宇治でもイチョウが黄金色に染まっています。下の画像は宇治名木百選の一つ、JR新田駅のイチョウ。説明パネルには「樹高19m、幹周2.6m」とあります。こんなイチョウを見ると源実朝を連想します。
鎌倉幕府の三代将軍・源実朝は、建保7(1219)年に鶴岡八幡宮に参拝した際、イチョウの木陰に隠れていた僧侶・公暁(くぎょう)に襲われて命を落とします。このときまだ27歳。しかも、公暁は実朝の甥です。
一方、実朝の父・源頼朝は、木に隠れて命拾いしています。
『源平盛衰記』によると、治承4(1180)年、頼朝は石橋山の戦いで平氏軍に敗れ、敵に追い込まれて万事休す。たまたま大きな倒木があったので、その洞に隠れて八幡大菩薩に祈念します。
追っ手がその洞に弓を突っ込んでかき回します。弓が頼朝の鎧に当たって音がした瞬間、1羽の山鳩が洞から飛び立ちました。「中に人がいれば鳩がいるはずはない」と、追っ手は引き返しました。
頼朝は木に隠れたおかげで命を長らえたわけです。正確には木と鳥に命を助けられ、その後鎌倉幕府を開いて初代将軍に就きます。
父は木に隠れて命拾いし、子は木に隠れた刺客に命を奪われたわけです。
この頃の史実は物語としては面白いですが、兄(頼朝)が弟(義経)を殺そうとしたり、甥が叔父を殺したり、恐ろしい世界です。
鎌倉幕府の三代将軍・源実朝は、建保7(1219)年に鶴岡八幡宮に参拝した際、イチョウの木陰に隠れていた僧侶・公暁(くぎょう)に襲われて命を落とします。このときまだ27歳。しかも、公暁は実朝の甥です。
一方、実朝の父・源頼朝は、木に隠れて命拾いしています。
『源平盛衰記』によると、治承4(1180)年、頼朝は石橋山の戦いで平氏軍に敗れ、敵に追い込まれて万事休す。たまたま大きな倒木があったので、その洞に隠れて八幡大菩薩に祈念します。
追っ手がその洞に弓を突っ込んでかき回します。弓が頼朝の鎧に当たって音がした瞬間、1羽の山鳩が洞から飛び立ちました。「中に人がいれば鳩がいるはずはない」と、追っ手は引き返しました。
頼朝は木に隠れたおかげで命を長らえたわけです。正確には木と鳥に命を助けられ、その後鎌倉幕府を開いて初代将軍に就きます。
父は木に隠れて命拾いし、子は木に隠れた刺客に命を奪われたわけです。
この頃の史実は物語としては面白いですが、兄(頼朝)が弟(義経)を殺そうとしたり、甥が叔父を殺したり、恐ろしい世界です。
こういう話はイチョウならではという感じもします。
後の話ですが、山鳩(キジバト)がいるなら人がいるはずがない、というのはそうかなと思う反面、キジバトはとろいからそうとも限らない、と、今の私なら思うかな(笑)。
そちらのキジバトは結構、警戒心が強いらしいですね。
頼朝の命を助けたという故事から八幡宮のシンボルがハトになった、という話を何かで読んだような覚えがあるのですが、不確かです。