法幢浄辨信士
長い沈黙が流れ、僧は仏前に坐り、手を合わせてしきりになにかを祈っていたが、ヒコの前にもどって坐ると合掌し、「生きておられたのですか。み仏の御慈悲によるものです」と言い、頭を深くさげた。
ヒコは、あらためて過去帳に視線を据えた。
「(ヒコの)御戒名(法幢浄辨信士)は、私がおつけしました」僧が、静かに語りはじめた。
吉左衛門(義父)は、ヒコがいずれかの地で生きているのではないか、とかすかな望みをいだいていたが、「役人から、行方知れずとあるからには、死亡したことはまちがいない。死んだ霊がさ迷っているのは哀れなので回向して欲しい」と、言われました。
吉左衛門さんは激しく泣いておられました。
ヒコは、義父吉左衛門の慈愛の深さに眼頭が熱くなるのをおぼえた。
かれは、僧に礼を述べ、義父への回向科を渡して、庄屋の家にもどった。
夕食の膳がはこばれ、ヒコと四人の外国商人の前に置かれた。
本庄は故郷だが・・・
県庁の役人の指示らしく、米飯が盛られていて、商人たちはぎこちなく箸を手にしたが、すぐに置いた。粗末なものであった。
翌朝、遠く近くきこえる鶏の啼き声で眼をさました。
かれは身を起し、洋服を身につけた。土間で靴をはき、外に出た。
夜が明けはじめ、家や耕地がかすんでみえる。
かれは、道ばたで放尿した。
不意に、涙が流れた。爽やかな空気には潮の香がかすかにしていて、たしかにふる里の匂いがしている。細面の色白な母の顔が眼の前に浮んだ。
しかし、かれの気持はすぐに冷えた。村にはなじめなかった。
法幢浄辨信士という戒名の文字に、自分がすでにこの世にはない身であるのを知り、突然のように姿を現わした自分は、村人には亡霊のように思えるのだろう。
「村はふる里ではなく、むしろアメリカこそふる里ではないのか」と、胸の中でつぶやいた。
食事を終えたヒコは、県庁の役人に兵庫へ帰ることを早口で告げた。
あわただしく、故郷をあとにした。
*『アメリカ彦蔵(吉村昭)』(読売新聞社)参照
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