田山花袋の「播磨名所」に、次のような記述がある。一部を紹介したい。
・・・高砂尾上とは丸で別々になって了ったが、昔は確かに一村落であったに相違ない。 そして今の尾上に、やゝその面影を残しているやうな松林がこの海岸一面に連なりわたって居て、松の影は松の影と相重なり、波の音は波の音と相雑(あいまじ)って、他に見ることの出来ないやうな荒涼寂莫たる趣を呈してゐたに違いない・・・・
浜ノ宮中学校から浜の宮神社(加古川市尾上町口里)にかけての松林は、神社の境内地として保護され、明治維新以後は、官有林に編入され同神社や氏子によって維持されてきた。
満州事変以来、この松林には陸軍病院、航空整備隊、さらに陸軍航空通信学校尾上教育隊が開設されるなど、多くの松は切り倒された。さらにその後、多くの松が松くい虫にやられた。
松林の風景は大きく変わった。
しかし、この松林は、播磨風土記に見える「賀古の松原」の面影を今に伝えているようである。
*写真は、浜ノ宮神社付近の松林