写真は、播磨化成(野口町水足)の西を流れる新井用水にかかる橋である。
また、水足の土坂(どさか)にかかる橋には「連隊橋」とある。
今は、播磨化成、陵南中学校のある場所に戦前は陸軍の高射砲隊が置かれており、これらの橋の名前は、当時、その高射砲隊から名づけられた。
高射砲隊については、後日さらに調べたいが、今日は、この高射砲隊の火事について、『水足史誌』から引用したい。
「・・・(昭和17年4月27日)当日は、部隊への応召による入営式があり、その者らを集めて担当将校が何か訓示を与えていたところ、入隊者の一人が、「教官殿、兵舎が燃えています」と指した。・・・兵舎の猛火は猛り狂い、火の粉は、特に屋根瓦下に敷かれた黒く厚い紙ルーフィングが、赤い熱火となって2~300mも離れた水足の民家に飛び散り、藁屋根に落下すると、吹きつける風にあおられて、瞬く間に屋根が燃え上がる。当時40軒ばかりあった藁葺きの家は次々と燃え盛っていた・・・」
(高射砲隊は)軽油庫、弾薬庫、砲車庫等を残し、2階建ての連隊部棟、2階建ての兵舎2棟、その他ほとんどを全焼している。これ程の大事件も軍の機密保持のため、翌28日の新聞には、営舎火事は一切発表されず・・・」とある。
*詳細については『水足史誌(水足町内会発行)』をご覧ください。