湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

10/14&15 津田沼往復体験と発作/自治会EVAG防災訓練、、またか

2023-10-16 03:03:00 | 地震津波災害ボランティア
2023/10/14&15 記
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ハッカーさん、病院探しで振り回されています。まもなく落ち着くと思います。

書き込みます。
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10/14
武蔵小杉の病院の見通しがでてきたこともあり、津田沼のクリニックの医師と、病院の役割分担を決める相談を母としていたが、津田沼に行けるか確かめたいという母の意向に沿って、悪天候だがでかけてみることになった。午前中が診療時間なので、やむなく朝、母と津田沼に向かった。実はこの通院は、危険がともなった。母の「めまい」は季節病。今月いっぱいは、毎年危険月であり、台風が天気図にあったからだ。しかし、常用薬が切れかけており、初診の病院から処方してもらえるとは限らなかったからだ。

津田沼から短距離だが、路線バスに乗る。大丈夫とは思えない。駅からタクシー。メーターが変わらずに着く。戸塚乗り換えだが、行きは順調だった。さすがに、予約なしで受け入れてくれたし、常用薬の処方箋も手に入れた。

問題は帰宅してからだった。夕食を作っているとき、母はベッドに寝ていたが、夕食の食卓に呼んだとき、立ちあがろうとして、ベッドサイドにへたりこんだ。無理がでたのだ。勿論,夕食は無理。

対応は慣れているが、津田沼通院の負担を知りながら、薬が切れるからと、悪条件下、移動途中これが起きる危険を甘くみていたことに、慣れのこわさに震えた。かよいきれない。隔月であってもだ。早く近場通院体制をつくらねばと思う。引き継ぎ医師のネグレクトが生んだ混乱である。

さすがに、夜間トイレ通勤はなかったものの、もし聖マリアンヌ医科大東横病院が駄目だったときの第二候補を探さねばと安全線を引く作業に入った。日本医大?

開業医は情報不足。学会筋からたどるか。津田沼の医師の第二推薦候補を待つかだ。とりあえず、津田沼の11月予約は、私だけでいいことになった。常用薬補間ということだ。

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10/15
母はいつもの時刻に起き、アラビアータのパスタをいつもの量食べて、ほっとした。13:30から茅ヶ崎南まちぢから協議会の防災訓練、豪雨災害対策EVAG避難行動訓練(机上訓練)に初参加した。

(あ,トイレ通勤,中断)

EVAGは、各人が立場の違う人物を演じて、その立場の人物の困難を考え、避難レベルが上がるにつれて、避難を考えていくというゲーム仕立ての訓練だ。

私は20代女性。50代両親の経営するコンビニの社員。登録英訳ボランティア。30代姉が、生後二週間の乳児を連れて、コンビニの我が家に帰省している。30代女性の従業員がおり、私の父親は外出中。

台風が接近しており、線状降水帯が発生。ハザードマップでは、コンビニは最大2mの浸水想定。近くに川はなく内水氾濫の危険。

私の班は、来日3ヶ月の単身アパート居住の片言英語がわかる外国人、15歳の男子スマホを忘れて避難途中,寝たきりの男性単身高齢者、他の2人は主催者と市防災対策課職員。

内容別々の4班が、避難レベルがあがるたびに、避難するか否かを考え避難するひとは、避難カードを引き、避難所エリアに避難する。

その都度考えたことを班内に意思表示して、模造紙に判断メモをレベルごとにはりつけ、班代表が自分が理解した班内まとめを最後に報告して、訓練終わり。自治会役員・市防災対策課挨拶で終わり。

防災にまで、形式ディベート、抽出データの放置破棄の矛盾にだれも気づかない。仕込まれた答え誘導の嫌らしさ。よくばりすぎと、論点共有のない仕切られた「フリー」トーク。やたら細かいルールが、脱線を封じていた。

