ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

大河・かこがわ(53) 古墳時代(20) 二塚古墳(加古川市神野町)

2019-09-23 07:58:52 | 大河・かこがわ

     古墳時代(20) 二塚古墳(加古川市神野町)

 夏の日でした。

 稲根神社(いなねじんじゃ)の裏にある二塚古墳の写真を撮りに出かけました。

 昼間の熱い日で、強烈な薮蚊の襲来でした。

 縞々模様の蚊が数匹、尻尾を高くして脚に止まっています。

 早々に退散したことを覚えています。

     二塚古墳(加古川市神野町)

 稲根神社のある小さな丘の裏に、二つの円墳があります。

 二基の古墳が近接しているところから考えると夫婦塚とも考えられます。

 2号墳は、1号墳よりやや高いところにあり、石造りも若干丁寧な造りです。

 2号墳の方が1号墳よりも少し早く造られているようです。

 2号墳の築造時期は、石室の形態や見つかった須恵器などから6世紀後半の古墳と思われますが、1号墳もあまり時期は違わないと考えられます。

 二塚古墳のあるこのあたりは、加古川地方では最も早く米作が始まったといわれています。

 古墳の被葬者は、米つくりにたずさわった経済力を持っていた有力な人物だったのでしょう。

 

 以下は、余話です。

 稲根神社のあるこの集落は、江戸時代はこの二つの古墳にちなみ二塚村と呼ばれていました。

 明治9年に加古郡手末村(てずえむら)と合併して神野村となりました。(no4752)

 *『加古川市史(第四巻)』参照

 *写真:二塚2号墳

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