今年、私がウグイスの初音を聞いたのは2月下旬でした。
あの「ホーホケキョ」は昔から日本人の心を強く捉えていたようで、清少納言も『枕草子』に次のように書いています。
「ウグイスは声もいいし、姿形もあんなに高貴で美しい。でも、宮中で鳴かないのはどういうわけだろう。10年ほど御所にお勤めしているのに、声を聞いたことがない。トビやカラスに見入ったり聞き入ったりする人はいないのに、ウグイスの声に聞き惚れるのは、春だけ鳴くからですね」。
声についての記述に異論はないですが、ウグイスの「姿形が高貴」というのは腑に落ちません。下の動画を見ていただければ分かりますが、ウグイスはチョコマカとよく動く落ち着きのない鳥で、「高貴」とは言い難いです。典型的なさえずりではないですが、声も入っていますのでお聴きください。
もう一つ気になるのは、以前から当ブログで指摘しているメジロとの混同。清少納言はこうも書いています。
「御所には紅梅があって、ウグイスが通うのにふさわしい木なのにやってこない。庶民のみすぼらしい家の何てことはない梅の木では、うるさいくらいに鳴いているのに」。
動物食のウグイスは梅の蜜を吸わないので、好んで梅の木にやってくることはないはず。蜜を吸うために梅の木によくやってくるのはメジロ。
それに、ウグイスは動画のように藪の中にひそんでいることがほとんどで、木の枝など目立つ場所にはあまり出てきません。
メジロと混同して「梅にウグイス」という固定観念ができあがったために、メジロの体色を「ウグイス色」と名づけた。また、歩くと「キュルキュル」と鳴る廊下を「ウグイス張り」と言いますが、「キュルキュル」と鳴くのはメジロ。色でも音でもウグイスとメジロが混同されていると私は考えています。
清少納言に限らず昔の文筆家や歌人は、ほかの鳥についてもステレオタイプなイメージだけで書いているようなところがあって、「本当に鳥のことを知ったうえで書いているのだろうか?」と疑問になることがあります。
あの「ホーホケキョ」は昔から日本人の心を強く捉えていたようで、清少納言も『枕草子』に次のように書いています。
「ウグイスは声もいいし、姿形もあんなに高貴で美しい。でも、宮中で鳴かないのはどういうわけだろう。10年ほど御所にお勤めしているのに、声を聞いたことがない。トビやカラスに見入ったり聞き入ったりする人はいないのに、ウグイスの声に聞き惚れるのは、春だけ鳴くからですね」。
声についての記述に異論はないですが、ウグイスの「姿形が高貴」というのは腑に落ちません。下の動画を見ていただければ分かりますが、ウグイスはチョコマカとよく動く落ち着きのない鳥で、「高貴」とは言い難いです。典型的なさえずりではないですが、声も入っていますのでお聴きください。
もう一つ気になるのは、以前から当ブログで指摘しているメジロとの混同。清少納言はこうも書いています。
「御所には紅梅があって、ウグイスが通うのにふさわしい木なのにやってこない。庶民のみすぼらしい家の何てことはない梅の木では、うるさいくらいに鳴いているのに」。
動物食のウグイスは梅の蜜を吸わないので、好んで梅の木にやってくることはないはず。蜜を吸うために梅の木によくやってくるのはメジロ。
それに、ウグイスは動画のように藪の中にひそんでいることがほとんどで、木の枝など目立つ場所にはあまり出てきません。
メジロと混同して「梅にウグイス」という固定観念ができあがったために、メジロの体色を「ウグイス色」と名づけた。また、歩くと「キュルキュル」と鳴る廊下を「ウグイス張り」と言いますが、「キュルキュル」と鳴くのはメジロ。色でも音でもウグイスとメジロが混同されていると私は考えています。
清少納言に限らず昔の文筆家や歌人は、ほかの鳥についてもステレオタイプなイメージだけで書いているようなところがあって、「本当に鳥のことを知ったうえで書いているのだろうか?」と疑問になることがあります。
確かにメジロとの混同とステレオタイプは多いのでしょうね。
それも日本の文化といえば文化なのかもしれないですが、一般の人の自然への関心度が高まっている今となっては混同しているということを多くの人に理解してもたいたいと思います。
ちなみに私はウグイスが時々見えるところで囀っているその姿を見ると高貴だなと感じることがあります。
というのを今この記事を読んで気づいたのですが、普段は見えない藪の中にいるにもかかわらず目立つ場所で姿を見せて囀っている様子を見るとある種の感動を覚えるからかもしれないですね(笑)。
ソングポストと藪とでは行動パターンが違うのかも知れません。
ウグイスとメジロ、私はメジロの方が好きかな? 可愛いですから。
今日A公園でウグイスを今年初めて確認しました。
最初は姿だけでしたが少しして囀りもしました。
家に帰らないとデータがないですが多分例年より1週間以上早いと思います。
でもまだ笹がだいぶ雪で覆われていて居場所がなくて困っているような感じでした(笑)。
私は初認の記録はとっていないので不明ですが、こちらでは3月になると初音が聞かれるようです。
「鶯色」についてはバードウォッチャーの間ではほぼ常識ですが、「鶯張り」については私の独断です。
メジロの「キュルキュル」は、敵や人間が近づいた時の警戒音なので、「鶯張り」の警報装置機能として名づけたのではないかと思っています。
思うに昔の人は今の科学や分類などもないし、鳥や自然現象を見たまま、感じたままに記述し、記録していたのではないでしょうか? ウグイスとメジロの混同もそのせいなのでしょう。今の私たちだと、学校で習ってある程度知っているはずこととか、調べれば分かる!とかいろいろ縛りがあり、昔のような自由さはないように思います。
そうかも知れませんね。私たちは知識があり過ぎて、見たまま、感じたままよりも、先に頭の中で既存の知識と結びつけて判断する傾向があるのでしょう。
ウグイスとメジロのような鳥の混同は他にもあって、昔の人はブッポウソウとコノハズクを混同していました。それが分かったのは昭和になってからだそうです。
私はそういう鳥や樹木に関するエピソードが面白くて、ブログに書き続けています。なので、頭でっかちになっていると思います。