(高田屋)嘉兵衛は、(工楽)松右衛門の説得のため、兵庫の港に帰った。
以下の兵庫港での二人の情景は、司馬遼太郎が小説の一場面として書いているが、事実も、それに近かったのではないかと想像してしまう。
松右衛門の説得に
あと、松右衛門旦那の店に寄った。
「おかげさまにて、このように達者で戻りましてござります」と、店さきであいさつをした。
「奥へあがれ」と、松右衛門はいわなかった。
彼自身、店の土間で荷ほどきの指図をしていて「嘉兵衛、あいにく、いまはこのとおりじゃ」
角力(すもう)取りのような大きな体を荷のほうにむけたままいった。
「あすの晩、来んかい。お前はどうか知らんが、わしのほうは体があいている」
天下の御用でございます
嘉兵衛は、松右衛門に続けた。「御用」について簡単にのべた。
「なんじゃ、公儀御用かい」
松右衛門旦那は、いやな顔で反問した。
「ちがいます、天下のことでございます」
「天下」
松右衛門旦那のすきなことばだった。
すでにふれたように、松右衛門旦那はかねがね「人として天下の益ならん事を計らず、碌々(ろくろく・平凡に)として一生を過さんは、禽獣(きんじゅう)にもおとるべし」と口癖のようにいってきた。
ただし、かれのいう「天下」とは、公共ということであり、さらにかれのいう「益ならん事」とは、工夫と発明のことをさしている。
「わかった」と、いった。
が、いま嘉兵衛を座敷にあげて、その話をきくということはせず、
「明晩来い」と、いって、再び荷の中に頭をつっこんだ。
元来、船頭は作業をする人であり、みずから「船頭」という松右衛門旦那は、作業中はたれがきてもこの調子なのである。
*絵:『兵庫名所図巻』(松右衛門の家は佐比江にあった)
*『菜の花の沖(四)』参照