ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

円照寺の花たち(80) スズラン

2016-05-10 10:13:48 | 播磨の地震

  ス ズ ラ ン

  インターネットで「スズラン」を調べていると、こんな詩(最初の一行を省きました)見つけました。

 誰の書かれた詩かわかりません。

 円照寺の庭に咲くスズランもいいですよ。「花の茎をゆすっている音(ね)」を聞きまししょうか。聞こえますとも・・・・

   白い花たちを揺らすのは

   吹き過ぎる風ではない

   それぞれの花の下に

   小さな誰かがいて

   花の茎を揺すっている

   すると 人の耳には届かない

   透明な鈴の音が聞こえる

  スズランは、日本では北海道、本州(主に東部)、九州(稀)に自生しています。
 日本のスズランは、葉より低い位置に花をつけますが、『ドイツスズラン』は、花の茎も葉と同じくらいの高さになるそうです。(no3215)

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志方町を歩く(307) 泣けばとて、かえるものかよ 

2016-05-10 10:01:59 |  ・加古川市西志方

  8日・長楽寺の子安地蔵尊を拝観し、懐かしい植原繁市の歌碑にも再会することができました。歌碑を紹介しておきましょう。

 2012・3・21のブログで「花と流星の詩人・植原繁市」と題して、繁市を紹介しました。

 その時は「現在土砂崩れのため、歌碑は流され、見つかっていません」と書きましたが、その後の整備の途中で、埋もれていた石碑は見つかり、元の場所に設置されています。

 でも、写真のように、歌碑は多くの破損個所ができていました。が、繁市の詩が一層光を増したようです。

 歌碑をご覧になりながら彼の詩をお読みください。

 花と流星の詩人・植原繁市

 その日(2011年より前のある日)は、今にも泣き出しそうな空でした。

 風も、木々のざわめきもありません。

 長楽寺の境内は、時間が止まっているかのように静かでした。

 植原繁市には、こんな風景が似合うのかもしれません。

 境内の隅に繁市の歌碑があります。読んでみましょう。

 *注:現在(2012当時)土砂崩れのため、歌碑は流され、見つかっていません。

     人に告ぐべき

     寂しさにはあらぬ

     ゆふぐれをひとり杜にきて

     しみじみと樹をゆする

        泣けばとて、かえるものかよ

        告げばとて、癒ゆるものかよ

        しみじみと樹をゆする

 繁市の唯一の詩集『花と流星』にある詩「寂しさ」です。

 繁市は、明治41年、志方町横大路で生まれました。小学校でも病気がちで、姫路商業高校に入学しますが、胃腸疾患のため二年で退学します。

 そうした病弱が彼の繊細さを育てたのかもしれません。(no2014)

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