現在、中学生が使用している歴史教科書(大阪書籍)の一部を読んでみたい。
・・・政府は、1871年に藩を廃止し、・・・。そして、地方に府県を置き、政府から府知事・県令(のちの県知事)を派遣し、統治にあたらせました。これを廃藩置県といいます。・・・
廃藩置県をこのように説明している。では、この時(1871年)加古川地方は、兵庫県になったのだろうか。
尾上には「学制」により、小学校が泉福寺(今福村)・観音寺(池田村)・法音寺(養田村)を校舎として開校した。そして、明治9年、これらの三小学校は合併して、現在の場所に尾上小学校が設立された。
写真は、尾上小学校の三木理一郎さんの卒業証書である。
「飾磨県平民 三木理一郎」に注目して欲しい。尾上の各村々は、当時は兵庫県でなく飾磨県に属していた。説明が必要のようです。
1871年(明治4)7月14日、廃藩置県により藩は廃止され県が置かれたが、旧姫路藩には、姫路県・明石県・龍野県など11の多くの県が置かれた。この時、各尾上村は、姫路県に属した。
その年(1871)の11月2日に、10県(福本県は鳥取に併合)は姫路県に併合され、新しい姫路県が誕生した。そして、わずか7日後の11月9日に、姫路県は飾磨県と名前を変えた。
これは、「姫路」は、最後まで新政府に反対した藩なので、姫路という県名が避けられたのである。
さらに、明治9年8月21日、姫路県は豊岡県、兵庫県(この時代の初代兵庫県知事が伊藤博文)、名東県(淡路)が合併して、現在の兵庫県が誕生した。
写真の三木理一郎さんは、明治9年8月9日の卒業である。兵庫県誕生のわずか11日前であった。
今日の話題は、尾上に限らない。加古川市の他の地域も同じである。
*写真は、尾上小学校「創立百周年記念誌」より
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