市民活動全域に蔓延するディベート方式が,防災まで侵食していた。形を変えた教え込み、正解が仕込まれた予定調和のフリー。NG。

(校正1回目済み)


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10/13 武蔵小杉の聖マリアンナ医科大東横病院を口説く

2023-10-14 05:32:00 | 地震津波災害ボランティア
2023/10/13 記
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ハッカーさん、こんばんは。ここ数日,病院探しに、翻弄されています。医療連携といいますが、分野が違う科同士の話であって、同じ科同士は駄目ですね。カルテをもち込んでも,初めからやりなおす。連携のかけらもない。

市内の病院は大学附属病院から派遣された医者のため任期が短いので、カルテが繰り越しされず、一からで直し。だからだめ。大学病院や開業医を探らざるを得ないのです。

今日は浸水被災したかのタワーマンションがある武蔵小杉。

書き始めます。
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母を趣味仲間の会にあずけて、聖マリアンヌ医科大学附属東横病院に行った。対象科があるし、茅ヶ崎から運が良ければ真っ直ぐ湘南新宿ラインでいけるし、戸塚乗り換えでも、同じホームで乗り換えられる。しかも武蔵小杉の構内は歩かされるが、病院は駅前。地の利がある。

乗車後50分ほどで病院につく。案の定、予約のみ。受診相談、受付で拒否されたが、MSWさんに会いたいとし関門突破。ただ相談予約が続けて入っているというので2時間待たされた。

話はもつれた。ここに何を求めているかということだ。症状原因探索放浪経過と津田沼に開業した主治医のこと。遠方ゆえ、高齢通院でも特定医師の継続診察(主治医診察)可能なより近場の病院を探していること。さらに、津田沼の医師が調べたカルテの先を任せる医師に出会いたいと話した。

ご期待には添えないとSWは言う。まずは慢性病回復リハは、術後回復か、特定疾病に限定されているので、母の症状があてはまるかわからないこと。津田沼の医師の指導で実施することはしていないこと。

切り捨ての気配を断つために、他院医師の指導で動けとは言っていないこと。前任医師の長い治療記録を活かしてほしいこと。母が高齢で通院が、より楽なところだからと、期待と要望を告げた。

少し黙考があった後、津田沼から紹介状とデータ持参の上、11月⚫︎日、当人を連れて来てみてください,予約入れておきますとなった。

診察券の発行。
とりあえずの目的達成である。

夕闇が迫り、防災電球の狛江行は、時間切れとなった。

(校正2回目済み)

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10/11&12 母の常用薬切れがあり、自主的専門病院探しへ(東海大は駄目)

2023-10-13 03:45:00 | 地震津波災害ボランティア
2023/10/11&12記
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ハッカーさん、おはようございます。
年寄りの疲労は、二日三日後に来ます。東京通院の無くなった水曜日、母は午後までベッドから出てきませんでした。私も昼食を食べた後、ごろりよこになり、読み上げ機を使って,「福田村事件」コピーを機械に読ませ、うとうと。

まあ、書きはじめます。
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だめです、ねむくて。
明日は13時半から2時間会議です。

その後、書きます。
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10/11 
医師が母を送り出そうとしていた先の検討がついた。やはり名古屋大学医学部附属病院だ。だがここは、診断病院であって、慢性病治療病院ではない。母の常用薬はまだあるが、津田沼からもらう以外ない。母がいつまで通えるかわからないので、東海大学附属病院を探りに出かけた。実は前に通ったことがあり、全く的外れだったので、見切りをつけた病院だった。厚木から乗り換え、次は同じホームだが本厚木でさらに乗り継ぐ。この乗り継ぎの階段が問題なのだ。海老名から行かないと、エレベーターが問題、海老名はホームが離れているので、露天歩道橋を渡る。雨天通院は負担が大きい。常用薬は近場でもらう方法はないのか。市内病院が医師サイクルが短く、全滅なので、来週いっぱいまでに、探さねばならない。専門主治医探しだ。

