとりが重要である。

※「朝鮮村」に埋められている人の名
  「朝鮮報国隊」は、1943年3月から1年ほどのあいだに、すくなくとも8回組織され、2000人以上の獄中者が、刑期を短縮するなどの条件を示され、朝鮮各地の監獄から、ソウルの刑務所に集められ、そこから、家族に連絡することも許されずに海南島に連行された。
 海南島では、三亜、陵水県三才鎭后石村、陵水県英州鎭大坡村、楽東県黄流鎮白極坡などで飛行場建設をさせられたり、田独鉱山や石碌鉱山で働かされたり、八所で港湾建設をさせられたり、三亜で道路建設をさせられたり、東方市感恩で橋梁建設をさせられた。
 そのときに、多くの人たちが、事故や病気で死亡した。死亡した人のうち、海南島で死亡したことが、故郷の家族に伝えられることもあった。採鉱や飛行場建設が中断されてから、そのうちの数百名(あるいは1000人、あるいはそれ以上)が、日本海軍が軍事施設を移転させようとしていた南丁村地域に連行され、道路工事、軍用洞窟開削などをさせられたのち、1945年夏に虐殺された。
  「朝鮮報国隊」とともに、台湾の刑務所から「台湾報国隊」として、台湾人獄中者が強制連行されていた。

※虐殺を目撃した「朝鮮村」の人たち
 死者は語らない、語れないのだから、目撃者の証言がなければ事実は隠されつづける。
 「朝鮮村」とその周辺の村に住む目撃証人;周学韓さん(1935年生)。林瑞章さん(1934年生)。符亜参さん(1918年生)。周亜細さん(1922年生)。符亜輪さん(1916年生)。蘇亜呑さん(1914年生)。林吉亜さん(1924年生)。芸亜文さん(洞窟など日本軍の施設跡がある新村に住む)。

※遺族の証言、帰国者の証言
 「朝鮮報国隊」に入れられたが帰国できた人の証言:朴萬重さん(1916年生。第1次「朝鮮報国隊」)。高福男さん(1917年生。第2次「朝鮮報国隊」)呂且鳳さん(1913年生。第7次「朝鮮報国隊」)。柳濟敬さん(1917年生)。

 韓琦錫さんは、1922年12月5日、京畿道楊平郡(現、楊平市)で生まれた。1943年ころ「朝鮮報国隊」に入れられ海南島に連行され、1944年2月17日に海南島の陵水にあった「朝鮮報国隊」の宿所で死亡したと除籍簿に書かれている。
 金慶俊さん(1914年生)の戸籍簿には、漢字まじりの朝鮮語で、「西紀1943年11月1日午後11時30分、南支那海南島白沙県石碌朝鮮報国隊隊員兵舎で死亡。同年12月24日京城刑務所長朝鮮総督府典獄渡辺豊送付」と書かれている。
 2010年4月23日に韓光洙さん(韓琦錫さんの子息。1942年1月30日生)に、4月28日に李康姫さん(韓琦錫さんの妻。1922年10月22日生)に、ソウルで話を聞かせていただいた。
 その4か月後の8月22日の海南島近現代史研究会第4回総会・第6回定例研究会(主題:「朝鮮報国隊」の真相糾明)で、韓光洙さんに「アボヂは海南島から戻らなかった」と題する証言をしていただいた。
 その一年後、2011年8月28日の海南島近現代史研究会第5回総会・第8回研究会(主題:海南島における日本の侵略犯罪のいま)には、まもなく89歳になる李康姫さんに、韓光洙さんといっしょに韓国から出席していただいた。この日、李康姫さんは、「夫は海南島につれていかれた」という題で、韓光洙さんは「アボヂの跡を追いつづけて」という題で証言した。

※今後の課題
(一)事実と原因のさらなる究明
   なぜ、このようなことがおこったのか。
   なぜ、放置されつづけているのか。
(二)犠牲者の名を明らかにさせる。
   紀州鉱山の真実を明らかにする会は日本政府に「朝鮮報国隊」の名簿の公表を要求して
  いるが、日本政府は、いまなお、探索・公表しようとしていない。「朝鮮村」に埋められている
  人の名は、まだ、ひとりも明らかになっていない。
(三)「発掘」。「朝鮮村」の遺骸。死者の声。
   隠されつづけている「朝鮮報国隊」、「朝鮮村虐殺」にかかわる諸事実を明らかにするため
  には、聞きとりと「朝鮮村」で科学的で厳密な「発掘」をおこなうしかない。
(四)追悼。
(五)加害者の確定、責任追及。
(六)日本政府に事実を語らせ、謝罪させ、責任の所在を明確にさせ、責任者を処罰させ(死ん
  だからといって責任は免除されない)、賠償させる。

証言の客観性を保証する聞き手の主体のありかたについて

2019年02月09日 | 海南島近現代史研究会
 以下は、きょう( 2019年2月9日)開催した海南島近現代史研究会第23回定例研究会(主題:証言、史料(文書・映像、音声、遺物、遺跡)での佐藤正人の報告(証言の客観性を保証する聞き手の主体のありかたについて)の要旨です。
 次回の海南島近現代史研究会第24回定例研究会・第13回総会は、今年8月24日に開催します。
 

■証言の客観性を保証する聞き手の主体のありかたについて■
            
■歴史的事実を知る作業の基礎  史料を相対化し総合的に分析する
 国民国家日本の国家犯罪にかかわる諸事実を詳細に具体的に聞きとり、記録するとともに、文書史料を探索し収集し、すべてを批判的に分析する。

■抗日反日闘争と日本の侵略犯罪事実(史実)を明らかにする史料の収集と分析
 文書史料、口述史料、「もの」史料(遺物、遺構、遺跡)。
 事実が隠蔽されてきている国民国家日本の侵略犯罪史を解明するためには、「もの」史料、口述史料がとくに重要。口述史料が決定的な役割を果たす。
 「朝鮮村」虐殺、月塘村虐殺、后石村虐殺、咸来虐殺、互助郷長仙聯村(長仙村、坡村、三古村、南橋村、雅昌村、佳文村、風嶺村、吉嶺村、官園村ら9村)虐殺、互助郷波鰲村ら3か村の虐殺、文池村・龍興村虐殺、楽羅村虐殺、古橋村・東寨村虐殺、 英州鎭大坡村虐殺、北岸郷(北岸村・大洋村)虐殺、秀田村虐殺、重光鎮昌文村虐殺、重光鎮白石嶺村虐殺、重光鎮排田村虐殺、重光鎮賜第村虐殺、黄竹镇大河村・后田村・牛耕坡村・周公村虐殺、老欧村虐殺、白沙黎族自治県邦溪鎮南北溝村虐殺、石馬村虐殺、東閣鎮林村村虐殺、東閣鎮金牛流坑村虐殺、東閣鎮鳌頭村虐殺、東方市旦場村虐殺、土卜村虐殺、南文村虐殺、光田村虐殺、下市尾村虐殺、 昌美村虐殺、調楼村虐殺、排坑村虐殺、八所虐殺、沙土虐殺、共建村(元、牙寒村)虐殺、港坡村虐殺、礼亭村虐殺、三十笠村虐殺、保亭黎族苗族自治県新政鎮番雅村虐殺、三竈島虐殺……の日本軍の侵略犯罪の基礎証拠は、被害者・目撃者の証言(口述)と墳墓と追悼碑と「記念碑」。

■モノ・「場」
 アジア太平洋戦争の「場」。 犯罪現場・抗日根拠地。交錯する「場」。
 住民虐殺現場は犯罪の「遺跡」として残されていない。
 日本政府・日本軍・日本企業の海南島侵略犯罪の証拠物(海南島の人びとの証言によって証拠であることが明確になる)。
    日本軍が放火・破壊して家の跡、日本海軍飛行場跡、港湾跡、橋梁跡、鉄道跡、発電所
   跡、日本軍望楼跡、日本軍兵営跡、砲台跡、トーチカ跡、施設(軍用倉庫、火薬庫、給水
   塔)跡、道路跡、洞窟跡、特攻艇基地跡、「慰安所」跡、日本語学校跡、アヘン畑跡。

■国民国家日本の国家犯罪を、総体として認識し伝達する方法
 加害者は、犯罪の「記憶」をほとんど語らないまま、沈黙のまま自然死している。
    旧日本軍兵士、朝鮮総督府行刑関係者……の沈黙・証言(告白)拒否。
    数人が広東裁判で死刑。ほとんどが「帰還」。
    日本政府・日本軍・日本企業と日本兵……が一体となって加害記録を隠蔽・抹殺。
 国民国家日本の国民(1947年5月2日までは「大日本帝国臣民」)は、異族から奪い、異族を殺害してきた。殺された人たちの名前は、ほとんど記録されていない。名前が記録されていないということは、その人たちの生涯をたどることが極めて難しくなっているということ。
 さまざまな人生・体験   被害者の人生  犠牲者の生と死。  加害者の人生。

■証言の客観性
 証言の内容は、証言者と聞きとる者との関係によって、その質が決まっていく。
 証言の客観性は、証言者と聞きとる者との関係のありかたに規定される。
 証言者との信頼関係を実践的に築いていくことが、証言の歴史性を豊かにし、証言の客観性・真実性を保証する。
 証言の真実性を検証しなければならないのは当然のこと。問題は、その方法。
 記憶違いや曖昧な記憶に基づく証言の信憑性を確かめることも必要。年月の経過とともに、証言者が少なくなっていき、証言者の記憶が鮮明でなくなっていく。

