ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

白旗観音寺(生竹山観音寺)

2006-10-12 07:53:32 |  ・加古川市尾上町

  _191池田の白旗観音寺(生竹山観音寺)に伝わる伝説である。 

  ・・・むかし、阿蘇の宮の神主、友則が京へのぼっていた。

  途中、池田(現:加古川市尾上町池田)の浜に船を止めて、尾上の鐘・尾上の松などを見学し終え、船に乗り再び京へ出発しようとした時のことであった。

  友則が港につきたてた竹が、みるみる間に根を張り、抜けなくなった。

  友則はしかたなく、そこで一泊した。

  その夜のことである。夢に友則の持仏の観音様が現れ「このあたりの浜は波風が荒く、往来の船は難渋している。私は、ここに鎮座して諸人の願いを叶えん・・」と告げた。

  友則は、地元の信心深い藤内に観音様をたくし京へたった。友則の船は飛ぶように進んだ。

  藤内は、ここに堂を建て、観音様をおまつりした。以後、この地の浜は穏やかになった。

  またある時、藤内の夢に観音様があらわれ、「白き布を与える。これを船印にせよ・・」と告げた。

  船にこの白い布をつけたところ、船は荒海といえど遭難することはなく、近在の信仰を集めた。

  そのため池田の観音様は、白旗観音(しらはたかんのん)と呼ばれるようになった。

  生竹山観音寺(しょうちくさん・かんのんじ)は元、イケタケサン観音寺と呼ばれ、池田は、このイケタケが訛ったものという。

  地名の研究をされている石見完次氏は、池田はイケタ(活田)やイクタ(生田)と同様土地の美称から出たのであろうと指摘されている。

*写真は、池田(加古川市尾上町池田)の白旗観音寺(生竹山観音寺)

コメント
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