高校時代、吉田兼好の『徒然草』に感銘を受けました。特に「命長ければ恥多し。長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」の言葉に憧れ、「僕も40歳までに死のう」と決意しました。しかし、四十路を20年以上過ぎた現在、まったくその兆候が見られません(笑)。
その『徒然草』に、バードウォッチャーというか日本野鳥の会の会員の心に響く以下のような文章があることを最近になって知りました。
「養ひ飼ふものには、馬牛。繋ぎ苦しむるこそいたましけれど、なくてかなはぬものなれば、いかがはせん。犬は、守り防ぐつとめ、人にも勝りたれば、必ずあるべし。(中略)
その外の鳥獣、すべて用なきものなり。走る獣は檻にこめ、鎖をささえ、飛ぶ鳥はつばさを切り、籠に入れられて雲を恋ひ、野山を思ふ愁、止む時なし。
その思ひ、我が身にあたりて忍びがたくは、心あらん人、是を楽しまんや。
生を苦しめて目を喜ばしむるは、桀・紂が心なり。王子猷が鳥を愛せし、林に楽しぶをみて、逍遙の友としき。捕へ苦しめたるにあらず。
凡そ、「めづらしき禽、あやしき獣、国に育はず」とこそ、文にも侍るなれ」。
現代語訳すると、
「馬や牛は、その力なしでは人間が暮らせないので、繋いで苦しめるのはしょうがない。犬は家を守る能力が人間より勝っていから飼うべきである。
しかし、その他の鳥や獣はすべて飼う必要がない。走る獣を檻に閉じ込め、鎖に繋ぎ、空飛ぶ鳥の翼を切り、籠に入れてしまうと、雲を恋しがり、野山を思い焦がれる。
その気持ちを自分に置き換えて忍びがたいと思うなら、心ある人は飼って楽しむなんてできないはずだ。
生きものを苦しめて自分の目を喜ばせるのは、桀や紂(殷時代の2人の暴君)と同じ。王子猷(風流を愛した中国の文人)は鳥を愛したが、林に遊ぶのを見て、散歩の友と愛した。捕らえて苦しめたのではない。
およそ「珍しい鳥、貴重な獣は、国内で飼わない」と昔の文献にも書いてある」。
この思想は、「野にあるものは野にあるように」と唱えて日本野鳥の会を創設した中西悟堂と全く同じです。
たまたまですが、その吉田兼好が居を構え、墓もあるお寺が、日本野鳥の会京都支部の事務所のすぐ近くにあります。
吉田兼好の墓がある長泉寺の門前には「兼好法師旧蹟」の石碑
中西悟堂に先んずること600年も前にこういう思想を紡ぎ出した吉田兼好は、さすが私が憧れただけのことはあります。両者の共通点は僧籍にある文人。バックボーンはやはり仏教なんでしょうね。
さて、「40歳までに死ぬのが望ましい」と私に教えてくれた兼好法師ですが、自分自身は69歳まで生きました。私もまだ焦らなくていいですね。
その『徒然草』に、バードウォッチャーというか日本野鳥の会の会員の心に響く以下のような文章があることを最近になって知りました。
「養ひ飼ふものには、馬牛。繋ぎ苦しむるこそいたましけれど、なくてかなはぬものなれば、いかがはせん。犬は、守り防ぐつとめ、人にも勝りたれば、必ずあるべし。(中略)
その外の鳥獣、すべて用なきものなり。走る獣は檻にこめ、鎖をささえ、飛ぶ鳥はつばさを切り、籠に入れられて雲を恋ひ、野山を思ふ愁、止む時なし。
その思ひ、我が身にあたりて忍びがたくは、心あらん人、是を楽しまんや。
生を苦しめて目を喜ばしむるは、桀・紂が心なり。王子猷が鳥を愛せし、林に楽しぶをみて、逍遙の友としき。捕へ苦しめたるにあらず。
凡そ、「めづらしき禽、あやしき獣、国に育はず」とこそ、文にも侍るなれ」。
現代語訳すると、
「馬や牛は、その力なしでは人間が暮らせないので、繋いで苦しめるのはしょうがない。犬は家を守る能力が人間より勝っていから飼うべきである。
しかし、その他の鳥や獣はすべて飼う必要がない。走る獣を檻に閉じ込め、鎖に繋ぎ、空飛ぶ鳥の翼を切り、籠に入れてしまうと、雲を恋しがり、野山を思い焦がれる。
その気持ちを自分に置き換えて忍びがたいと思うなら、心ある人は飼って楽しむなんてできないはずだ。
生きものを苦しめて自分の目を喜ばせるのは、桀や紂(殷時代の2人の暴君)と同じ。王子猷(風流を愛した中国の文人)は鳥を愛したが、林に遊ぶのを見て、散歩の友と愛した。捕らえて苦しめたのではない。
およそ「珍しい鳥、貴重な獣は、国内で飼わない」と昔の文献にも書いてある」。
この思想は、「野にあるものは野にあるように」と唱えて日本野鳥の会を創設した中西悟堂と全く同じです。
たまたまですが、その吉田兼好が居を構え、墓もあるお寺が、日本野鳥の会京都支部の事務所のすぐ近くにあります。
吉田兼好の墓がある長泉寺の門前には「兼好法師旧蹟」の石碑
中西悟堂に先んずること600年も前にこういう思想を紡ぎ出した吉田兼好は、さすが私が憧れただけのことはあります。両者の共通点は僧籍にある文人。バックボーンはやはり仏教なんでしょうね。
さて、「40歳までに死ぬのが望ましい」と私に教えてくれた兼好法師ですが、自分自身は69歳まで生きました。私もまだ焦らなくていいですね。
私も高校時代に学校で習った『徒然草』に興味を持ち、講談社学術文庫のものを買って読みました。
が、この部分は覚えていませんでした。
兼好法師のお墓が近くにあるというのはいかにも京都ですね、重みがあります。
私は野生動物を飼いたいと思ったことはないのですが、最近は、庭の周りに住むカナヘビが増えてくれないかな、いつでも姿を見たい、と思います(笑)。
ところで、台風の影響はそちらは大丈夫でしょうか。
吉田兼好がいたお寺が事務所の近くにあるとは、私も知りませんでした。小さなお寺で、いつもは住職はお留守のようです。
このあたりは仁和寺の近くで、そう言えば『徒然草』に仁和寺の話が出てきますね。
『徒然草』は日本三大随筆の一つとか、せめて初めの方だけでも読んでみたいと思って
いました(難しくて読めるわけないですが、古文体の歯切れが好きで・・・)。
早速図書館へ行って、その章だけでも探して見ようと思います。ありがとうございました。
去年に比べると、後始末も半日で終了して、今は何もなかったように平常モードになりました。
鴨川もかなり水位が上がっていましたね。
『徒然草』のこの話は第121段です。たまに古文を読むと、ジワーッと心に沁みてきます。