母をリハに預けて、その間にたどるので、1箇所しか行けなかったが,結論はセンスも通院路も全く駄目だった。当時と比べて,母の足腰は弱まっているのだ。
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10/12
病院を聖マリアンヌ東横病院とし、探ることにした。武蔵小杉、湘南新宿ラインだ。明日、母を趣味仲間に預けて、探ることにした。預けは6時台まで大丈夫なので、帰りに登戸経由で狛江に寄る。10/15の自治会防災DIGに、防災電球を紹介できる。
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zoom会議は倉敷真備の精神病院と地域防災の話。PSWさんに、概要を聞いた。また心的外傷治療の話など。しかし通り一遍の日常活動紹介話が主であり、加えて医療関係者が多かったのだが、倉敷市各地からの参加もあり、豪雨災害の体験者と非体験者の意識格差があって、散漫な話で終わった。守秘義務はある。だがなぜ観光ガイドを語る。職員被災、人員不足の体験をなぜ語らない。いつもうんざりする。

(校正1回目済み)

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10/09&10 偲ぶ会の様子/津田沼の通院は/母の低血圧

2023-10-11 05:14:00 | 地震津波災害ボランティア

2023/10/09&10 記
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ハッカーさん、ご無沙汰しています。9日は20人ほどの偲ぶ会、10日は津田沼と午前出動が続いていました。先ほど夕食後耐えられず2時間仮眠をとりました。東海道線車内では寝ていたのですが、やはり老体にはこのピッチは無理。とりあえず、日記が溜まらない様、様子を書いていきます。
-----------わに
はじめに、10/10津田沼通院後の失敗から。

10/10
意見書・紹介状話は、昼前に終わった。防災電球製作所の狛江に出るために新宿まで戻った。そのとき、母から電話が入った。血圧の上が75。調子が悪いので時間見てタクシーで、主治医のところにいくけれど、私は何時ごろ戻ってくるかという内容。冗談ではない、ひとりマンション階を降りて,タクシーに乗るなど、危険。帰るまで単独行動をとるなとたしなめ、浜見平の@@さんに救援を求める電話。だが彼女は東京にいた。間に合わない。近所の母の趣味仲間の##さん宅に電話。鳴りっぱなしで留守。

湘南新宿ラインで帰宅。母は寝息をたてて寝ていた。バイタルをとる。35.5℃,血圧上90下60微妙。

午後の診療開始にあわせて、連れていく決断をした。頭がぼーっとしているというが、足はふらついていなかった。たまにこういう状態があったので、連れて行けると判断したのだ。

前日に東京の旧友を偲ぶ会に出席していたと医師に告げた。点滴をするから、少し休んで帰れといわれた。直す手がないのだ。

夕方、タクシーで帰宅したころには、母の言葉がしっかりしてきた。家の血圧計で上が108まであがっていた。母の平常値が100位なので、復活と考えた。

こうして狛江も茂原も、おじゃん(なつかしい)。ため息をついていたら、なんと次は私。夕食後、目を開けていられなくなった。連日午前活動ショック,睡魔である。逆らわず仮眠をとった。
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津田沼のクリニックは、待ち時間、看護師に茅ヶ崎を教えることからはじまった。家を出てから3時間かかる。相手はサザンのところだと言ってもサザンを知らなかった。桑田というと、ああ、あのおじさんという反応。野球じゃないぞと思ったが、話がこじれそうだからやめた。

そんな馬鹿話はともかく、今回、母を連れてこなくてはいけない紋切り話は、無くなっていた。意見書は出来ていた。しかし紹介状は私が受け取りを拒否した。「神奈川だから新幹線で、すぐだ」と言い出したのだ。行き先は名古屋だった。津田沼でさえ隔月通院なのに、93歳を毎週新幹線通院しろというのですかと、問い詰めた、非常識な。

