どーも、ワシです。えー、今回は宮城県加美郡加美町米泉上川原付近を走る県道159号沿いで偶然頭首工を見つけたので、それを紹介したいと思います。
鳴瀬川水系の田川に設置された頭首工ですが、グーグル先生の地図には載っていません。でもそれなりの規模の頭首工だし、よく見ればゴム堰(ゴム引布製起伏堰)による頭首工じゃないですか。
頭首工の場所の目安となるのが県道159号沿いにあるこの建物。管理棟のようですがそれを示すものはありません。
建物の壁には水利使用標識が貼られています。でも頭首工名が記載されていないので気になるところ。
建物の裏手には「富源」と題された古めかしい石碑が。あれ? これは確か昨日記事にした孫沢溜池の経緯を記した石碑じゃないですか。そこには孫沢溜池の他に舘前堰(たてまえせき)についても記されています(参考)。
舘前堰が昭和34年(1959年)に高さ3.0mの重力式混凝土(コンクリート)堰堤として築造されたのはわかりました。じゃあ、それがこの頭首工とどんな関係にあるんでしょうか。「富源」と題された石碑がここに設置されているということからして、おそらくこの頭首工は舘前堰に代わるものとして建設されたのではないかと思われます。
でも、頭首工名は? 画像検索してみると、どうやら舘前頭首工というらしい。さらにいつ建設されたのかを調べてみると鳴瀬川農業水利事業が平成3年から同21年にかけて行なわれており、その施設概要の中に舘前頭首工の文字があることから、少なくとも同頭首工は平成21年(2009年)までには完成していたことがわかります(参考)。
では、頭首工へ近づいてみます。左岸、下流側から見た頭首工の様子。左岸側に魚道があるのがわかりますね(写真右側)。
頭首工の横から見た様子。管理橋は立入禁止なのでその先へは行けません。
左岸、上流側から見た様子。
上流側から魚道を見ると、こんな感じ。
左岸の上流側に取水口があって、
そこで取り込まれた水は、下の写真のS字型に見える水路を通って、
下流の農地へ向かいます(写真に見えている水路は舘前幹線用水路)。(参考)
この頭首工名の由来はこのあたりの地名ではなく、上に書いたように昭和時代に活躍していた舘前堰の名を受け継いだものと考えてよさそうです。ちなみに舘前堰と名のつくものはすでに江戸時代にはあって、田川には多川堰と舘前堰があったそうな。舘前堰は当時米泉堰(こめいずみせき)とも呼ばれ、加美町中新田(なかにいだ)の米泉、羽場(はば)、城生(じょう)、上狼塚(かみおいのつか)、南町、岡町、西町、雑式目(ぞうしきのめ)及び四日市場村の水田に水を供給していたそうです(参考)。
偶然目にした頭首工でしたが、思わぬ形でその地域の歴史を学ぶことができました。感謝。
鳴瀬川水系の田川に設置された頭首工ですが、グーグル先生の地図には載っていません。でもそれなりの規模の頭首工だし、よく見ればゴム堰(ゴム引布製起伏堰)による頭首工じゃないですか。
頭首工の場所の目安となるのが県道159号沿いにあるこの建物。管理棟のようですがそれを示すものはありません。
建物の壁には水利使用標識が貼られています。でも頭首工名が記載されていないので気になるところ。
建物の裏手には「富源」と題された古めかしい石碑が。あれ? これは確か昨日記事にした孫沢溜池の経緯を記した石碑じゃないですか。そこには孫沢溜池の他に舘前堰(たてまえせき)についても記されています(参考)。
舘前堰が昭和34年(1959年)に高さ3.0mの重力式混凝土(コンクリート)堰堤として築造されたのはわかりました。じゃあ、それがこの頭首工とどんな関係にあるんでしょうか。「富源」と題された石碑がここに設置されているということからして、おそらくこの頭首工は舘前堰に代わるものとして建設されたのではないかと思われます。
でも、頭首工名は? 画像検索してみると、どうやら舘前頭首工というらしい。さらにいつ建設されたのかを調べてみると鳴瀬川農業水利事業が平成3年から同21年にかけて行なわれており、その施設概要の中に舘前頭首工の文字があることから、少なくとも同頭首工は平成21年(2009年)までには完成していたことがわかります(参考)。
では、頭首工へ近づいてみます。左岸、下流側から見た頭首工の様子。左岸側に魚道があるのがわかりますね(写真右側)。
頭首工の横から見た様子。管理橋は立入禁止なのでその先へは行けません。
左岸、上流側から見た様子。
上流側から魚道を見ると、こんな感じ。
左岸の上流側に取水口があって、
そこで取り込まれた水は、下の写真のS字型に見える水路を通って、
下流の農地へ向かいます(写真に見えている水路は舘前幹線用水路)。(参考)
この頭首工名の由来はこのあたりの地名ではなく、上に書いたように昭和時代に活躍していた舘前堰の名を受け継いだものと考えてよさそうです。ちなみに舘前堰と名のつくものはすでに江戸時代にはあって、田川には多川堰と舘前堰があったそうな。舘前堰は当時米泉堰(こめいずみせき)とも呼ばれ、加美町中新田(なかにいだ)の米泉、羽場(はば)、城生(じょう)、上狼塚(かみおいのつか)、南町、岡町、西町、雑式目(ぞうしきのめ)及び四日市場村の水田に水を供給していたそうです(参考)。
偶然目にした頭首工でしたが、思わぬ形でその地域の歴史を学ぶことができました。感謝。