地図が見にくくて申し訳ないが、加古川駅から東に鉄道がまっすぐにのび、水足あたりで北へ向きを変えている。
この地図は、昭和25年のものです。
この鉄道について、水足の方に聞いてみました。
「そうそう、懐かしいですね。汽車がありましたわ・・」と、この鉄道のことを思い出してくださいましたが、それ以上のことは、分かりません。
以前に小林精男(故人・加古川線を播州鉄道といっていた時代、運輸部総務課長をされていた)に聞いた記録がある。
「・・・日岡山にある刑務所は、戦前、神野倉庫と呼んでおり、今の加古川駅からこの鉄道で火薬を運んでいたんです。
もともと、神野倉庫のあたりは山でしたので、その土を“尾上飛行場”に使ったんです・・・なにせ、あの広い場所が火薬庫でしたから、外に機密がもれると大変だったのでしょう、憲兵や秘密の警察による警戒が厳しくてね・・・」
(小林さんに聞き取りをしたのは1994年)
*しばらく、「加古川の戦争」をとりあげたい。仕事の都合で、明日から3日間ブログを休みます。
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