ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

生きている長さ

2014-02-03 05:06:45 | 脳みその日常
ちょっと重い話ですが、よろしければお読みください。

老父のところに来ているヘルパーさんと先々週、実家でお会いしました。いろいろ話しているうち、ワシの伴侶のことに話が及びました。伴侶といっても、もう14年近く前に他界しているので「写真でよければ来週にでもお見せしましょうか?」と約束。

そして先週、そのヘルパーさんが来られたので、約束通り生前の写真を見せました。すると、ヘルパーさん、写真を見るなり、号泣。

「ど、どうしたんですか?」
「いえ、なぜかわからないんですけど涙が出てきてしまって…」
「はぁ…」
「こんな経験は初めてです。どういうことなんでしょうね。うっ…うっ…」
「う~ん、そういわれても…」

目にしている写真の人物が故人だとしても、実際に会ったこともないのに泣けるものなのでしょうか。確かにそのヘルパーさんは感受性が豊かではあります。でも、本人いわく、「まさか涙が溢れてくるとは思わなかった」と。

いずれにしても、会ったこともない他人の写真を見て泣いてくれたことに対して、ワシは心の底から有り難く、そして嬉しい気持ちになりました。

ここで、ふと「人は2度死ぬ」ということを思い出しました。人の死は2回訪れる。最初は肉体的な死です。この段階ではもう肉体をもった故人とは会うことはできません。

しかし、故人についての思い出(記憶)は他者の中にまだ生きています。肉体の有無に関係なく、その「人」はまだ生きているのです。

では、2度目の死はいつなのでしょうか。簡単に言えば、故人の記憶をもった他者が肉体的な死を迎えた時、もしくはその他者が故人の記憶を忘却した時であるように思います。

興味深いのは、若くして亡くなろうが、年老いて亡くなろうが、生まれてから2度目の死を迎えるまでの期間はさほど変わらないということです。

(1)|-肉体あり-|-------思い出期間-------------|
(2)|----肉体あり----------------|-思い出期間-|

例えば、上の図をご覧下さい。(1)は早世した人のパターンです。若くして亡くなった人について、周囲の人たちはみな長い間惜しみますよね?

ところが、天寿を全うして高齢で亡くなった人(2)については、亡くなった直後には悲しまれるものの、よほどの業績を積んだ者でない限り、意外なほど忘れられるのが早いように思います。これはあくまで経験的な印象なのですが…。

まぁ、肉体的に死んだ後のことなんてどうでもいいのかもしれません。それよりも、今を一所懸命に生きることのほうが大切なのかも。

ただ、今回思ったのは、故人とは全く面識のない人が故人の記憶を共有してくださったこと。これは本当に驚きでした。もちろん、これは科学的には実証できないことですが、実はあり得ることなんです。でも、これ以上はアタマのおかしい人に思われてしまいそうなので、説明はここまで。
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