■史料批判
 史実を明らかにしようとするとき、史料の信憑性を検証する史料批判が不可欠。
 自伝をふくむ文書史料だけでなく、口述資料(聞きとりの記録、映像、音声)もその信憑性を確認しなければならない。
 口述記録:1、聞きとりの段階、2、聞きとった内容を整理する段階、3、聞きとった内容を分析する段階のそれぞれにおいて信憑性を検証しなければならない。
 口述史料批判を、文書史料批判、文献資料点検とともにおこなうことによって、証言、文書、文献それぞれの信憑性を確かめることができる。そのとき、できるだけ多くの複数の史料を照合しなければならない。
 文書史料(報告書・手記・自伝、文書記録、日誌・新聞……、歴史地図・年表……)。

■証言を文字で記録する作業
 聞きとることとそれを記録することは、その歴史的事実にかんする史料を作成する作業。証言を文字で記録する作業には、その証言の信憑性を検証する作業が内包されている。
 日本の侵略犯罪の被害者・目撃者みずからがその記憶を、文字や絵などで表した記録の内容と、その記憶を聞きとった者が文字で表した記録の内容とは、同一ではない。
 証言の内容を、証言を聞いた瞬間に即時に理解するためには、証言されている世界にかんする知識が必要である。たとえば、証言者がある地域における經驗を語ったとき、その位置だけでなくその地域の歴史や地形などをおおまかにでも知っていなければ、証言内容を的確に理解できないし、その經驗についてさらに深く聞きとりすることもできない。

■証言者と記録者の共同作業 聞きとりを記録する者の歴史研究・歴史認識の方法の問題
 「現地調査」・必然的な偶然の出会い。
 何度も出会って話を聞かせてもらうことによって事実をより鮮明に知ることができる。
 日本の国家犯罪にかかわる幸存者・被害者・目撃者の証言を聞きとり、記録することは、日本の国家犯罪の歴史的証拠を、証言者と記録者が共同で確定すること。
 死者からは聞きとりできない。

■これから
 日本政府・日本軍の侵略犯罪の解明 → 責任追及(犯罪の責任・犯罪を隠しつづけてきた責任)→ 国家謝罪・国家賠償、責任者処罰(侵略犯罪の最悪の責任者は、ヒロヒト)。
 海南島に侵入した日本企業(三井物産、日本窒素、石原産業、西松組〈現、西松建設〉、浅野セメント、王子製紙、武田薬品、資生堂、三越、トヨタ自動車、明治製糖、……)の過去と現在の侵略犯罪解明・責任追及。
 天皇制を支持し他地域他国侵略を実行してきた日本民衆(労働者、農民、会社員、漁民、商人、官吏、医者、看護師、店員、教師、主婦……)は、
  1、日本国家の他地域他国侵略の歴史(侵略の原因、動機、経過、実体)を知り、
  2、過去と現在と未来の侵略の歴史を克服する過程で、
日本ナショナリズム(その根源は天皇制)を克服できるかもしれない。
 日本民衆が、日本政府に国民国家日本の侵略犯罪事実を認めさせ、謝罪させ、賠償させ、責任者を処罰させることなしに、日本民衆とアジア太平洋諸国の民衆との友好、親善、和解は成立しない。

海南岛近现代史研究会第23次定期研究会

2019年02月04日 | 海南島近現代史研究会
■海南岛近现代史研究会第23次定期研究会■

  不仅是海南岛,很多证明国民国家日本侵略亚洲太平洋的历史事实都被犯罪者抹掉或隐藏了,但,通过证言,历史资料(文书・影像,录音,遗物,遗址)作为证据的民众历史研究可以还原其真相。
  在2017年2月9日召开的定期研究会上,我们讨论了主题为“证言・记录・传达”,根据证言和证据文书查明日本的侵略犯罪的历史事实,并将其传达的思路。在两年后的定期研究会上,我们更加深入讨论通过民众的力量收集分析证言和历史资料的方法。
  与日本的侵略犯罪,抗日反日斗争相关的证言,历史资料的“确保”和分析,即使在海南岛也不是容易的事情。证言的相关人员在慢慢变少。日本开始侵略海南岛是在1939年,当年10岁的人,到2019年也90岁了。1945年,日本战败时10岁的人,到2019年也84岁了。
  距日本军奇袭登陆海南岛(1939年2月10日),80年过去了。我们希望讨论如何通过民众的力量保存侵略犯罪的证据,如何通过每个民众让他们具体承担起侵略犯罪的历史责任。

 时间:2019年2月9日(星期六)13时20分~17时(开场时间12时30分)
 地点:国劳大阪会馆1楼大厅  大阪市北区锦町2  JR大阪环状线天满站北口右拐300米
 参加费用:500日元(会员免费)

主题:证言、史料(文书・影像、录音、遗物、遗址)
■主题报告 关于保证证言客观性的采访者主体的应有状态            佐藤正人
■主题报告 在海南岛的“朝鲜村”朝鲜人被掠杀的现场听取的证言         金静美
■主题报告 在海南岛听取的证言  由采访者转变为被采访者           齐藤日出治
■主题报告 在极东国际军事裁判文书里记载的日本军在海南岛的侵略犯罪 3     日置真理子

■讨论 距日本军入侵海南岛80年了。今后将如何走下去。
     距日本的阿依努茅希利殖民化150年过去了。距日本的海南岛侵略80年过去了。关
     于让国民国家日本结束对其他地域其他国家的侵略历史,今后如何开展民众运动。

■报告 至今为止“争取恢复按照设置理念成立的和平大阪的研究会”的活动      竹本升
■报告 对资本主义的抵抗方式  一个生活者的实践报告              小田伸也

■调查报告 第20次(第33次)海南岛现地调查(2018年10月)               佐藤正人
     报告在海口市三江镇古桥村,东寨村,罗梧村,眼睛塘村,斗门村,龙泉镇仁和村,
   云龙镇北桥村,甲子镇文池村,龙兴村,咸来镇木石村,美兰区桂林洋,陵水黎族自治
   县光坡镇港坡村,提蒙乡礼亭村,本号镇三十笠村,放马村,保亭黎族苗族自治县保城
   镇,新政镇番雅村,三亚市崖州区(前,崖城镇)水南村,领海村,长山村,乐东黎族自
   治县乐罗村,望楼港村,琼中黎族苗族自治县红毛镇罗坦村,黎凑村,荣根镇水潮村听
   取的证言。
   
■关于2019年春天进行海南岛近现代史研究会第21次(34次)海南岛现地调查

          海南岛近现代史研究会  http://www.hainanshi.org/

海南島で日本は何をしたのか  住民虐殺・略奪・労働強制・性奴隷化、抗日反日闘争

2019年01月27日 | 海南島近現代史研究会
 以下は、日本軍の海南島奇襲攻撃(1939年2月10日)80年後のきのう(2019年1月26日)開催された設置理念に則ったピースおおさかを取り戻す会主催研究会での、海南島近現代史研究会の佐藤正人の報告要旨です。
     
■海南島で日本は何をしたのか  住民虐殺・略奪・労働強制・性奴隷化、抗日反日闘争■
                                      
はじめに 加害と被害
1、被害者がいるということは加害者がいるということ
 日本国家がアジア太平洋でおこなった加害犯罪の加害者は、 天皇、日本政府、日本軍、日本企業、日本民衆。
 国民国家日本が日本民衆におこなった加害犯罪の加害者は、天皇、日本政府高級官僚、日本軍高級将校、日本企業幹部……。
 日本民衆は、日本民衆への加害者である天皇、日本政府、日本軍、日本企業を糾弾し、謝罪させ、賠償させなければならない。
    ガダルカナル島やインパール地域などで餓死した日本兵、中国東北部・モンゴル東部で
   死んだ「満蒙開拓団」や「満蒙開拓青少年義勇軍」の少年や子どもたちの加害者は、天皇  
   ヒロヒト、牟田口廉也、辻 政信、加藤 完治……など。
    「東京大空襲訴訟」(2007年3月第1次提訴・2008年3月第2次提訴、2013年5月敗訴)
    「大阪大空襲訴訟」(2008年12月提訴、2014年9月敗訴)
    「沖縄戦被害国家賠償訴訟」(2012年8月住民・遺族ら36人が提訴、2018年9月敗訴)
         「沖縄戦」は、「国体」(天皇制)を維持しようとした戦争。
   侵略戦争の加害者 ⇔ 侵略戰爭の犠牲者
2、歴史的事実の展示
■りばてぃ大阪問題(2004年5月顕在化)とピースおおさか問題(2013年4月顕在化)
■韓国で特別展『海南島で日本はなにをしたのか  侵略・虐殺・略奪・性奴隷化』
   西大門刑務所歴史館(ソウル,2004年10月)、韓国独立紀念館(天安、2004年10月~11月)
■日本で展示会『海南島で日本はなにをしたのか  侵略・虐殺・略奪・性奴隷化』
   丹波マンガン記念館(京都、2005年9月~12月),高麗博物館(東京、2006年5月~7月)
■沖縄県平和祈念資料館、ひめゆり平和祈念資料館、対馬丸記念館
■女たちの戦争と平和資料館(東京)、立命館大学国際平和ミュージアム(京都)、佐賀県立名護屋博物館(唐津市)、在日韓人歴史資料館(東京)、アウシュヴィッツ平和博物館(福島県白河市)、三重県人権センター(津市)、大阪産業労働資料館(大阪)
■日帝強制動員歴史館(釜山)、戦争と女性の人権博物館(ソウル)、植民地歴史博物館(ソウル)、済州抗日記念館
■侵華日軍南京大遭難同胞紀念館、九・一八歴史博物館(瀋陽)、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館(ハルビン)、中国人民抗日戦争紀念館(北京盧溝橋)
■国際奴隷制博物館(International Slavery Museum。リバプール)、オーストラリアの囚人遺跡群、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館(Państwowe Muzeum Auschwitz-Birkenau w Oświęcimiu)、戦争証跡博物館(ホーチミン市)
3、追悼碑
   犠牲者の名。 海南島で何人が殺害されたか。
             台湾、朝鮮、中国、ホンコン、シンガポール、マラヤ、インドネシア、フィリピ
            ン、オキナワ……で何人が殺害されたか。
   日本の侵略犯罪の犠牲者を追悼する碑のある場所は、アイヌモシリ侵略、琉球王国侵略
  いらいの国民国家日本の侵略犯罪の歴史を明らかにし、その歴史的責任を追究していく民
  衆運動のひとつの根拠地。

