ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

加古川の戦争(3)・高射砲隊炎上

2006-08-30 16:50:12 |  ・加古川の戦争

_001   写真は、播磨化成(野口町水足)の西を流れる新井用水にかかる橋である。

  また、水足の土坂(どさか)にかかる橋には「連隊橋」とある。

  今は、播磨化成、陵南中学校のある場所に戦前は陸軍の高射砲隊が置かれており、これらの橋の名前は、当時、その高射砲隊から名づけられた。

  高射砲隊については、後日さらに調べたいが、今日は、この高射砲隊の火事について、『水足史誌』から引用したい。

   「・・・(昭和17年4月27日)当日は、部隊への応召による入営式があり、その者らを集めて担当将校が何か訓示を与えていたところ、入隊者の一人が、「教官殿、兵舎が燃えています」と指した。・・・兵舎の猛火は猛り狂い、火の粉は、特に屋根瓦下に敷かれた黒く厚い紙ルーフィングが、赤い熱火となって2~300mも離れた水足の民家に飛び散り、藁屋根に落下すると、吹きつける風にあおられて、瞬く間に屋根が燃え上がる。当時40軒ばかりあった藁葺きの家は次々と燃え盛っていた・・・」

  (高射砲隊は)軽油庫、弾薬庫、砲車庫等を残し、2階建ての連隊部棟、2階建ての兵舎2棟、その他ほとんどを全焼している。これ程の大事件も軍の機密保持のため、翌28日の新聞には、営舎火事は一切発表されず・・・」とある。

  *詳細については『水足史誌(水足町内会発行)』をご覧ください。

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1 コメント

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父の自分史にも (前野直道)
2017-04-02 10:33:29
私の伯父は戦死したのですが、父の自分史によると「3か月間の教育召集で野口村陸軍高射砲隊に入隊する。しかし教育期間中に弾薬庫が爆発し、兵舎が火災になり、兄が着て行った私服も燃えてしまったようである。そのようなことは戦時中なので、新聞は報道できなかったらしい。」とあります。このたびブログを拝見し、事実であったことがわかりました。
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