ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

円照寺の花たち(86) 私説・城山物語(1)・中道子山

2016-05-16 09:46:57 | 円照寺の花たち

 今、円照寺では、春の花が終わり、夏の花が準備をしている端境期です。この期間を利用して、城山の歴史探検に出かけましょう。

 出来るだけ史実に近づけてお話したいのですが、間違いいっぱいの「城山物語」になります。そのため、題を「私説・城山物語」としました。誤りをご指摘ください。

     私説・城山物語(1)・中道子山

 城山は、標高271.6㍍の山で、登るのに、とくに躊躇するほどの山でもありません。

 元気な方は、頂上まで45分もあれは十分な山です。

 でも、城山は、円照寺(東志方町広尾)の北に壁のように聳えています。

 この山は、「赤松一族の城山」として、近在では、よく知られているにもかかわらず、その歴史は謎だらけです。

    中道子山

 城山の本当の名前は、「中道子山(ちゅうどうしさん)」といいます。

 普通、中道子の「子」は「寺」が変化した読み方であるとしています。

 もともと、この城山の頂上の一角に「中道寺」という寺があったというのです。

 安楽寺(細工所)の由来に「西暦811年、弘法大師(空海)の孫弟子の真詔上人が詔勅を受け、大日如来像を彫刻し、中道子山上(城山)に一宇を設立し、真言宗無量寿院と号す」とあり、安楽寺は、無量寿院から始まるとしています。

     中道子は中道路か?

 以下は、余話です。

 「中道子」の「子」は「寺」ではなく「路」からきているのではないかとも考えています。中道子は中道路(湯乃山街道)から来た名称ではないかとそ思えるのです。

 つまり、志方町から両荘、そして三木市、有馬温泉を貫く道「湯乃山道」に沿って横たわる山、「中道路山」の説も成り立つのではないかと考えています。

 というのは、中世、神吉村は、奈幸子村(なこうしむら)といいました。一説では、神吉村は「奈幸子」は、「中大路」(湯乃山街道)の訛った言葉であるともいわれています。いかがでしょうか。(no3221)

 *写真:中道子山(頂上の平らな付近に赤松氏の城があった)

コメント
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