(一)日本の海南島侵略と抗日反日闘争の歴史
 1939年2月から6年半(日本軍の海南島奇襲上陸から敗戦まで)=海南島戦争(侵略と抵抗)の時代
 日本政府・日本軍は、海南島を植民地とし、東南アジア・太平洋侵略基地としようとした。
 1939年2月10日の日本陸海軍の海南島奇襲上陸直後から、日本のマスメディア、「従軍作家」などは事実を隠蔽して海南島侵略を美化、宣伝、扇動。日本民衆は領土拡大を喜び、支持(兵士……となった日本民衆は直接、犯罪を実行)。
 日本政府・日本軍が海南島侵略を開始する以前に、日本国民のほとんどが、他地域・他国侵略に反対する思想・感性・倫理を喪失していた。
※Ⅰ、日本政府・日本軍は、なぜ海南島を占領したのか
    1、国民国家後の日本の植民地・領土・占領地拡大
         アイヌモシリ・ウルマネシア、台湾・朝鮮・「関東州」・「南洋諸島」・「満洲」(中国東
        北部・モンゴル東南部)・華北・華中・華南・海南島……
    2、資源略奪
    3、アジア太平洋侵略基地
※Ⅱ、日本はいつから海南島侵略を準備していたか
※Ⅲ、国民国家日本の中国侵略史・中国民衆抗日反日闘争史における海南島侵略史・海南島抗日反日闘争史
 日本の侵略に抗して、海南島の民衆は、戦いつづけた。
 アジア太平洋の民衆にとって、日本の侵略の時代は、抗日反日闘争の時代。
 その時代は、全世界的規模で、終わっていない。

海南島民衆の抗日反日闘争にかんする文書 (抄)
 海南抗戦卅週年紀念会編印『海南抗戦紀要』上、下、文海出版社〈台北〉、 1980年2月(?)。
 陳永階編『瓊崖革命先駆者文集(海南島党史資料)』瓊島星光編集部出版、1985年9月(内部発行)。
 瓊崖武装闘争史辧公室編『瓊崖縦隊史』広東人民出版社、1986年9月。
 中共広東省委党史資料征集委員会・中共広東省海南行政区委員会党史辧公室編『瓊崖抗日闘争史料専編』広東省内部刊行物、1986年10月。
 星火燎原編輯部編『星火燎原3 海南島革命闘争専輯』解放軍出版社、1987年5月。
 中共文昌県委党史辧公室編『文昌人民革命史』海南人民出版社、1988年9月。
 中共昌江黎族自治県委党史辧公室編『昌江英烈傳』1989年5月。
 中共海南省委党史研究室・海南省民政庁編『瓊崖英烈伝』第一輯~第四輯、三環出版社、1989年8月、1990年3月、1991年6月、1992年8月。
 中共瓊海県委党史辧公室編『瓊海革命闘争史』三環出版社、1990年5月。
 「海南島各族人民的抗日闘争和抗日根拠地」、『中国少数民族革命運動史』四川民族出版社、1990年。
 南陽革命史話編写組編『南陽革命史話』瓊島星光編輯部出版、1991年。
 昌江黎族自治県地方志編纂委員会編『昌江二千年事記』南海出版公司、1992年1月。
 中共昌江県委党史研究室著『昌江革命史』海南出版社、1994年7月。
 中共海南省委党史研究室・海南省中共党史学会編『瓊崖革命研究論文選』中共党史出版社、1994年10月。
 雷鐸・曹柯・謝岳雄『南粤之剣 ――粤海抗戦実録』(中国抗日戦争紀実叢書)解放軍文芸出版社、1995年7月。
 中共海南省委党史研究室編『瓊崖抗日英雄譜』海南出版社、1995年8月。
 黄玉梅「瓊崖女性熱血豊碑――浅析抗日戦争時期瓊崖婦女運動的歴史地位」、『海南史志』1995年第3期、1995年8月。
 王善功・班石「石山抗日闘争与日軍暴行」、『海南史志』1995年第3期。
 中共海南省委宣伝部・海南省社会科学界聯合会・中共海南省委党史研究室編『不朽的豊碑――紀念抗日戦争勝利50周年論文選』中共党史出版社、1996年12月。
 邢益森「抗日戦争時期日寇的経済侵略和瓊崖人民的反経済掠奪闘争」、『海南史志』1997年第2期、1997年3月。
 中国抗日戦争史学会・中国人民抗日戦争記念館編『少数民族与抗日戦争』北京出版社、1997年6月。
 呉淑貞「抗日戦争時期瓊崖婦女文化工作記略」、『海南史志』1997年第4期、1997年11月。
 程昭星・邢詒孔著、中共海南省委党史研究室編『黎族人民闘争史』民族出版社、1999年3月。
 中共瓊山市委党史研究室編『瓊山革命豊碑』東西文化事業公司(香港)、1999年7月。
 中共海南省委党史研究室編『海南英烈譜』海南出版社、2000年12月。
 紀州鉱山の真実を明らかにする会『海南島で日本は何をしたのか 虐殺・略奪・性奴隷化、抗日反日闘争』写真の会パトローネ、2005年5月。
 中共万寧市委党史研究室編『二十三年紅旗不倒――六連嶺革命闘争紀実』2005年7月。
 中共万寧市委党史研究室編『万寧革命闘争史研究』2006年3月。
 海南革命史研究会編『瓊崖風雲』海南出版社、2006年12月。
 紀州鉱山の真実を明らかにする会『《写真集》日本の海南島侵略と抗日反日闘争』写真の会パトローネ、2007年2月。
 李昌妥『白石嶺槍声』2007年、自費出版。
 中共文昌市委党史研究室・中共文昌市東閣鎮宝芳辦事処委委員会編(執筆、符積錫)『宝芳革命史話』2008年4月。
 張一平・程暁華『海南抗日戦争史稿』(海南歴史文化体系 歴史巻)、南方出版社・海南出版社、2008年4月。
 李徳芳『琼崖革命史』(海南历史文化大系. 历史卷)、南方出版社;・海南出版社、2008年4月。
 海南革命史研究会編『瓊崖風雷』海南出版社、2010年4月。
 符悦龍主編『瓊崖紅色記憶』上下、南海出版公司、2011 年6月。
 中共昌江黎族自治県党史研究室編刊『昌江県革命遺址縦覧』2012年6月(前言・後記)。
 李徳芳主編『琼崖革命简史』中国社会科学出版社、2013年8月。
    
防衛研究所戦史研究センター史料室(前防衛研究所図書館)蔵『海南警備府戦時日誌』・『海南警備府戦闘詳報』(30冊)、『海南海軍警備府引渡目録』(33冊)、『海南島ニ於ケル中国共産党』、『海南島敵匪情況』。 毎月作成されていた『海南警備府戦時日誌』には、各号に、「海南島敵勢力分布状況一覧表」が添付されている。

