・・・むかし、阿蘇の宮の神主、友則が京へのぼっていた。
途中、池田(現:加古川市尾上町池田)の浜に船を止めて、尾上の鐘・尾上の松などを見学し終え、船に乗り再び京へ出発しようとした時のことであった。
友則が港につきたてた竹が、みるみる間に根を張り、抜けなくなった。
友則はしかたなく、そこで一泊した。
その夜のことである。夢に友則の持仏の観音様が現れ「このあたりの浜は波風が荒く、往来の船は難渋している。私は、ここに鎮座して諸人の願いを叶えん・・」と告げた。
友則は、地元の信心深い藤内に観音様をたくし京へたった。友則の船は飛ぶように進んだ。
藤内は、ここに堂を建て、観音様をおまつりした。以後、この地の浜は穏やかになった。
またある時、藤内の夢に観音様があらわれ、「白き布を与える。これを船印にせよ・・」と告げた。
船にこの白い布をつけたところ、船は荒海といえど遭難することはなく、近在の信仰を集めた。
そのため池田の観音様は、白旗観音(しらはたかんのん)と呼ばれるようになった。
生竹山観音寺(しょうちくさん・かんのんじ)は元、イケタケサン観音寺と呼ばれ、池田は、このイケタケが訛ったものという。
地名の研究をされている石見完次氏は、池田はイケタ(活田)やイクタ(生田)と同様土地の美称から出たのであろうと指摘されている。
*写真は、池田(加古川市尾上町池田)の白旗観音寺(生竹山観音寺)