「駄目かな」と、不服気味の医師に、遠出可能なら、ここに通いますよと告げる。「いい方なのだがなあ」と医師。神奈川・東京で探してくださいと、この間の抜けた話を蹴飛ばし、要望をだして相談を終えた。「他を探すから、時間をくれ」との話で、私は手ぶらで津田沼を去った。

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10/09

亡くなった@@さんは、私の子供の頃から、母の友人として面識があったから、私も私なりの思い出がある。母とは中学校時代からの長いお付き合いだった。一時期は祖父母の店でアルバイトをしていた。戦災時は我が家の疎開先の吉祥寺に一緒に行っていたらしい。祖父と母は疎開がいやだと、日本橋に残って、大空襲に会い,焼け出された。機銃掃射避難体験もしてきたという。

@@さんは、我が家族とともに吉祥寺に疎開し、母のいない女手だらけの我が家に通い、若手として手助けしてくれていた。

戦後,闇市に店を起こし、建築業の先夫と結婚、死別後会社を継いだ。社長時代の彼女と母は交際を続け、その頃、母は父と一緒になり、再建した日本橋の我が家で私を産んだ。その後も@@さんとは、私をだしに交流が続いた。

まもなく、前夫が病死。数年後再婚したその夫は目黒の大地主。建築業の会社は中央区の不動産業に転業し、退職後も会社に関わり続け、その後、、息子にゆずった。

母と全く違った道を歩んだ@@さん。和食道楽で、母と近場を食べ歩いていた。

会場はそんな関係から、建築業関係者が多く、自民党都連から中央区議の&&氏が確認できたが、あとはよくわからなかった。ただ、小規模の会、長い付き合いの方ばかり。

母にしてみれば、和食道楽の友達と再会したりしたが、私の弟と同年齢の息子さんとの話がしたくて偲ぶ会に出席したが、後半の立食パーティが,母には「疲れるばかりだ」と,気に入らなかった。この立ちっぱなしが、翌日の低血圧につながったのだ。

長くなったので、まずはここまで。

(校正2回目済み)

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10/09 目黒に行きましたが,明日朝,津田沼通院です

2023-10-10 03:44:00 | 地震津波災害ボランティア
わからんちん看護師に医師との連絡が遮断され、母抜きですが、意見書を受け取りに行ってきます。2時間半かかるので、書き込み、休みます。

目黒珍道中話と、津田沼から茂原に足をむけられたら、被災資料と育成会(時間的に無理かな)コンタクト取ってきます。だめなら、狛江の防災電球製作所に寄れたら寄ります。

(校正1回目済み)

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10/08 月曜は雨、あした、まとめて書き込みます

2023-10-09 03:15:00 | 地震津波災害ボランティア
2023/10/08 記
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ハッカーさん、こんばんは。
駆けつけ支度が終わり、明日朝,藤沢で着付けです。次回まとめて書き込みます。
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10/07 わからんちんの氾濫の日

2023-10-08 13:53:00 | 地震津波災害ボランティア
2023/10/07 記
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ハッカーさん、こんばんは。
月曜日の準備色々出てきて、振り回されて一日が終わった。例えば母のネックレス、母は両手の握力が極端に少ない、交通事故の後遺症だ。書道師範だったが,今は無惨だ。細かいことが出来ない。だから、ネックレスをつけられない。わたしは、止め金具が見えないから、手伝えない。着物だが故人と訳があるらしい。日曜に,母の趣味の仲間に留めてもらい、月曜まで付けっぱなしにする。こんなことだ。

まぁ,書き始めます。
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(今,夜間トイレ通勤ありました。)

ともあれ,騒々しい一日だった。

母の東京葬儀参加は、通院とは違い,女手の支援が必要だった。当日朝は、藤沢の美容室で着付けする。

そんなこんなのごたつきの最中、定期の訪問介護の生活支援が割り込んだ。居室清掃などだが、短時間だが、必ずその場に当人がいなくてはならない。下着の買い出しは、協力者がいないので、母を売り場に残して,私が家に戻って、ヘルパーさんを迎えたが、アウト。