※Ⅳ、日本政府・日本軍・日本企業の海南島における犯罪
        毒ガス大量使用、組織的生体解剖以外の犯罪のほとんどを、日本軍は
       海南島でおこなった。
■軍事:
★住民虐殺、「処刑」、村落破壊、放火、暴行、略奪。
     「朝鮮村」虐殺、月塘村虐殺、后石村虐殺、咸来虐殺、長仙聯村虐殺、文池村・龍興
    村虐殺、楽羅村虐殺、古橋村・東寨村虐殺、大坡村虐殺、北岸郷虐殺、秀田村虐殺、
    昌文村虐殺、白石嶺村虐殺、排田村虐殺、賜第村虐殺、黄竹镇大河村・后田村・牛耕坡
    村・周公村虐殺、老欧村虐殺、南北溝村虐殺、林村村虐殺、石馬村虐殺、金牛流坑村虐
    殺、鳌頭村虐殺、旦場村虐殺、土卜村虐殺、南文村虐殺、光田村虐殺、下市尾村虐殺、
    昌美村虐殺、調楼村虐殺、排坑村虐殺、八所虐殺、沙土虐殺、共建村(元、牙寒村)虐
    殺、港坡村虐殺、礼亭村虐殺、三十笠村虐殺、三竈島虐殺……
        「海南部隊命令」第19号、「1941年海南島緊急米穀対策要綱」。
★港湾、道路、橋梁、鉄道、軍事施設(飛行場、司令部、兵舎、要塞、望楼、砲台、トーチカ、火薬庫、給水塔、軍用倉庫、軍用洞窟)などを整備・新設。 農地・住宅などを破壊して建設。
 日本軍飛行場跡;加来飛行場跡、潭牛飛行場跡、掃水飛行場跡、三亜飛行場跡、英州飛行場跡、黄流飛行場跡
★軍用洞窟跡 雷虎嶺日本軍用洞窟跡、中村日本軍用洞窟跡、南林日本軍用洞窟跡、「特攻艇震洋」格納用新村洞窟跡、「特攻艇震洋」格納用三亜洞窟跡
■軍事・社会: 
★性暴行(強姦、日本軍隊性奴隷化(「慰安所」設置・監禁室設置)。
 2001年7月16日、林亜金さんら8人の女性が、日本国に謝罪と賠償を求める「海南島戦時性暴力被害訴訟」をおこした。
 海南島における日本軍性奴隷は、「慰安所」に入れられた女性もいたが、各地の村落に侵入した日本軍の小隊が、「駐屯所」に独自につくった監禁所に拘禁された女性もいた。裁判の原告の8人は、すべてそのような村の少女だった。張応勇さんは、海南島で少女たちは「戦地服務隊」(あるいは「戦地后勤服務隊」)に入れられたと言っていた。
      ◆参照:朴来順口述、張応勇整理「不堪回首的往事 一個“慰安婦”的自述」、政
         協海南省保亭黎族苗族自治県委員会文史資料工作委員会編『保亭文史』9(紀
         念抗日戦争勝利50周年)、1995年8月。張応勇「日軍“戦地服務隊”中的黎
         族婦女」、『保亭文史』9。
 2001年11月の東京地方裁判所での第1回裁判のとき、原告のひとり黄有良さんが証言し、2005年3月に、林亜金さんと張応勇さんが証言し、2006年3月に、陳亜扁さんが証言した。 
 8人の原告のうち、譚玉蓮さんは2003年12月に、黄玉鳳さんは2004年9月に亡くなり、2016年4月現在ご健在なのは陳亜扁さん黄有良さんだけになったが、2017年5月に陳亜扁さんが、2017年8月に黄有良さんが亡くなった。   
 一審判決は、2006年8月30日。東京地方裁判所民事24部(矢尾渉裁判長)は、日本軍の犯罪事実を具体的に明確に認定しながら、原告の名誉回復と日本政府の謝罪と国家賠償請求を棄却した。裁判長は、日本国の不法行為性を認定しながら、司法の正義を守ろうとしないで、原告の請求をすべて棄却した。
 林亜金さんと張応勇さんが、東京地方裁判所で証言した2日後、2005年3月18日に、東京高等裁判所で、中国人「慰安婦」裁判第2次訴訟の控訴審判決が出された。この判決を、林亜金さんと張応勇さんは傍聴した。郭喜翠さんと侯巧蓮さんは、1996年2月に、被害事実の認定と、日本政府の公式謝罪と賠償を求めて提訴したが、侯巧蓮さんは、1999年5月に、亡くなった。
 控訴審判決は、原告が1949年から中華人民共和国政府のもとに生活しているにもかかわらず、1952年に蒋介石政権との間に締結された「日華平和条約」にもとづいて、原告の損害賠償請求権の放棄を認定する不当判決だった。
◆参照:中国人戦争被害賠償請求事件弁護団『返してください、私の名誉を、尊厳を!!(海南島謝罪文交付等請求事件)』中国人戦争被害者の要求を支える会、2001年11月28日。
「海南島戦時性暴力被害訴訟」弁護団杉浦ひとみ「10年かかって、私たちは彼女たちに何をしてきたのか」(海南島近現代史研究会『会報』第2号、2009年2月)、杉浦ひとみ「最高裁判決をまえにして」、杉浦ひとみ「判決直後の思い」、杉浦ひとみ「戦いはまだ終わっていない」、東京高等裁判所の判決に対する弁護団声明、最高裁判所の判決に対する弁護団声明(海南島近現代史研究会会誌『海南島近現代史研究』第2号・第3号、2011年2月)。
 余靖・何怡欣・吴雪・魏灵玲『控诉:采访九位海南“慰安妇”实录』南海出版公司、2016年4月。
■軍事・経済: 
★金融支配。「軍票」乱発。 
★新都市建設、鉱山開発、電源開発。 
★強制連行・労働強制。 暴行死・事故死・病死・餓死。 
★漁業資源・森林資源収奪・砂糖、ゴム、薬草……収奪。海南島農林開発委員会設置(日本企業30数社)。 
★土地収奪 → 熱帯産農産物事業会社が綿花、ゴム、サトウキビなど栽培・日本人「農業移民」。 
★アヘン生産。
■軍事・政治:
★行政機関設置(三省〈外務省、海軍省、陸軍省〉連絡会議)。傀儡政府創作。
★「治安維持会」・「良民証」による住民相互監視・管理。
■軍事・文化: 
★「ヒノマル」・「キミガヨ」おしつけ、天皇賛美強制、日本語使用奨励(日本語学校設置)。

※Ⅴ、1998年から20年間、海南島で
 1998年から20年あまり、海南島のおおくの村や都市を訪ね、日本政府・日本軍・日本企業がおこなった侵略犯罪の犠牲者、遺族、目撃者から証言を聞かせてもらうとともに、侵略犯罪の現場を「調査」。同時に、海南島民衆の抗日反日闘争の歴史をたどってきた。
 歴史研究を職業としていないが、丹念に持続的に日本の侵略犯罪の歴史を追究し、自らが住んでいる地域の犠牲者の名を明らかにし、被害の実態を記録している人たちと出会い、おおくのことを学ばせてもらってきた。
 万寧市月塘村で、澄邁県沙土(聖眼村、欽帝村、福留村……)で、瓊海市長仙聯村で、文昌市秀田村で、文昌市昌文村で、文昌市白石嶺村で、文昌市排田村で、文昌市石馬村で、文昌市林林村で、文昌市昌美村で、瓊海市北岸村で、定安県大河村で、陵水黎族自治県后石村で、陵水黎族自治県九尾村で、東方市八所村で、東方市旦場村で、東方市新街村で…………。

【連鎖】 木本トンネル → 紀州鉱山の坑道 → 海南島の日本軍洞窟 → 太平洋の島々の日本軍洞窟 → 硫黄島の数百本のべ18キロの地下坑道(「横穴陣地」)を朝鮮人も掘らされた。
海南島・ウルマネシア 1945年

【証言】
楊必森さん(1922年生)  文昌市東閣鎮鳌頭村で、2014年10月30日
 「(1943年)3月6日の朝、日本軍は村の入り口を封鎖した。このころはサツマイモの収穫時期で、母はその日の朝、サツマイモを薄く切ったものを乾燥させるために村の外にでて、日本兵と出会った。日本兵は母のはらを突き刺した。母は銃剣を両手でつかんで手も切られ、その場で死んだ。
 家の地下に穴を掘ってあった。日本兵が来たので兄と自分はそこに隠れた。日本兵は家に火をつけたが、煙がひどくて隠れていられず出ていった。兄と自分はつかまった。えりくびをつかまれ、ガソリンをかけられ尻を蹴られ火のなかに放り込まれた。兄は足をやけどし、わたしは火の中に手をついたので、両手をやけどした。腕の皮膚が焼け落ちた。日本軍がいなくなって火から逃げ出した。日本兵は4、5人だった。母は、邢氏。兄の名前は、楊必雄。兄はやけどがひどくて、1948年に死んだ。わたしより4歳上。わたしは孤児となってあちこち放浪して暮らした」。

