少し復習しておきたい。
◇手枕の松◇
手枕の松は、広く知られ『播磨鑑(はりまかがみ)』にも「・・・この社(別府の神社のこと)に松の大木あり、、一抱えばかりの太さに、地より一間ばかり上にて、横にこけたる長さ十間ばかり、枝繁茂して、年々青く茂りたり。
曽根の松に続き無双の霊松なり。
こけたる幹につか柱(支え棒)有り、廻りを石の垣にて隔つ・・」とある。
現在、手枕の松は、社殿に向かって左前にあるが、『播磨鑑』の挿絵を見ると、当時の手枕の松は社殿に向って右側にあった。
この手枕の松は、ずいぶん昔からあったようで「一木(いちき)」と呼ばれ、このあたりの集落も古くは「一木村」と呼ばれていた。
もっとも、室町時代の頃、村は別府村と呼ばれていたようである。
この霊松に「手枕の松」と命名したのは、(瀧)瓢水である。
住吉神社には、2月1日のブログでも紹介した「住吉太明神」の瓢水自筆の扁額がある。
瀧家は、瓢水の代に衰えてくるが、住吉神社から歩いて西へ五分のところにあり、別府を代表する豪商であり、大スポンサーであった。
瀧家は、住吉神社にも大きな影響力をもっていた。そんな事情もあり、瓢水の「手枕の松」と名づける希望もかなえられたのであろう。










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