ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

オペラは演技力で決まる

2006-10-12 05:22:24 | 音楽あれこれ
ワシの仕事をする時間は基本的に深夜から明け方にかけてである。このパターンは昔から変わらない。なぜこの時間帯なのか。答えは至って簡単。どこからも邪魔されないからである。つまらん営業の電話もかかってこないし、みんな寝ている時間だから。

シーンと静まり返ったなかでの仕事は本当に捗る。音がしないと寂しいという人もいるが、集中して仕事をするにはもってこい。ただし、この時期は季節モノのBGMが否応なしに鳴っている。そう、虫の声だ。

確か去年の秋にも虫の声のことを書いた気がする。その時は複数の虫がミニマル・ミュージックのように鳴いているという内容だった(2005年9月16日のブログ参照)。今年はどうかというと、昨年の「喧噪」はなく、もっぱらツヅレサセコオロギのリサイタル。もう二週間近くは鳴き続けているだろうか。

これがまた美声で、よく通る声。虫にしておくにはもったいないほど。たぶん前世はベルカントで歌いまくったオペラ歌手だったんじゃないか。でも前世が人間で現世が虫となると神秘学的な見地でいえば格下げ。そうか、コイツ、前世で放蕩三昧の人生を送ったんだな…そのツケが現在に。おぉ、おぉ、気の毒に…。ぬぁんて妄想をしとったわけですよ。

前置きはこれぐらいにしよう(笑)実はこのところオペラ関連の仕事をしている。オペラ関連といっても舞台の仕事じゃない。企画内容がオペラなのだ。詳細はまだ発表できないが、運命の悪戯というべきかとにかく好きでもないオペラの仕事に携わっているのである。

何でもそうだが、嫌いなことはヤル気が起きないものだ。でも仕事でも遊びでも楽しんでやるのがワシのポリシー。だから発想の転換をして面白く仕事ができないか考えてみた。

今回のシリーズでワシが頼まれた仕事は演奏が省略されていないかのチェックと字幕の確認。それにアーティスト・プロフィールを書くこと。演奏のチェックはスコアを目で追っていくだけの作業なので簡単だが非常に疲れる。これはまあ、やるしかないので我慢、我慢。プロフィールの執筆も事典類や資料を見ながら書けばいいので機械的にやればよい。

最も面倒くさいのは字幕の確認。歌唱言語の意味と日本語の字幕がかけ離れていないかを考えながら進めていかねばならない。こういうチェックを怠ると、商品として世に出た時にクレームが殺到するのは火を見るよりも明らか。だから神経を使う。あー、まるで苦行そのもの。

そんな苦しいことは何としても避けたい。でも仕事だからテキトーにやるわけにもいかない。で、どうするか。チェック作業はするが、音量を完全にオフにするのである。そうすることでまず音楽をシャットアウトすることができる。これだけでも脳みそに入って来る情報はかなり減少するので疲れも少ない。

それでもチェック作業は続くが、ここで楽しめる要素を発見。すなわち歌手たちの「演技」を観察するのである。ボリュームをオフにしているのでいくらうまく歌っていてもこちらにはわからない。この段階でそんなことはどうでもよい。むしろ彼らの表情の変化を見るのがとても興味深いのだ。ストーリーは頭に入っているので、その場面場面で彼らがどのような表情をし、どのような演技をするか。それ「だけ」を見るのが面白いのである。

すでにいくつかのオペラを「観察」したが、共通しているのは一流の歌手といわれる人々は一流の演技者でもあるということ。オペラ通の人からすればそんなことは当たり前だと笑われるかもしれない。しかし今回の仕事でそれを確信したのは大きな収穫だった。

歌ってのはさ、上手に歌えりゃいいってもんじゃないんだよ。歌うと同時に身体でのエクスプレッションが重要なのだ。そう考えると顔面の凹凸の少ない東洋人はハンディありすぎだね。表情の変化があまりにも乏しいんだもんな。いや、変化をつけようにもつけにくいというほうが正しいわな。そこへいくと西洋人は恵まれている。オーバー・アクションをしても嫌みに見えないし、そういう演技が却って効果的だったりするわけだし。まあ、オペラはそもそも西洋文化なのだから西洋人が上手に演じるのは当然といえば当然なんだけどさ。

うはっ、結論が何だかシロート臭くなってしまったわい(苦笑)
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