天満大池に沿った西の道(県道宗佐・土山線)を北へ車を進めると、やがて加古大池の西に出ます。
さらに、北へ少し行くと八幡町野村の手前で、道は坂をつくって八幡町へと急降下しています。
ちょうど、坂を下る手前辺りから印南野台地が西へ舌を出したように城山(じょやま・加古川市神野町)にむかって伸びています。
この舌のように伸びた台地こそ、古代文明の舞台であり、縄文・弥生・古墳・白鳳時代の人々の生活の跡がいっぱい詰まっています。
『加古川市の文化財』を参考にして、宮山遺跡を訪ねてみます。
宮山古墳(加古川市八幡町)
宮山遺跡は、八幡町上西条(かみさいじょう)と中西条の間で、上記の舌のように伸びた印南野台地から、さらに北へ突き出たところにあります。
昔、ここは上西条と中西条の共有地で、自由に土を取っていました。
昭和39年頃、この土砂が採集されていた場所から遺物を含む層がみつかりました。
昭和40年に一部、発掘調査が行われ、縄文時代後期の遺跡で、住居址や祭祀跡とみられる遺構が発見されました。
また、山頂部に古墳が集中しており、宮山大塚(中期古墳)の他、後期古墳五基が確認されています。
保存状態は悪くないのですが、江戸時代に盗掘されたらしいのです。
宮山は小さな丘です。
登り道は、桜並木で、春には桜いっぱいの丘になります。(no4753)
*『加古川市の文化財』(加古川市教育委員会)参照、
*写真は宮山古墳の一基。
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