【海南島 侵略と植民地支配の調査から】
 田独鉱山の「日寇時期受迫害死亡工友紀念碑」(1958年4月建立)
 東方市八所港に建てられていた「日軍侵瓊八所死難劳工紀念碑」(1998.6.27.)
 石碌鉱山を「開発」するために日本窒素がつくった東方発電所跡
 石碌・三亜間鉄道(三亜の近く、2003.8.4.)
 日本窒素がつくった東方発電所跡(2002.3.29.)
 英州鎭大坡村の碑「英州日軍殺害八千同胞遺址」(2012年建立)と「受難同胞永垂不朽」の碑(中国人民解放軍駐海南島部隊87分隊が1967年4月に建立)(2015.11.21.)
 英州鎭大坡村の飛行場跡を歩く胡京宏さん(1927年生)(2003.3.25.)
 日本軍に虐殺された人たちが埋められている現場(白沙黎族自治県邦溪鎮南北溝村)。近くに日本海軍横須賀鎮守府第4特別陸戦隊の基地があった(2015.1.19.)
 楽会県北岸郷の「五百人碑」(2002.10.12.)
 文昌市秀田村の日本軍に破壊された家の跡(2003.3.27.)
 秀田村の碑の前で、左から、陳明宏さん、陳胎僑さん、陳胎芳さん
 文昌市東閣鎮林村村の「抗日戦争遇難郷親紀念碑」(1995年仲秋建立、2015年4月4日にはじめての追悼集会、2011.11.5.)
 文昌市東閣鎮鳌頭村で証言する楊必森さん(1922年生)
 文昌県重光鎮昌文村で李重発さん(1931年生)に話を聞く(2002.10.8.)、2003年3月25日(2回目)、2014年11月3日(3回目)
文昌県重光鎮昌文村の追悼碑(2002.10.8.)
文昌県重光鎮白石嶺村の追悼碑(2002.10.8.)
文昌市重興鎮排田村の追悼碑(2003.3.25.)
定安県黄竹鎮の追悼碑(2002.10.9.)
長仙聯村(2011.10.31.)
「“三・一”被難公塚」「楽会県互助郷坡村長仙三古南橋雅昌佳文風嶺吉嶺官園等村抗戦死難民衆公墓」(2007.10.18.)
南渡江鉄橋跡(2003.8.1.)
三亜飛行場滑走路跡(1998.6.26.)
掃水飛行場の滑走路跡(楽東黎族自治県向陽村・多建村・克界村、2014.3.24.)
黄流飛行場滑走路跡。黄流飛行場跡に残る日本軍施設建物とトーチカ群
共建村‹元、牙寒村›(瓊中黎族苗族自治県。2016.4.28.)
特攻艇震洋格納用新村洞窟跡(2002.4.4.)
趙向盈さん(1918年生)の案内で新村鎮石頭村の特攻艇基地跡に行く(2000.3.26.)
旦場抗日遇難同胞紀念碑除幕(2015年3月19日)
田独鎮紅沙の「慰安所」があった敷地(楡林港、田独鉱山が近い。1998.6.25.)
紅沙「慰安所」の建物の屋根瓦(1998.6.25.)
石碌の「慰安所」跡(1998.6.28.)
新盈の「慰安所」跡(2002.3.31.)
保亭黎族苗族自治県保亭にある朴来順さんの墓(2006.4.3.)。朝鮮から広州を経て海南島に連行されて来た朴来順さんは、解放後も故郷に戻ることなく、1995年、海南島で亡くなった。故郷は、慶尚南道咸安。
海口市中山路の「慰安所」として接収された建物(2002.10.16.)
陵水黎族自治県陵水の「慰安所」として接収された家(2002.10.21.)
王亜交さん:陵水の「慰安所」で、食事のしたくや水運びなど、女性たちのせわをした(2002.10.21.)
韓国挺身隊研究所とともに(2002年10月):陳金玉さんの家の前で、鄧玉民さんを囲んで、陳亜扁さんに話を聞く
林亜金さんと張応勇さん:2005年3月18日、東京高等裁判所前で
2006年8月30日、東京地裁での「海南島戦時性暴力被害裁判」判決日。中央が、陳亜扁さん
保亭黎族苗族自治県新政鎮番雅村の虐殺現場の碑(番雅侵琼日军兵营旧址 2018.10.23)
海口市甲子鎮文池村・龍興村の近くの虐殺現場:黄土坡(2018.10.29)
   海口市咸来鎮木石村(現、福沢村)で(2018.10.30)
   海口市秀英区永興鎮の雷虎嶺日本軍用洞窟跡
保亭黎族苗族自治県南林の日本軍用洞窟跡
横須賀鎮守府第四特別陸戦隊「横鎮四特戦闘詳報第五号」につけられている「龍衛新村戦闘圖」
東方市新龍鎮新村で夫が爆死した場所を指さす張亜香さん(2011.3.2)
儋州市海頭鎮南港村の旧市街にある民家。日本軍学校として接収された
   儋州市和慶鎮美霊村の日本軍がアヘン栽培をしていた場所

■海南島での出会いと別れ
 張応勇さん(1940年~2005年) 保亭黎族苗族自治県保城鎮
 朱学平さん(1933年~2011年) 万寧市万城鎮月塘村
 周学勤さん(1936年~2014年) 「朝鮮村」(三亜市田独鎮荔枝溝郷南丁)
 呉育新さん(1933年~2014年) 海口市美兰区三江镇上雲村(旧、海口市咸来鎮上雲村)
 林亜金さん(1926年~2013年) 保亭黎族苗族自治県南林郷什号村
 陳亜扁さん(1927年~2017年) 陵水黎族自治县本号敬老院宿舍
 王鎮寧さん(1932年~2017年) 海口市永興鎮儒東村

(二) 海南島近現代史のなかの世界近現代史   海南島の世界史
 1869年9月のアイヌモシリ植民地化から150年、1939年2月から80年
 海南島戦争: アジア太平洋全域における抗日反日闘争の一環
 世界近現代史のなかの海南島近現代史 ⇔ 海南島近現代史のなかの世界近現代史
 海南島近現代史・アジア近現代史・世界近現代史
■侵略者の世界史は、被侵略者の抵抗の世界史
 世界近現代史は、帝国主義諸国の他地域他国侵略と被侵略諸地域諸国の民衆の反撃の歴史。
     2015年に中国で:纪念中国人民抗日战争暨世界反法西斯战争胜利70周年活動(中
    国人民抗日戦争ならびに世界反ファシズム戦争勝利70周年記念行事)。
     中国抗日戦争:「満洲事変」(1931年9月~ )→「北支事変」(1937年7月~9月3日)→
    「支那事変」(1937年9月3日~41年12月12日)→「大東亜戦争」(1941年12月8日、「米
    國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」。1941年12月12日閣議決定~ 。12月9日、中国政府、
    日本に宣戦布告。1942年1月12に日本政府オランダに宣戦布告)→太平洋戦争(1945
    年末~ )→アジア太平洋戦争
■日本の近現代史は、他地域他国侵略の歴史
 アイヌモシリ侵略、琉球王国侵略、台湾侵略、朝鮮侵略、南洋侵略、中国東北部侵略、モンゴル東南部侵略、中国本土侵略、海南島侵略、アジア太平洋侵略。
 1945年8月以前も以後も、1868年からの国民国家日本の他地域他国侵略の構造は同じ。
■国民国家日本の侵略犯罪の社会的軍事的思想的構造
◆国家と社会と個人
 維新クーデタ→天皇の軍隊(臣民の軍隊)の創設
◆天皇の軍隊による住民虐殺、性暴力、略奪(略奪による補給)
◆民権・国権・愛国心
■戰後? 日本国家の他地域他国侵略の歴史は終わっていない。ゼロからの出発という虚偽
 1945年8月以後、天皇制を前提とした「平和憲法」下の日本国家・日本軍の他地域・他国侵略。
 朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争に実質参戦。
 アジア太平洋侵略戦争は誰がおこなったのか。
 日本民衆は侵略戦争の加害者として戦争に反対しているか。
 秘密保護法・戦争法反対運動、護憲運動、憲法9条改悪阻止運動において:「戦争はいやだ」とは言うが、 「侵略はいやだ」とは言わない日本人が少なくない。 
 なぜか:1、日本国家の他地域他国侵略の歴史を学んでいない、学ぼうとしていない。
      2、侵略の実体を知らない、知ろうとしない。
      3、加害者であるという自覚がない。したがって、真の加害者を認識できない。
 侵略。戦争。占領。領土化。植民地化。併合。不等価交換。
 侵略と開発、ポストコロニアリズム
 ※現在の侵略 天皇制を前提とした「平和憲法」下の日本国家・日本軍の他地域・他国侵略。
      朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争に実質参戦。
      1979年6月12日 「元号法」公布・施行。
      1999年8月13日、侵略の旗「ヒノマル」を国旗に、天皇賛歌「キミガヨ」を国歌に。
           8月25日、他地域・他国軍事侵略のための「周辺事態法」を施行。
      2001年12月2日、日本海軍軍艦が、アラビア海で作戦行動中のアメリカ合州国軍艦
            に燃料を洋上補給。アフガニスタン侵略戦争・アフガニスタン民衆殺
            戮に直接荷担。このとき、アジア太平洋戦争後はじめて、日本正規軍
            が侵略戦争に参戦。
      2004年1月から日本政府は日本軍を、アメリカ合州国のイラク侵略戦争に参戦させた
            (2004年1月、日本軍サマワに侵入)。日本は、ファルージャやバスラ
            などイラク各地でのアメリカ合州国軍の民衆虐殺に間接的に荷担。
      2011年11月から日本軍南スーダンに侵入(2015年12月から「第9次要員(基幹:第10
            師団)が侵入。2017年5月撤退開始)。
      2013年12月6日 秘密保護法成立。2014年12月10日施行。
      2015年9月30日、戦争法(「平和安全法制整備法」+「国際平和支援法」)公布。「周辺
            事態法」を「重要影響事態法(重要影響事態に際して我が国の平和及び
            安全を確保するための措置に関する法律)」に改名・改悪 
      2016年3月29日、戦争法施行。
      2017年7月11日、「共謀罪法(改正組織犯罪処罰法)」施行。
■他地域他国侵略をゆるさない民衆の歴史認識
  琉球王国、台湾民主国、マダガスカル(メリナ王国)、ハワイ王国。
   アヘン戦争、義和団戦争、マジマジ戦争、義兵戦争、シベリア戦争、台湾戦争、海南戦争。
   シオニストのパレスティナ侵略・「イスラエル国」の歴史は、USA……日本国……の歴史。

(三) 歴史認識の方法・意味
 アジア太平洋への国民国家日本の侵略犯罪の歴史的事実を示す証拠のおおくは犯罪者によって抹消・隠蔽されているが、史料(文書・写真、遺物、遺跡)」を証拠とする民衆の実証的な歴史研究によって明らかにすることができる。
Ⅰ、歴史認識の手段
■証言・記録(史料〈報告書・手記・日誌・新聞……〉)・映像・録音・遺物・遺跡・歴史地図・年表……。
   証言:被害者・目撃者からの聞きとり。死者からは、聞きとりできない。
      加害者(日本人)による聞きとり。加害者からの聞きとり。犯罪の「記憶」。
          旧日本軍兵士、朝鮮総督府行刑関係者の沈黙・証言(告白)拒否。
         沈黙のままの自然死。数人が広東裁判で死刑。ほとんどが「帰還」。
※「日本人がなぜあのように残酷なことをやれたのか、理解できない」李琳。
       証言を聞く者のありかたが、証言の質を決定する。
   証言の真実性を検証しなければならないのは当然のこと。問題は、その方法。
   史料の収集とその批判的分析は、歴史的事実を知る作業の基礎。
   記録(ことば。文書。映像):被害の記録、加害の記録。
■モノ・「場」
 アジア太平洋戦争の「場」。 犯罪現場・抗日根拠地。交錯する「場」。
 住民虐殺はほとんど「遺跡」として残されていない。「戦争遺跡」というコトバには、侵略犯罪の証拠という意味が薄い。侵略犯罪の巨大さを隠してしまう。
■「現地調査」・必然的な偶然の出会い。
■さまざまな人生・体験   被害者の人生  犠牲者の生と死。  加害者の人生。
 国民国家日本の国民(1947年5月2日までは「大日本帝国臣民」)は、異族からものを奪い、異族を殺害してきた。殺された人たちの名前は、ほとんど記録されていない。名前が記録されていないということは、その人たちの生涯をたどることが極めて難しくなっているということ。
■国民国家日本の国家犯罪を、総体として認識し伝達する方法。
 国民国家日本の国家犯罪にかかわる諸事実を詳細に具体的に探索し記録することが重要。
■今後の「証言、史料(文書・写真、遺物、遺跡)」の「把握」の展望。
 証言者が少なくなっていくとともに、証言者の記憶が鮮明でなくなっていくという問題。
 日本軍が海南島侵略を開始した1939年に10歳だった人は、2019年には90歳。1945年に10歳だった人は、2019年には84歳。
 記憶違いや曖昧な記憶に基づく証言の信憑性を確かめること。
 証言の客観性・真実性を保証する証言者と聞きとりしり者との関係。
 聞きとりを記録する者の歴史研究・歴史認識の方法。

