前号のブログで、「(新野辺は)現在、農業の衰えによる田畑の減少。人口の増加。
そして、何よりも生活の様式の変化により、新野辺の風景もすっかり変わってしまいました」と書きました。
確かに、大正時代と現代の風景はまさに激変しました。
新野辺西部地区土地区画整理事業
それでも、新野辺の古い集落を歩いていると、狭い路地などに古い歴史を感じます。
今日の2枚の写真を比べてください。
これも、新野辺の同じ場所の写真です。右端に同じ家があるのでそれと分かります。
このあたり(新野辺の西部)は、前号のよう長い時代による変化ではなく、「新野辺西部土地区画整理事業」によるものです。
新野辺西部地区は、北東部に集落がありましたが、道路といえば狭い市道、未舗装の里道があるばかりでした。
この地区は、駅徒歩圏内(山陽電車別府駅・浜ノ宮駅から)という立地条件の良さから、このままでは無秩序に宅地化が進むのではないかと危惧されていました。
さらに、地区全体に点在するため池の土地利用にも配慮した再利用が課題となっていました。
土地区画整備事業・平成18年に完成
そのため、土地区画整理事業により公共施設を整備しようとの機運が盛り上がり、平成2年1月には組合設立発起人会が結成され困難な取り組みの末、平成18年に完成しました。
*新野辺西部地区:新野辺公会堂を扇の要とした北東に当たる地区
<土地区画整備事業略年表>
平成2年(1990) 組合設立発起人会結成
平成6年(1994) 地元説明会
平成7年(1995) 組合設立認可
平成10年(1998) 起工式
平成18年(2006) 工事完成・検査
昭和19年(2007) 市道の全面共用開始
*写真上:土地区画整理事業前の風景
写真下:土地区画整理事業後の同じ場所の風景(9月16日撮影)