当ブログも今日で300回。始めた頃は「がんばっても200回かな?」、200回を迎えた時は「300回は無理だろう」と思っていましたが、何とか持ちこたえました。樹木に関する面白い話はもう少しありますので、400回を目指してがんばります。
300回記念は、ことわざ。樹木にまつわることわざは結構たくさんあります。
木を見て森を見ず
ツリーウォッチングで山や森を歩いている時の私はまさにこれです。いや、それ以外の時もこれかな~。
(いつも木や鳥を見ながら歩いている栃の森)
寄らば大樹の陰
ヘソ曲がりというか判官びいきなので、私はどっちかと言えば小樹に寄ってしまいます。だからダメなのかな~?
柿が赤くなれば、医者が青くなる
こういうのをレトリックで対句といいますが、仕事柄こういう表現は大好きです。上の句が「ミカンが黄色くなれば」という地方もあるそうです。柿もミカンもビタミンC豊富ですからね。
センダンは双葉より芳し
日本にもセンダンという樹がありますが、ことわざのセンダンはインドや東南アジアに自生する「栴檀」で、香木のビャクダン(白檀)を意味します。日本に自生するセンダンは全然芳しくないです。
(こっちのセンダンは芳しくないですが、実は薬になります)
双葉の頃はそこそこ芳しかったのに、成長するにつれて芳しくなくなるというパターンがけっこう多いんじゃないでしょうか。自慢じゃないですが、私もそのクチです。
枯れ木も山のにぎわい
学生のパーティーに参加することになった老教授に、ある学生が「枯れ木も山のにぎわいですね」と言ったとか。「枯れ木=つまらない物」という認識がなくて、単に老木と思い込んでいたのでしょう。
似たような話で、「情けは人のためならず」を「情けをかけると甘えるので、かえってその人のためにならない」と解釈している若者が多いようです。オジサンたちは、「情けは巡り巡って自分のためになる」という解釈が正しいのに…、と嘆きます。
でも、私はことわざの意味は時代によって変るもので、前者の意味で解釈する人が多くなったら、そういうことわざとして通用するものだと思います。意味は多数決で決まるものですから…。
その好例が「犬も歩けば棒に当たる」。広辞苑によると、「物事を行う者は、時に禍いに遭う。また、やってみると思わぬ幸いにあうことのたとえ。前者が本来の意味と思われるが、後の解釈が広く行われる」。昔は悪い意味で使われていたのが、現在はいい意味で解釈されているのです。皆さんはどっちの意味で理解していました?
最後に、木と鳥の両方を題材にしたことわざに面白いのがありました。これを見つけたとき、「私のこと?」と思いました。
阿呆の鳥好き、貧乏の木好き
愚かな人が鳥を愛玩して飼ったり、貧乏人が木にうつつを抜かしたりするように、趣味はその人の境遇によるものだという意味だそうです。いや~、当たってるワ。
300回記念は、ことわざ。樹木にまつわることわざは結構たくさんあります。
木を見て森を見ず
ツリーウォッチングで山や森を歩いている時の私はまさにこれです。いや、それ以外の時もこれかな~。
(いつも木や鳥を見ながら歩いている栃の森)
寄らば大樹の陰
ヘソ曲がりというか判官びいきなので、私はどっちかと言えば小樹に寄ってしまいます。だからダメなのかな~?
柿が赤くなれば、医者が青くなる
こういうのをレトリックで対句といいますが、仕事柄こういう表現は大好きです。上の句が「ミカンが黄色くなれば」という地方もあるそうです。柿もミカンもビタミンC豊富ですからね。
センダンは双葉より芳し
日本にもセンダンという樹がありますが、ことわざのセンダンはインドや東南アジアに自生する「栴檀」で、香木のビャクダン(白檀)を意味します。日本に自生するセンダンは全然芳しくないです。
(こっちのセンダンは芳しくないですが、実は薬になります)
双葉の頃はそこそこ芳しかったのに、成長するにつれて芳しくなくなるというパターンがけっこう多いんじゃないでしょうか。自慢じゃないですが、私もそのクチです。
枯れ木も山のにぎわい
学生のパーティーに参加することになった老教授に、ある学生が「枯れ木も山のにぎわいですね」と言ったとか。「枯れ木=つまらない物」という認識がなくて、単に老木と思い込んでいたのでしょう。
似たような話で、「情けは人のためならず」を「情けをかけると甘えるので、かえってその人のためにならない」と解釈している若者が多いようです。オジサンたちは、「情けは巡り巡って自分のためになる」という解釈が正しいのに…、と嘆きます。
でも、私はことわざの意味は時代によって変るもので、前者の意味で解釈する人が多くなったら、そういうことわざとして通用するものだと思います。意味は多数決で決まるものですから…。
その好例が「犬も歩けば棒に当たる」。広辞苑によると、「物事を行う者は、時に禍いに遭う。また、やってみると思わぬ幸いにあうことのたとえ。前者が本来の意味と思われるが、後の解釈が広く行われる」。昔は悪い意味で使われていたのが、現在はいい意味で解釈されているのです。皆さんはどっちの意味で理解していました?
最後に、木と鳥の両方を題材にしたことわざに面白いのがありました。これを見つけたとき、「私のこと?」と思いました。
阿呆の鳥好き、貧乏の木好き
愚かな人が鳥を愛玩して飼ったり、貧乏人が木にうつつを抜かしたりするように、趣味はその人の境遇によるものだという意味だそうです。いや~、当たってるワ。
思わず笑ってしまいました。
まあ、私ゃアホでいいです。
自分でも鳥バカだと自覚しておりますです、ハイ。
私も初めて知ったのですが、諺というのはよくできていると思いました。
「オスとメスの地鳴きがどう違う」とか、「眉斑が白いとか黄色いとか」、私たちがやっていることを第3者が見れば「何が面白い?」と思うんでしょうね。
どんな趣味もそうでしょうが、阿呆と罵られようが、貧乏と嘲られようが、やめられまへん。
遅くなりましたが、300回おめでとうございます。
400回なんていわず、続けてください、楽しみにしております!
ここだけの話ですが、私のお気に入りに入っているBLOGでも、
とりわけお気に入りのTop3のひとつなのですから・・・
それはそうと、私は大学の頃、スコットランド出身の英語の先生に、
鳥にたとえるとアホウドリといわれたことがあります。
日本語で言うとバカにしているような意味になりますが、
向こうではいい意味で捉えられている鳥だと説明を受けました。
私は、ことわざじゃないのですが「耳障り」を良い意味に使う風潮が、
好きじゃありません。自分が音楽大好きなだけに、余計に。
諺とは関係ないですが、そう言えばアホウドリという名前の鳥がいましたね。私は、北海道に鳥見ツアーに行く際、太平洋のフェリーでコアホウドリを見ました。イギリスでいい意味とは知りませんでした。
そう言えば、イギリス発祥のゴルフで、バーディ、イーグル、アルバトロスと言いますね。あれは何故なんだろう? 今度調べて記事にします。