ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

工楽松右衛門物語(61):箱館港②・天下の御用でございます

2013-09-21 06:20:55 | 工楽松右衛門

(高田屋)嘉兵衛は、(工楽)松右衛門の説得のため、兵庫の港に帰った。

以下の兵庫港での二人の情景は、司馬遼太郎が小説の一場面として書いているが、事実も、それに近かったのではないかと想像してしまう。

   

   松右衛門の説得に

Photo嘉兵衛は、いつもの通り北風家にあいさつに行った。

あと、松右衛門旦那の店に寄った。

「おかげさまにて、このように達者で戻りましてござります」と、店さきであいさつをした。

「奥へあがれ」と、松右衛門はいわなかった。

彼自身、店の土間で荷ほどきの指図をしていて「嘉兵衛、あいにく、いまはこのとおりじゃ」

角力(すもう)取りのような大きな体を荷のほうにむけたままいった。

「あすの晩、来んかい。お前はどうか知らんが、わしのほうは体があいている」

    

   天下の御用でございます

  嘉兵衛は、松右衛門に続けた。「御用」について簡単にのべた。

「なんじゃ、公儀御用かい」

松右衛門旦那は、いやな顔で反問した。

「ちがいます、天下のことでございます」

「天下」

 松右衛門旦那のすきなことばだった。

すでにふれたように、松右衛門旦那はかねがね「人として天下の益ならん事を計らず、碌々(ろくろく・平凡に)として一生を過さんは、禽獣(きんじゅう)にもおとるべし」と口癖のようにいってきた。

ただし、かれのいう「天下」とは、公共ということであり、さらにかれのいう「益ならん事」とは、工夫と発明のことをさしている。

「わかった」と、いった。

が、いま嘉兵衛を座敷にあげて、その話をきくということはせず、

「明晩来い」と、いって、再び荷の中に頭をつっこんだ。

元来、船頭は作業をする人であり、みずから「船頭」という松右衛門旦那は、作業中はたれがきてもこの調子なのである。

*絵:『兵庫名所図巻』(松右衛門の家は佐比江にあった)

*『菜の花の沖(四)』参照

コメント
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