Ⅱ、聞きとって、どうするのか
 日本政府・日本軍の侵略犯罪の解明 → 責任追及(犯罪の責任・犯罪を隠しつづけてきた責任)→ 国家謝罪・国家賠償、責任者処罰(侵略犯罪の最悪の責任者は、ヒロヒト)。
 海南島に侵入した日本企業(三井物産、日本窒素、石原産業、西松組〈現、西松建設〉、浅野セメント、王子製紙、武田薬品、資生堂、三越、トヨタ自動車、明治製糖、……)の過去と現在の侵略犯罪解明・責任追及。
     「こんなことをやった日本人を銃で殺せなかったのがくやしかった」(陳胎芳さん、海
    南島文昌市秀田村)。

(四)日本民衆が解放のインターナショナリズムを実現する前提
■グローバリズム=ナショナリズム ⇔ 解放のインターナショナリズム
 1、日本国家の他地域他国侵略の歴史(侵略の原因、動機、経過、実体)を知り、
 2、過去と現在と未来の侵略の歴史を克服し、
 3、日本ナショナリズムと対決する。 
■日本ナショナリズムとの対決  日本ナショナリズムの根源:天皇制
 日本民衆(労働者、農民、会社員、漁民、商人、官吏、医者、看護師、店員、教師、主婦……)は、なぜ天皇制を支持し、他地域他国侵略を実行したのか。しているのか。
■友好、親善、和解
 日本政府が国民国家日本の侵略犯罪事実を認め、謝罪し、賠償し、責任者を処罰することなしに、日本国とアジア太平洋諸国との友好、親善、和解は成立しない。
 日本民衆が、日本政府に国民国家日本の侵略犯罪事実を認めさせ、謝罪させ、賠償させ、責任者を処罰させることなしに、日本民衆とアジア太平洋諸国の民衆との友好、親善、和解は成立しない。
 タスマニア虐殺・ヘレロ虐殺・マジマジ虐殺…………、世界近現代史におけるジェノサイド・エスノサイドの総括は、世界史研究の領域においてもほとんどなされていない。
■連帯・共同闘争
 アジア太平洋民衆と日本民衆の連帯は、アジア太平洋民衆と日本民衆の共同闘争。

(五)おわりに 個人史のなかの世界史・地域史のなかの世界史
   歴史認識 想像力(すべては、現在・昨日のこと) 事実認識 時間・場。
   現在の、日常のなかの世界史。 侵略の世界史 ⇔ 抵抗の世界史。
   民衆運動としての歴史認識・民衆運動のなかでの歴史認識・民衆運動の深化のための
  歴史認識。

海南島近現代史研究会第23回定例研究会

2019年01月01日 | 海南島近現代史研究会
 今月(2019年1月)26日の集会「海南島で日本は何をしたのか 住民虐殺・略奪・労働強制・性奴隷化、抗日反日闘争」につづいて、2月9日に、海南島近現代史研究会の23回目の定例研究会を開きます。
 主題は、「証言、史料(文書、映像・音声、遺物、遺跡)」です。
 みなさんの参加を待っています。
      1月26日の集会については、このブログの2018年12月13日の「海南島で日本は何を
     したのか 住民虐殺・略奪・労働強制・性奴隷化、抗日反日闘争」、および設置理念に
     則ったピースおおさかを取り戻す会のブログの「【集会案内】海南島は日本で何をした
     のか」 http://regainpeace.blog.fc2.com//blog-entry-17.html をみてください。

                 海南島近現代史研究会  http://www.hainanshi.org/


■海南島近現代史研究会第23回定例研究会
 海南島だけでなく、アジア太平洋への国民国家日本の侵略犯罪の歴史的事実を示す証拠のおおくは犯罪者によって抹消・隠蔽されていますが、証言、史料(文書、映像・音声、遺物、遺跡)を証拠とする民衆の歴史研究によって明らかにすることができます。
 2017年2月9日の定例研究会で、「証言・記録・伝達」を主題として証言と証拠文書に基づいて日本の侵略犯罪の歴史的事実を明らかにし、それを伝達する道筋を話し合いました。その2年後の定例研究会で、証言と史料を民衆の力で集め分析する方法についてさらに討論を深めたいと思います。
 日本の侵略犯罪、抗日反日闘争にかかわる証言、史料の「確保」と分析は、海南島に限っても容易ではありません。証言者が少なくなっています。日本軍が海南島侵略を開始した1939年に10歳であった人は、2019年には90歳です。日本が敗北した1945年に10歳であった人は、2019年には84歳です。
 日本軍の海南島奇襲上陸(1939年2月10日)から80年。侵略犯罪の証拠を民衆の力で保存し、侵略犯罪の歴史的責任をとるべきものに具体的にとらせていく、個々の民衆のありかたについて話し合いたいと思います。
      
と き:2019年2月9日(土) 13時20分~17時(開場12時30分)
ところ:国労大阪会館 1階ホール  JR大阪環状線天満駅北口を出て右へ300メートル     
参加費:500円(会員は無料です)

主題:証言、史料(文書、映像・音声、遺物、遺物)
■主題報告 証言の客観性を保証する聞き手の主体のありかたについて      佐藤正人
■主題報告 海南島「朝鮮村」の朝鮮人虐殺現場での証言            金靜美
■主題報告 海南島での証言を聴いて  問う側から問われる側へ        斉藤日出治
■主題報告 極東国際軍事裁判文書に記録されている日本軍の海南島侵略犯罪 3
                                      日置真理子
■討論 日本軍の海南島侵入から80年。これからどうするか。
        日本のアイヌモシリ植民地化から150年。日本の海南島侵略から80年。国民国家
       日本の他地域他国侵略の歴史を終らせるこれからの民衆運動について。

■報告 「設置理念に則ったピースおおさかを取り戻す会」のこれまでの活動    竹本昇
■報告 資本主義への抗い方  一人の生活者の実践報告            小田伸也      
■調査報告 第20回(第33回)海南島「現地調査」(2018年10月)        佐藤正人
     海口市三江鎮古橋村、東寨村、羅梧村、眼鏡塘村、闘門村、龍泉鎮仁合村、雲龍鎮
    北橋村、甲子鎮文池村、龍興村、咸来鎮木石村、美蘭区桂林洋、陵水黎族自治県光坡
    鎮港坡村、提蒙郷礼亭村、本号鎮三十笠村・放馬村、保亭黎族苗族自治県保城鎮、新
    政鎮番雅村、三亜市崖州区(前、崖城鎮)水南村、領海村、長山村、楽東黎族自治州楽
    羅村、望楼港村、瓊中黎族苗族自治県紅毛鎮羅坦村、黎凑村、榮根鎮水潮村での証言
    を報告します。
■2019年春の海南島近現代史研究会の21回目(34回目)の海南島「現地調査」について

2018年10月の海南島「現地調査」の行程

2018年11月03日 | 海南島近現代史研究会
 先月(2018年10月)19日朝から30日夕刻まで、紀州鉱山の真実を明らかにする会としては33回目、海南島近現代史研究会としては20回目の海南島「現地調査」をおこないました。その行程は、つぎのとおりです。
                                        佐藤正人

 18日:海口市着。
 19日:海口市三江鎮の古橋村と東寨村を訪問。
 20日:海口市三江鎮羅梧村と眼鏡塘村、海口市龍泉鎮仁合村を訪問。
 21日:陵水黎族自治県光坡鎮港坡村を訪問。
 22日:陵水黎族自治県提蒙郷礼亭村、陵水黎族自治県本号鎮三十笠村・放馬村、
     保亭黎族苗族自治県保城鎮を訪問。
 23日:保亭黎族苗族自治県新政鎮番雅村、三亜市を訪問。
 24日:三亜市崖州区(前、崖城鎮)水南村、領海村、長山村を訪問。
 25日:楽東黎族自治州楽羅村、望楼港村を訪問。
 26日:瓊中黎族苗族自治県紅毛鎮羅坦村と黎凑村、榮根鎮水潮村を訪問。
 27日:海口市内の海南省図書館で資料閲覧。
 28日:海口市三江鎮闘門村、海口市雲龍鎮北橋村を訪問。
 29日:海口市甲子鎮文池村と龍興村を訪問。
 30日:海口市咸来鎮木石村(現、福沢村)、海口市美蘭区桂林洋を訪問。
 31日:海口市発。

