ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

新野辺を歩く(82):「新野辺を歩く」ひと休憩②・新野辺の古文書

2012-09-23 08:40:24 |  ・加古川市別府町新野辺

新野辺の歴史探訪は面白い地域です。

 最後に、「新野辺を歩く(62)」の一部をもう一度読んでおきます。

    多くの古文書の残る地域

「面白いという理由」は、新野辺にはたくさんの古文書が非常にいい状態で保存されているからです。

『加古川市史(第二巻)』では、加古川市の他の地域よりも新野辺村についての紹介が多くされています。それは新野辺村に古文書が残っているためです。

村に残る江戸時代の古文書は、地方文書(じかたもんじょ)とか村方文書(むらかたもんじょ)と呼ばれていますが、新野辺に残る文書はそれだけではありません。

その外に、大庄屋・大歳家に1000点を超える文書(写真)が完全な形で保存されています。

大歳家の古文書は「大歳家文書」として歴史学会では広く知られていますが、十分に研究がなされていません。

大歳家文書については、現在、関西学院大学の羽田真也先生により本格的な研究が取り組まれています。

新野辺に残るこれら村方文書、そして「大歳家文書」の研究がさらに進めば、江戸時代の新野辺村のようすを浮きぼりにすることができます。

このことは、加古川市別府町新野辺だけでなく、日本の江戸時代の集落の一事例として貴重な財産になるはずです。

   古文書に取り組む

Img_5646新野辺には上記のように、たくさんの史料が残っています。

この古文書(特に村方文書)を読んでみたくなりました。

でも、残念ながら「読めない・・・」。簡単な英語が読めても古文書は読めません。

無謀にも、68才(昨年)の秋、古文書の勉強を始めました。

不思議なもので、毎日続けているとこの年齢でも少しずつ明かりが見え始めました。わかるところがふえはじめました。

英語の場合は「読み・書き・話す」という総合力を求められますが、古文書の場合は「書き・話す」ということは不必要で、もっぱら「読み」だけです。

それに、第一に日本語です。準備段階はなんとかクリアーできそうです。

近いうちに、新野辺町内会の許可を得て本番(新野辺村方文書を読む)に取り組もうと思います。

最近、めっきり記憶力・理解力に自信がなくなりました。「ボケ防止」にもなるかも知れません。

でも、個人ではすぐに限界がでてきます。次の段階は、仲間で「新野辺村方文書を読む会」をつくることです。

忙しくなりそう・・・

*「新野辺を歩く」は、ひと休憩しますが、随時新しい話題を付け加えることにします。

次回から野口町野口を探訪したいと考えています。

*昨日、高校の同窓会がプラザ・ホテルでありました。卒業後、50年目の同窓会でした。約100名が集まりました。

 たくさんの仲間が「ひろかずのブログ」を読んでいただいていました。新野辺の方もおられました。

 *写真:大歳家文書

コメント
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