人目にはほとんど触れませんが、いま宇治の茶畑では白い花が咲いています。チャはツバキ科なので、サザンカやツバキの赤い花と同じく冬に開花するのです。
俳句でも「茶の花」は冬の季語。山口素堂は「茶の花や 利休が目には よしの山」、利休にとっては吉野の桜ほど美しい花であろうと詠んでいます。
小説だけでなくたくさんの俳句を遺した夏目漱石にも、「茶の花や 黄檗山を 出でて里余」の句があります。黄檗山(おうばくさん)は宇治にあるお寺、満福寺のこと。この寺を出て一里余りのところで茶の花が咲いているのを見つけたわけです。ということは、漱石は宇治を訪れたことがあるわけです。
画像はパブリック・ドメイン
この文豪と宇治のとりあわせが気になったので調べてみたら、『草枕』に以下のようなくだりがありました。
(自分は書については門外漢だが)平生から、黄檗の高泉和尚の筆致を愛している。隠元も即非も木庵もそれぞれに面白味はあるが、高泉の字が一番蒼勁(そうけい)でしかも雅馴(がじゅん)である。今この七字を見ると、筆のあたりから手の運び具合、どうしても高泉としか思われない。
ここにある「隠元」とは黄檗山萬福寺の開祖で、中国からインゲン豆を持ち込んだ高僧。書の達人でもあり、弟子の「即非」「木庵」とともに「黄檗三筆」と言われているそうです。
その五代目の住職が高泉。つまり、夏目漱石は書を通じて黄檗山萬福寺をレスペクトしていたわけです。
萬福寺の山門。中国風の建築が特徴
萬福寺の門前には普茶料理(精進料理の一種)の店がありますが、漱石はここで食事をしたらしく、「腥物(なまぐさもの)のない中華料理」と評しています。
さすが漱石先生、うまいことを言いますな~。
俳句でも「茶の花」は冬の季語。山口素堂は「茶の花や 利休が目には よしの山」、利休にとっては吉野の桜ほど美しい花であろうと詠んでいます。
小説だけでなくたくさんの俳句を遺した夏目漱石にも、「茶の花や 黄檗山を 出でて里余」の句があります。黄檗山(おうばくさん)は宇治にあるお寺、満福寺のこと。この寺を出て一里余りのところで茶の花が咲いているのを見つけたわけです。ということは、漱石は宇治を訪れたことがあるわけです。
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この文豪と宇治のとりあわせが気になったので調べてみたら、『草枕』に以下のようなくだりがありました。
(自分は書については門外漢だが)平生から、黄檗の高泉和尚の筆致を愛している。隠元も即非も木庵もそれぞれに面白味はあるが、高泉の字が一番蒼勁(そうけい)でしかも雅馴(がじゅん)である。今この七字を見ると、筆のあたりから手の運び具合、どうしても高泉としか思われない。
ここにある「隠元」とは黄檗山萬福寺の開祖で、中国からインゲン豆を持ち込んだ高僧。書の達人でもあり、弟子の「即非」「木庵」とともに「黄檗三筆」と言われているそうです。
その五代目の住職が高泉。つまり、夏目漱石は書を通じて黄檗山萬福寺をレスペクトしていたわけです。
萬福寺の山門。中国風の建築が特徴
萬福寺の門前には普茶料理(精進料理の一種)の店がありますが、漱石はここで食事をしたらしく、「腥物(なまぐさもの)のない中華料理」と評しています。
さすが漱石先生、うまいことを言いますな~。
だから励みになる、ともいえるのですが・・・(笑)。
地元に漱石と関わりがある場所があるのですね。
私なら、年に何度か訪れるかもしれないです。
山門はほんとに中国風で、漱石とは関係なくても面白いですね。
「草枕」は読んだことがないのでいずれ読みたいです。
そうですか、のらりくらりした句なんですか。
確か、漱石と子規は友だちだったんですね。
萬福寺は家の近くにあって、その前はよく通ります。以前は月に一度境内でイベントがあったので、時々行きましたが、今は大晦日の鐘をつきに行くくらいです。
かなり昔、『草枕』は読んだはずですが、記事に書いたようなことは忘れていました。