私は支援者が異性なので、玄関前でたっていたが、

当人がいない訪問介護は違反
当人以外1:1状態は違反

ということで、中止となるという話でもめた。幸い母が「用事が済んだ」と,私を追うように,タクシーで帰宅、10分短い支援となった。私がヘルパーさんが女手であることに気づき、支度の穴がないか相談にのってもらったらと母をうながしたのがいけなかった。当日は祭日であるし、介護度点数内かもケアマネの承諾がいると、事業所に電話、確認が始まった。結果はダメで、今回の支援、時間超過が発生したので、超過料金がかかるという。当日朝着付けを頼んだらしい。的外れ。

ヘルパーさんが帰り,まあ一息と、お茶を入れていると電話が鳴った。津田沼のクリニックの看護師からの電話。火曜日10時にきてくれと言う。母は連日の遠出となるから無理。相手は地元患者と勘違いしている。また、一悶着がはじまって、診療時間外だから医師は帰ってしまったと、ゆずらない。事情説明して、私だけが意見書を受け取りに行くとして電話を切ったが、すぐに折り返し、予約中止、火曜日に予約取り直し、当人来院のことという。93だぞというが、みなさんそうされてますとの応答。私らは茅ヶ崎だというが、若い看護師、茅ヶ崎がわからない。開院したてで、みなさんは無い。火曜日にこちらから電話することにしたが、相手は電話診療はしていないという。予約だと応答するが、電話予約はしていないという。火曜日、予約をとりに津田沼にいくことになった。
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さらに、自治会@@さんから電話が飛び込んだ。防災会場まで、ガイドしないで大丈夫かというもの。話してみると全盲と間違えている。視覚障害者は全盲なのだ。接点がなかったことがありありとわかる。初めて話したときの、中途発症者という話と、枠内に収める書字困難という説明などが、話せば話すほど、相手はオーバーフローしてしまう。

大丈夫、やってくれるなら、館内階段昇降見守りしてくれると助かると告げた。

わかりましたと応答があったが、嫌な予感がしている。

etc.空転ありありである。
わからんちんが多すぎる。

書籍「福田村事件」到着。

(校正2回目済み)





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10/06 連休前、事態は急転回して

2023-10-07 05:04:00 | 地震津波災害ボランティア
2023/10/06 記
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ハッカーさん、こんばんは。母を趣味仲間に預けて、津田沼に行ってきました。昨日は、やはり休診日。連休がはいるので、急ぎ行ってきました。遠いですねえ、2時間を超えます。戸塚乗り換えで、つながってはいるのですが。

さて、書いていきます。いろいろありました。
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まだ患者さんが定着していないので、すぐに話をすることができた。

また,振り出しからやり直すことはできない年齢。治療経過と先生の意見書をだしてくれないかと頼んだ。メモがあるから可能だが、時間が欲しいとの回答、収穫。
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母を連れて帰宅。ドイツにホームステイしていた@@君が、みやげをくれた。紅茶だ。苦味が強い。
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私が関わっていた地域防災懇談の申し込みチラシができたと、元の地区の包括から電話。少しはなしをさせてくれるそうだ。ただし、高齢者関係だ。施設BCPに、地元災害ボランティアとの連携をどう書き込むかだ。
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10/15の茅ヶ崎南自治会の防災訓練はDIG。障害者支援の提案をだす。在宅避難と御用聞き支援、若手育成対象として、高校生ボランティア養成という骨格提案。

副会長さんと話をした。
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母の偲ぶ会参加準備、自民党都連からも来るらしい。行きたくなくなってきた。9日は雨らしい。母も入る大きめな傘を買った。スーツ,冬用だから暑いだろう。
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紙芝居ヘルプ話、津田沼からの帰り、平井の夜間中学ボラ関係の紹介の方と会う。わかるのか強烈な拒否反応。ああ、某政党関係者の方。そんなに私、元過激派顔しているのかなあと疲れた。たちまちご破産。化石じじいなんだけどなあ。
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(校正1回目済み)


