ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

本当の老いとは

2010-05-02 04:10:06 | 脳みその日常
中年オヤジが言うのも何ですが、多くの高齢者を観察していて「老い」にはいくつかの段階があることに気づきました。

まず高齢者ではあっても社交的に活動する人がいます。こういう人は見た目は老いていますが、精神的には決して老いていません。だから元気に動き回れるのでしょうし、向上心も人一倍あります。ワシと関わりのある高齢者はなぜかみな元気です。一体どうなってるんでしょうね、彼らは。サイボークみたいで恐ろしいほどです。

ところが同じ高齢者であっても家に籠っていたり、何の目標もなく過ごしている人は本当の意味での「老人」のように思えます。こうなると、もはや「お迎え」を待っている状態。人生にもう未練などないのでしょうね。ちょっと寂しい気もしますが。

話は変わりますが、どんなに徳を積んだ高僧の中にも死ぬ間際になってすら、生に対して執着する人もいたようです。たとえば一休和尚とか良寛などがそうで、両人とも最期の言葉が「死にたくない」だったそうです。

もちろん直接聞いたわけじゃありませんから、真偽のほどはわかりません。でも、もし本当にそのような言葉を残したのだとしたら彼らはまだ本当の「老い」の状態ではなかったのかもしれません。本当に達観していたら生に執着することはないでしょうから。むしろ本当に老いていたらあの世へ行くことを喜んで受け入れるのではないでしょうか。

それはさておき、前にどこかで見たのですが、面白いことを書いている人がいました。それは次のような内容です。

「いま世界には68億人もいるんだけどさ、中にはひとりくらい死なない奴がいても不思議じゃないよな?」

うんうん、確かにそんな人がいても不思議じゃない気がします。突然変異があってもおかしくないですもん。でも、遅かれ早かれ100パーセントの人に「お迎え」が来るんですよね。これを読んでいるアナタも書いているワシもいつかは同じ終わりを迎えるわけです。

現在はまだ健康ですから「お迎え」が来るなんていう実感はありません。そりゃそうでしょう。でも終わりがあるのは確かなのですから、せめて心の準備くらいはしときましょうかね。いや、いよいよそうなった時に考えればいいか…。

ともかく、たとえ肉体が老いたとしてもできるだけ活動的に日々を過ごしていたいと思います。理想ではあるんですけどねぇ。
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