海南島近現代史研究会第22回定例研究会・第12回総会(2018年8月18日)

2018年10月27日 | 海南島近現代史研究会
  「海南島近現代史研究の軌跡と現状、そして未来」を主題にしました。
 1998年6月にわたしたちは初めて海南島を訪問し、以来20年にわたって海南島の現地で日本の侵略犯罪、および民衆の抗日反日闘争に関する証言を聴かせてもらってきました。そして、今日に至るまで続いている日本の他地域および他国家の侵略の時代を終わらせるための民衆運動を追求してきました。この20年間でわたしたちが何をなしえたのか、これからどうすべきなのか、について話し合いました。
 2009年6月から9年間、海南島で共に調査、聞きとりをおこなってきた海南島人で海南島近現代史研究会の会員である邢越さんから「回顾和海南岛近现代史研究会共同走过的日子和今后的期待」が寄せられました。各報告のテーマと討論の要旨はつぎのとおりです。

■佐藤正人 「20年間に何ができたか,何ができなかったか」

■金靜美 「植民地朝鮮から海南島に連行された朝鮮人」

■斉藤日出治 「海南島における日本の国家犯罪と日本人の「戦後」責任」
 日本政府は、1941年12月8日に開始したにアジア太平洋戦争をその4日後に「大東亜戦争」と規定し、「アジアの植民地を解放し、大東亜細亜共栄圏を設立する」を戦争目的とし、その地域の資源を略奪し住民の生活を蹂躙し文化を破壊し人びとの生命を奪いました。
 海南島の軍事侵略下で日本がおこなった資源略奪、強制連行、強制労働、食糧の略奪の実態は、この「大東亜戦争」がどのようなものであったのかを示しています。
 日本の「戦後」は、「大東亜戦争」における犯罪を否認することから成り立っています。海南島における日本の国家犯罪はまるでなかったかのごとくにされています。わたしたちの運動は、この「戦後」社会の根底にある国家犯罪の否認を許さない闘いでもあります。

■竹本昇 「海南島における侵略の事実を伝える」

■日置真理子 「極東国際軍事裁判文書に記録されている日本軍の海南島侵略犯罪 2」
 「A級極東国際軍事裁判記録(和文)」の№50には、オーストラリアのW・エイケン医師の供述があります(アンボン島で捕虜になり、1942年11月に海南島に到着。不衛生な仮小屋で、食物がとても不足していた。よろめいている病人も労働を強制され、たびたび殴打された。多くが脚気、赤痢、飢餓、マラリア等で死んでいった)。
 この記録のなかの捕虜の証言に、日本が侵略して各地での暴行、殺人などが示されています。

■蒲豊彦 「三竈島と沖縄」
 日本海軍は日中戦争が激化する中で航空基地を建設するために1937年12月から香港近くの三竈島に侵入しその後7年近くにわたって占領を続けました。1938年4月にはその占領に反対する島の多くの住民を虐殺します。9月に航空基地がほぼ完成した後、1939~1941年に沖縄から三竈島に約350人の移民が侵入しました。
 日本敗北後、三竈島は中国の内戦の際に、中華民国政府が台湾に撤退するための撤退センターになりました。そのため、抗日ゲリラとして活躍したひとびとが、共産軍によって粛清を受け虐殺されました。

■竹本昇 「ピースおおさか改悪リニューアル裁判上告と「取り戻す会」の発足」
 このブログの2018年10月24日の「ピースおおさか改悪リニューアル裁判報告5」と10月25日の「「設置理念に則ったピースおおさかを取り戻す会」について」を見てください。

■全体討論  海南島近現代史研究の意味と今後の課題
 日本国家の政治的・経済的・社会的・文化的侵略構造は、19世紀後半から現在まで変わっていません。日本の他地域他国侵略の構造を破壊する民衆の歴史認識について討論しました。
 会場の参加者から、自分の家族の戦争体験、あるいは自分が取り組んでいる活動、さらには日本の現状における歴史認識のありかたなどについてたくさんの発言ありました。ごく一部ですが、紹介します。

Mさん 最近、私の母が亡くなりました。その関係で戸籍謄本を取り寄せたところ、私の父親の本籍地を調べたら、南満州南東、今は丹東だったことがわかった。私の父親は戦争体験世代だが、何も語りませんでした。話が聞けたら、今のおかしな日本の現状などが見えてくるのではないか。安倍晋三の祖父の岸信介は「満州は私の作品だ」と言ったが、その「作品」で、どれだけ、日本が、中国・朝鮮の人たちに迷惑をかけたか、考えなければなりません。

Yさん 海南島のことは、ぜんぜん知らなくって、日本の当時の侵略というのは、全面的であらゆるところで、あらゆるとんでもないことをしでかしてしたんだな、と思います。けれど、その調査されていない所がいっぱいある。この調査は、戦争なり侵略なり、そういう反人権的なおこないが将来にわたって繰り返されないようにするためですが、現在の時代の流れは、全く逆の方向に流れています。この流れに抗するためには、具体的に事実を僕ら自身が学び、とくに若い人たちが、学ぶ機会を持っていかんなあかんと思います。そのためにどうしたらいいのか、考えていきたいです。

Nさん わだつみ会で活動してきて、1970年ごろから、天皇制の問題と戦争責任の問題を大きい課題としてきました。それを、もっと、地についた形でやりたいと思って参加しました。

Mさん 母が先日、亡くなりました。自分と海南島は全く関係ないと思っていたのですが、生前の母の話しでは、戦時中に海軍でフィリピンに行き、フィリピンから逃げる時にアメリカ軍の潜水艦にやられて4隻しか残らず、その1隻が海南島で避難したと聴きました。

Bさん 自分の父は戦争中,中国の青島で小学校の教師をして,敗戦の末期に海軍に召集されたけれど、当時のことをほとんど話さない。でも、自分が今戦争をいやだと発言しなかったら父と同じことになるのではないか。今日の集会はとても勉強になりました。

■2018年秋の海南島近現代史研究会の20回目の海南島「現地調査」について

海南島近現代史研究会第21回定例研究会(2018年2月3日)

2018年10月26日 | 海南島近現代史研究会
 紀州鉱山の真実を明らかにする会が海南島における日本の侵略犯罪の「現地調査」を始めたのは1998年6月でした。2007年8月に、紀州鉱山の真実を明らかにする会のメンバーが中心になって海南島近現代史研究会を創立しました。
 わたしたちは、海南島で日本の侵略犯罪の実態を調査するとともに、海南島における抗日反日闘争の軌跡をたどってきました。その20年間のあゆみを前提にして、今回の定例研究会の主題を「日本の侵略犯罪・アジア太平洋民衆の抗日反日闘争」とし、アジア太平洋全域における国民国家日本の侵略犯罪を明らかにし抗日反日闘争の歴史を追究する実証的な民衆史の方法について話し合うことにしました。
 各報告のテーマと討論の要旨はつぎのとおりです。

■佐藤正人 「二〇年間(1998年―2017年),32回の海南島訪問の途上で」

■金城馨(関西沖縄文庫) 「琉球処分は続いている」 
 沖縄の青年が仕事を求めて大阪に来ても、彼らを待ち受けていたのは「朝鮮人・琉球人お断り」という差別と排除であった。
 この日本社会で生きていくために青年たちは自己防衛として1975年から「エイサー祭り」を始めた。「エイサー祭り」は沖縄の文化と民族としてのアイデンティティーを保持するものである。ところがそれが沖縄の先輩たちから「恥さらし」と批判を受けた。その背景には、現在も「琉球処分」が続いていることがある。1879年の「琉球処分」は、日本に同化することと迎合することを強要するものであり、これは、今も同じである。
 また、1903年の「人類館事件」のとき、本当の意味で事件化するのではなく、沖縄は日本人であるのに、アイヌモシリ・台湾・朝鮮・インド・ジャワ・マレーと同列に置いたことを問題にした。これは、日本人への同化を志向した負の歴史である。
 1924年には沖縄県民会を結成し差別に抗してきた。しかし、差別する側の日本人が、差別することをやめないなかで少数である沖縄人は、差別される側から差別する日本人の側に身を置くことで、生き延びるようになった。
 今、それを現在に当てはめると沖縄基地の「県外移設」がある。
 日本の平和運動が、すべての基地をなくすといいながら、沖縄に米軍基地が集中させてきた歴史がある。基地を押し付ける者と押し付けられた者との関係性と責任性を明確にするべきである。同じ日本人だから手を取り合ってアメリカの基地撤廃を闘う、というのではなく、日本人が沖縄に押し付けた基地をまず自分らで引き取ってから基地撤廃をいうのが、「県外移設」の意味だ。
 単なる権力と闘って基地が撤去できるのではなく、自分らが押し付けた基地を引き取ることによって、沖縄に基地を押し付ける暴力の共犯化を拒否することは、日本人、一人ひとりが自分の意志でできる基地反対闘争である。
 沖縄人には、人類館事件を事件にしなかった責任がある。植民地として支配されながら、植民地主義を克服できない責任がある。
 沖縄人はこの問題を問い直すなかで、アジアと、どう、つながっていくかを考えていかなければならない。

■金靜美 「海南島に連行された朝鮮人と台湾人の歴史」

■斉藤日出治 「海南島における日本の侵略犯罪と「大東亜戦争」」
 日本は1930年代から中国、モンゴル地域を侵略し、1940年代末からアジア太平洋地域を侵略する「大東亜戦争」を開始し、アジア太平洋地域の資源を奪いました。
 この方針が海南島はじめアジアの南方進出を図った日本軍の戦略のなかに明示されています。 
 海南島における住民虐殺、強制労働、資源・食糧・各種産業・家財の略奪、性暴力、住民の虐待、村落の破壊は、この奪い尽くし利用し尽くすそうとする戦略がもたらした帰結です。