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10/05 医師の引き継ぎの難/当事者と支援者の隙間、体験ということ

2023-10-06 15:16:00 | 地震津波災害ボランティア
2023/10/05 記
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ハッカーさん、おはようございます。東京通院があった翌日の木曜日は、母は昼過ぎまで寝ています。夜間トイレ通勤があるから、熟睡はしていませんが。

昼は、さっさとできる「ちくわ,ほうれん草のうどんwith温泉たまご」。洗濯機見ながら洗顔。来客は、包丁研いでいる鬼ババアと,惚けジジイがでてきて、にげだすでしょう。恐ろしや。
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昨日の東京通院時の診察決裂をうけて、津田沼の医師のクリニックに電話した。出ない。10月開業のはずなのだが、木曜なので休診日かもしれない。


予測されていたので、引き継ぎだけは、しっかりお願いしますと頼み、承諾をもらっていた。予測通りになることに、虚しさをかみしめつつ、次の方策を考えている。だんだん遠出が無理になっていく。治療経過を含んだ意見書をもらえないか、近場の医師はいないか、訪問して頼んでみる。
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紙芝居に、誘った高校生向けの紙媒体メールを作っている。

災害ボランティアをしていると、被災者の方々の裏側の顔をみてしまう。支援は助かるが疲れる。わからないよ当人じゃないものというものだ。それはそうだが、支援を拒否することにはならない。ただ、言えることは、考えてくださいという隙間だ。

私が思うのだが、「良いことだから、やる」というスタンスに「祈りのない言葉は伝わらない」ということ、勝手に祈るなも正しいけれど、「なぜ私は願うのか」を考えて欲しい。「良いことだから」という方の啓蒙活動は、伝わるだろうか。活動から考える契機がえられるだろうか。ましてや相手が幼児である。

メールを書いては考える。君と語れる言葉はあるか。

(校正1回目済み)




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10/04 東京通院最後は荒れ模様

2023-10-05 05:14:00 | 地震津波災害ボランティア
2023/10/04 記
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ハッカーさん,こんばんは。日が短くなってましたね。東京通院が今の病院は最後になりそうです。所詮医者なんて、こんなものかと過熱ぎみで、おきまりリハをすませて、帰りに糖尿病の敵「ちゃんこ鍋」を、やっつけてきました。
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前の医師が開業するため津田沼に去った病院で、引き継ぎの医師と口論となりました。

「耳鼻科に行ってみませんか?」

このひと言で、何も引き継がれていないことが露呈したのです。前の医師は問診記録が熱心で、ボイスレコーダー起こしもしていた為,十年近くのカルテの厚みが7〜8cmに、なっていた。見せびらかすのが,難だった。

母の突発的めまいは、三半規管や、癲癇(てんかん)や、脳腫瘍、起立性症候群でもなく、神経系のフィジカルな病だが、正体がしれないため、10余年病院探し、学会の専門医まわりを経て辿り着いた医師だった。

また1から,やり直しの検査詰めと診療報酬稼ぎに乗せようとしているので、前任の先生から引き継ぎをしておくと告げられたのですが、あの分厚いカルテ、目を通してくださいましたか、関連病院まわりは10数年かけて、ここにたどり着いたのです。カルテを読む手間が面倒だから、私たちをふり出しに戻すつもりですか。

カルテは@@先生が持ち帰ったと医師。

嘘の上塗りをしないでください。診療記録は病院に所属、保存されます。いい加減にしてください!10余年、反故にされてたまりますか。何引き継いだのですか。

…@@先生のところに行ってください。大学病院なら、紹介状かきますよ。

馬鹿にしないでください、症状もわからないひとが紹介できるのですか。何でカルテを読んでおきますと言えないのですか、情けない。治療費はらわねばならないのか、病院と交渉しますよ。

