『稲美町史』は、天満神社の説明の一部に円光寺について次のように説明しています。
「明治5年までは別当円光寺が境内地の近くにあって、社事等の一切を取り仕切っていたが、この年神仏分離令が出され円光寺は現在の中村に移り神社は神官によって差配されることになった」(p691)
そのため、天満神社関係の史料の一部は円光寺に残されています。
祭礼神式の絵図
江戸時代 後期 元治元年(1864)八月に各村の屋台置き場所を取り決めた記録で江戸から明治時代にかけて12台もの布団屋台の存在していたことを証明しています。
右上より 国岡、幸竹、中村、蛸草、国安、十七丁、岡西、岡東、中央に 六分一、左下に森安、北山、中一色と決められたようです。
神仏分離令の時、祭礼に関する資料のほとんどが消滅したとされており、この「祭礼神式の絵図」は、現存する貴重な資料の一つとなっています。
*HP「播州稲美天満秋祭」を参照させていただきました。詳しくはそちらをご覧ください。
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