ICT工夫
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2010.10.24 昭和レトロの青梅宿、その1 の続きです。
「昭和レトロの青梅宿」 の全体はこの地図で通り名が記載されている地域になるようです。「赤塚不二夫シネマチックロード」が旧青梅街道で私が初めて歩いた通りです。その他の横道、裏通りは次の機会に探訪したいと思っています。
青梅にどうして「赤塚不二夫」なの?という疑問は、「青梅赤塚不二夫会館 ごあいさつ」のページから分かります。「ぶらり青梅宿の経歴」から分かるように、平成3(1991)年からアートフェスティバルを始め平成11(1999)年になってようやく「昭和レトロ」というコンセプトを確立され、「第9回青梅宿アートフェスティバル」でそれが明確に打ち出されたようです。「昭和レトロ」というフレーズは青梅が発祥の地であると大宅壮一文庫のお墨付きとのことです(^o^)
その昭和を代表するマンガ家として赤塚不二夫さんと話が進み、既に久保板観(くぼ ばんかん)氏により「映画看板のまち」が形成されていた事から平成15(2003)年「青梅赤塚不二夫会館」の開設に結びついたそうです。このあたりのコンセプトの展開はNPO法人ぶらり青梅宿記事をご参照ください。

Ome_showa01 前回掲載した写真3枚は「昭和レトロ商品博物館」、「青梅赤塚不二夫会館」と「昭和幻燈館」の外観です。3館共通割引券を購入して一通り巡回しました。またゆっくり観に行きたいと思っています。
Ome_showa02 見物しながら求めたのが「ぶらり青梅宿」ガイドブック の第3編(2010年3月15日発行)です。山梨県で「つなぐNPO」さんが編集発行している「まちミューガイドブック」を思い出しますが、「ぶらり青梅宿」は編集・発行が商店街で青梅市商工観光課が協力して青梅市サイトでも広報されているのでしょう。

「まちがミュージアム」を「昭和レトロ」、「映画看板のまち」として具体化していると感じたのは、各商店の看板が一枚は映画看板のスタイルで描かれていることでした。
Ome_cinemamap01 それに気が付いて尋ねたお店の方から頂いたのがこのリーフレットです。葉書サイズに畳まれていますが開くと地域全店の紹介になっています。その看板を描いたのは明星大学造形芸術学部の学生さん達とのことです。 Ome_showa42 駐車場の看板まで「市民ケーン」ですから驚くじゃありませんか(^o^)

私が昭和レトロの青梅宿を訪問したのは平日の午後3時過ぎから2時間足らず、空模様が怪しいし体調もすぐれず長いこと歩くのもつらかったのでほんの一部を覗いただけです。街の人通りはまばらで、各施設もお客は私一人という状況でした。平日はこんなものですとのお話もありました。でもこの街から立ち去り難い気持ちになりました。私は昭和の匂いを知っている世代なので青梅宿にもそれを感じたのかも知れません。

「昭和レトロ商品博物館」で紹介されていますが、「昭和幻影商店街」(昭和レトロ商品博物館十周年記念 2010年6月12日発行)をご案内しておきます。
◇ アサヒビールのサイトにある「幼い日の夢を叶え、今や日本一の映画看板師になった」は久保板観さんの紹介記事です。
◇ 山本高樹さんの「模型日和下駄」 昭和ヂオラマ館、私は青梅で浅草の「十二階(凌雲閣)」を初めて見たことになります(^o^)

街づくりのコンセプトがこれほど明確にインターネットからも読み取れるのは素晴らしいと思いました。青梅街道411号線を走る時には時間が許すならバイパスを通らずに旧道を利用なさってみる事をお勧めしたいと思います。青梅宿訪問で私の風邪は長引いたかも知れません、でも後悔は無い(^o^)

Google ストリートビューで昭和レトロ商品博物館付近



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