看護師,青ざめていました。

こうしてここの病院は、最後になりました。

苦情係いわく、素人が良し悪しをはんだんしてはいけませんよと、また新たな火種。

母の「疲れたから,帰ろうよ。診察費、手切れ金だと思えばいいじゃない。喫茶にも入れない額だけど。」の割り込みがなかったら、戦いは延長戦でした。
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で,ちゃんこ鍋。

津田沼にいかないといけないなあ。

(校正2回目済み)




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10/02&03 低空飛行から無事着地か

2023-10-04 00:00:00 | 地震津波災害ボランティア

2023/10/02&03 記
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ハッカーさん、おはよございます。うっすら自覚していた白内障併発、結局慈恵医大眼科に戻る以外方策がない様で、症状によって、書き込み時間が乱れます。よろしく。
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母が美容院を予約。そこでは着物の着付けもやるとのことで、申し込んでしまった、解決ではあるが。旧友の偲ぶ会当日、朝、藤沢8時となった。気分最悪、実質徹夜だ。
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ビッグイシューを仕込む。

Windows 11は、元から生成AIが入るから、使いやすくなるよと、ビッグイシュー販売員さんが、なぐさめたつもりで私に語った。見えないから画面に接近、接近するから画面の一部しかみえないことや、キーボード上に上半身がかぶさるから、ブラインドタッチしなくてはならない。そのどこが,生成AIで助かるというのか。わけわからん。
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赤い羽根募金が始まった。高校JRCは街頭に立つから、この時期急がしい。担任と話したい、さて?
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目が、ランドルト環乱舞、毎日続いていたのだが、眼科にかかってからひどくなった。このことを警戒していたのだろうか。
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10/03
明日は東京通院があるので、元横浜国大事務員の旧友のお宅を訪ねた。昨年亡くなっていたことを私は知らなかった。突然の訪問を受け入れてくれた彼のご両親に感謝。お別れをすませたが、知り合いがまたいなくなった寂しさがある。母が誰もいなくなったよと言っていたことが、わかった気がする。

しかし京急に乗ったのは何年ぶりだろう。横浜経由で帰宅した。
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夕飯が間に合わないので、母とてんやで夕飯をすませる。食事中、馬込の塾生だった@@子から連絡が入る。また作業所でもめて、親が叱るので、いつもの寺の宿坊に来ているという。さすがにゆとりがなくなっているので、一度電話を切って、住職に電話、事情を聞き、実はゆとりがなくなっているから、受け止めきれないので、よろしくおねがいしますと、任せた。二十年余の付き合いである。@@子に短絡的なことを言う危険を避けるベターな判断だと思う。まずは、自分の悲しみを受け入れていく時間を確保した。

難しい顔しているから、ご飯がまずいと、母にたしなめられた。ああ、まだ大丈夫だなと、母の顔を見た。

明日の東京通院。無事に済ませよう。


(校正1回目済み)
p.s.
電球チェック、狛江に行く。
●かりはな製作所/防災電球




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10/01 高校生への手紙を

2023-10-02 11:26:00 | 地震津波災害ボランティア
2023/10/01 記
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ハッカーさん、おはようございます。
笑わないでください。高校生達、だめだろうなと思っているのですよ。

鶴嶺高校のボランティア塾という高校1年生の特別授業があって、その場で防災を語るのですが、「津波が来た、逃げろ」という訓練型の授業は、なんとか成り立つのですが、私のように、何とか生き延びた「災害弱者の方たちの手を離さない」という授業は、空回りします。授業後、感想をアンケートの形にまとめて送ってくれるのですが、大半は「大事な仕事と思います」というような、差し障りの無い応答ばかり。「お年寄りは助けなければいけない」と思いましたと書かれると、手をかさなければならないお年寄りが、君の身の回りにいるのかなと、問いたくなります。わかりますか、隙間が空いているのが。きちっと自分の考えを返してくれる子もいますが、大概、医療関係か福祉職員家族の子です。