■日置真理子 「極東国際軍事裁判文書に記録されている日本軍の海南島侵略犯罪 1」 
 「A級極東国際軍事裁判記録(和文)№50に、日本海軍によってインドネシアのアンボン島から海南島に連行されたオーストラリア兵捕虜の証言(同じ区域に中国人労働者が多数宿泊していた。約20人の中国人労働者が掘った穴に、120人ほどの中国人労働者がトラックで連れていかれ、その後悲鳴を聞いた)をふくむ記録があります。
 極東国際軍事裁判文書に記録されている日本政府と日本軍(特に日本海軍)の海南島侵略犯罪の分析はこれからの課題です。

■竹本昇 「「ピースおおさか」の侵略の事実隠しに対抗する裁判闘争」
 このブログの2017年11月2日の「ピースおおさか改悪リニューアル裁判報告4」と一昨日(10月24日)の「ピースおおさか改悪リニューアル裁判報告5」を見てください。

■全体討論  国民国家の侵略犯罪と抗日反日闘争
 国民国家日本の歴史はアジア太平洋侵略の歴史でした。この時代は全世界的な規模でいまも終わっていません。海南島近現代史に内包されている世界近現代史における国民国家の侵略犯罪の全容をいかに明らかにしていくかについて話し合いました。
 また、海南島近現代史研究会が提案した「日本政府に2015年12月28日の「日韓合意」の撤回を求める」集会決議案をめぐって討論がおこなわれました。以下は、そのときの発言の一部です。

Aさん 「慰安婦」について、日本軍が関与したということを知らない人が多い。日本は植民地支配しているところの女性を性奴隷にしたが、そこに軍および国が関与した。女性をそのように扱ったことを書き入れるべきだ。

Bさん 全面的に賛成します。「日韓合意」が話し合われた時点では、朴槿恵政権と安倍政権でした。ところが、連日、ソウルで100万人以上の民衆が立ち上がり朴槿恵政権を倒して、今の文在寅政権になった。民衆が立ち上がって大統領が替わった。状況が全く変わっているという認識が必要だ。元「慰安婦」にされた当事者とほとんどの民衆が反対している現状を認識するべきだ。

Cさん 全面的に賛成です。マスコミでは、国と国との合意を今さら、みたいな論調が目立っているが、国連の方では、女性差別撤廃委員会と拷問禁止委員会と自由規約委員会が、この合意はおかしい、撤廃するべきと言っており、国際的には日本政府の方が批判されている。

Dさん この案に全面的に賛成です。「不可逆的」という言葉を使うことは、反省していないということだ。侵略戦争の反省なしに合意などありえない。

Eさん 少女像のまっすぐな目つきをまともに見られないのだろう。まともに見られるようになるまで、ゴメンなさいと言い続けるべきです。世界中に少女像が建てられたらいいと思う。

Fさん 若い人と、このようなことに興味のない人に広めることが大事と思っています。

Gさん 被害者が納得していないのに加害者が一方的に押し付けるのは解決ではない。相手が納得するまで、
謝らないかん。これは、国家も個人のことも同じだ。「日韓合意」は撤回が正しい。

※ その後、この抗議要請文を集会参加者一同の合意で決議しました。
  抗議要請全文は、2018年2月3日のこのブログに掲載してあります。

海南岛近现代史研究会第12次总会・第22次定期研究会

2018年07月24日 | 海南島近現代史研究会
■海南岛近现代史研究会第12次总会・第22次定期研究会
  查明纪州矿山真相研究会以调查石原产业在海南岛的企业犯罪为主要目的,于1998年6月在海南岛开始展开调查。海南岛近现代史研究会于2007年8月创立。
  至今为止,查明纪州矿山真相研究会共计32次前往海南岛调查,海南岛近现代史研究会前往海南岛调查的次数也达到了19次。在海南岛各地,听取日本的侵略犯罪,海南岛民众的抗日反日斗争的证言。与此同时,在韩国国内听取被强行带到海南岛的朝鲜人的证言,在日本国内寻找分析与海南岛侵略相关的历史资料,取得了与曾经入侵海南岛的日本人面谈。
  我们将国民国家日本对其他地域其他国家的侵略时代结束的民众运动基础变成确实可行。海南岛近现代史研究会的章程里,提到“本研究会具体综合地把握日本的侵略犯罪实况,查明其对海南岛的政治,经济,文化,社会结构造成的破坏,追究其历史责任”、“本研究会将查明海南岛的抗日反日斗争历史”。
  从1998年6月至今的20年里,我们向大家汇报海南岛近现代史研究会的轨迹和现状,希望和大家一起讨论今后如何更具体地展开活动。

     时间:2018年8月18日(星期六)13时00分~17时(12时30分开场)
     地点:国劳大阪会馆 1楼大厅 
             从JR天满站出口往右拐(樱之宫站方向)200米          
     参加费・资料费:500日元(会员免费)

主题:海南岛近现代史研究的轨迹,现状及未来
■主题报告  20年里,已做到的,未能达成的                     佐藤正人
■主题报告  从殖民地朝鲜强行带到海南岛的朝鲜人                金静美
■主题报告  在海南岛的地域上日本的国家犯罪和日本人的“战后”责任    齐藤日出治
■主题报告  讲述在海南岛的侵略事实                         竹本升
■报告 远东国际军事法庭的文件里记录的日本军在海南岛侵略犯罪 2    日置真理子

■讨论 研究海南岛近现代史的意义及今后的课题 
  国民国家日本在阿伊努摩西利,琉球的殖民化过程,在侵略台湾,朝鲜的过程中,不断增强军备,建设和强化经济基础构造。日本国家的政治,经济,社会,文化的侵略构造从19世纪后半期开始至今都没有改变。现在,日本政府在准备进行纪念“明治150年(2018年) ”的活动。
  我们希望讨论破坏日本之外其他地域其他国家的侵略构造的民众历史认识。

■报告  对“大阪国际和平中心”的展示恶改 法院上诉及“恢复会”的成立     竹本升
■关于2018年秋季海南岛近现代史研究会第20次海南岛“现地调查”

               海南岛近现代史研究会  http://www.hainanshi.org/

海南島近現代史研究会第12回総会・第22回定例研究会

2018年07月23日 | 海南島近現代史研究会
 8月18日に、第12回総会・第22回定例研究会を開きます。
 主題は、「海南島近現代史研究の軌跡と現状、そして未来」です。
 みなさんの参加を待っています。
                        海南島近現代史研究会
                        http://www.hainanshi.org/

■海南島近現代史研究会第12回総会・第22回定例研究会

 紀州鉱山の真実を明らかにする会が、石原産業の海南島での企業犯罪調査を主目的として海南島を始めて訪ねたのは1998年6月でした。海南島近現代史研究会の創立は2007年8月でした。
 これまで、紀州鉱山の真実を明らかにする会は32回、海南島近現代史研究会は19回、海南島を訪ね、各地でおおくの人たちに、日本の侵略犯罪、海南島民衆の抗日反日闘争についての証言を聞かせてもらうとともに、韓国国内で海南島に連行された朝鮮人の証言を聞かせてもらい、日本国内で海南島侵略にかんする史資料を網羅的に探索し分析しつつ海南島に侵入した日本人に面会を求めてきました。
 わたしたちは、国民国家日本の他地域他国侵略の時代を終らせる民衆運動の基礎を確実なものにしようとしてきました。海南島近現代史研究会は会則で、「本会は、海南島における日本の侵略犯罪の実態を具体的・総合的に把握し、それが海南島の政治的・経済的・文化的・社会的な構造をどのように破壊したのかを究明し、その歴史的責任を追及します」、「本会は、海南島における抗日反日闘争の歴史を究明します」としています。
 1998年6月から20年間の、わたしたちの海南島近現代史研究の軌跡と現状を報告し、今後、さらに具体的になにをなすべきかについて、みなさんと話し合いたいと思います。

と き:2018年8月18日(土)13時00分~17時(開場12時30分)
ところ:国労大阪会館 1階ホール  
        JR天満駅改札口を出て右へ(桜ノ宮駅方向へ)200メートル
参加費・資料代:500円(会員は無料です)

主題:海南島近現代史研究の軌跡と現状、そして未来
■主題報告 20年間に、何ができたか、何ができなかったか            佐藤正人
■主題報告 植民地朝鮮から海南島に連行された朝鮮人             金靜美
■主題報告 海南島における日本の国家犯罪と日本人の「戦後」責任      斉藤日出治
■主題報告 海南島における侵略の事実を伝える                  竹本昇
■報告 極東国際軍事裁判文書に記録されている日本軍の海南島侵略犯罪 2  日置真理子

■討論 海南島近現代史研究の意味と今後の課題
 国民国家日本は、アイヌモシリ・琉球植民地化、台湾侵略、朝鮮侵略……の過程で、軍備を増強し、経済基礎構造を建設・強化してきました。日本国家の政治的・経済的・社会的・文化的侵略構造は、19世紀後半から現在まで変わっていません。いま日本政府は、「明治150年(2018年)」記念行事の準備をすすめています。日本の他地域他国侵略の構造を破壊する民衆の歴史認識について討論したいと思います。

■報告 ピースおおさか改悪リニューアル裁判上告と「取り戻す会」の発足    竹本昇
■2018年秋の海南島近現代史研究会の19回目の海南島「現地調査」について