この隙間、こわいですよ。

朝になってしまいましたが、書きはじめます。
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昨日は日曜ですが、やっと予約の日になった横浜の眼科にいきました。母はナースコール管理。

「白内障がありますね、眼圧が高めですが抑えられているようですが、少し様子を見ましょう。通ってください。帰りに予約を取ってください」とのこと。次回予約は11月ですとのこと。(私の話は聞き流し)予約とりつつ、医者探しを再開せねばと。

次に立ち寄るビッグイシュー販売員さんに連絡をとっていました。こちらも「部数が整わないので、明日にしてくれ」とのこと。やむなく大船でパンの補充をして帰宅。

高校生達に、悪あがきかもしれませんが、紙メールを担任の先生経由で、わたしてもらいます。
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今週中にダビングが終わりそうです。

10/15 に、地域自治会の線状降水帯の机上演習に参加します。藤沢の精神障害系の上映会と重なりますが、今回はこちら優先。

横浜国大の元事務職員の@@君に電話。息子さんが出て、昨年亡くなったことを知る。

元看護師の妹さんの事故の訃報が入ったばかり。しんどいなあとおもいつつ、「社会活動という生き方」のことを書いたメールをPCブラインドタッチ練習で書いている、高校生宛。悪あがきなり。

(校正2回目済み)

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9/30 西浜高校生と災害語り悪戦苦闘・下

2023-10-02 02:27:00 | 地震津波災害ボランティア
2023/09/30 記
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ハッカーさん、おはようございます。
茅ヶ崎駅は,構内も警備が厳重,大変混んでいました。ライブだけではなく。(トイレ通勤あり。無事終了。)家族イベントが重なったらしい。市内小学校、インフルエンザ学年閉鎖の話あり。大丈夫なのかと。

さて、書きはじめます。
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母が故旧友の偲ぶ会参加のために、着物の着付け人を包括のケアマネさんに紹介を頼んでいたが、有料ボラさんから電話がかかってきた。

母が不機嫌になった。先方は車椅子ユーザーの着物つくりや、着付けのボランティアで、健常者の着付けは、他をさがしてくれと叱られたという。

さて、訪問着付け、さがさねばと、私には全くわからない世界、とりあえずヘルパー派遣屋筋を月曜に電話することに。
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(続きから)
ああ、また高校生の好奇心、摘んでしまったかなあと,ため息をついている。

私の呼びかけに応じて、幼児向けに紙芝居をやりたいと集まった高校生に自主防災活動を始めてほしいから、活動の必要性をつたえる防災話を始めてしまったのだ。ただ幼い子に接したいからとか、紙芝居が面白そうだからということであってほしくないという猜疑心があったからだ。私の側から対話を絶っていた。勿論応答は消えた。

高校生はボラの補助労働力ではなく,高校生独自の活動があると語る。だが何の話かわからないだろう。

話し終えて、やってしまったという無念さ。

紙芝居の現物を持っていかなかった反省がある。提供しておいた紙芝居があるものと考えていた甘さがある。

さてどうする。

(未完)
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(校正1回目済み)

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9/29 西浜高校生と災害語り悪戦苦闘・上

2023-10-01 00:17:00 | 地震津波災害ボランティア
2023/09/29 記
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ハッカーさん、おはようございます。茅ヶ崎は昨日から明日まで、サザンのライブがあって、海側の道が混んでいます。今日行った西浜高校は、海っぷち。海側の路線バスは遅れ。山側のバスを使って
往復,混雑回避出来ました。

母の鍼も海側なので、タクシーを頼んだら、迎えがいつになるかわからないと、申し込みを拒否されて、遅れている路線バスに私がおしこんで,鍼灸院に連絡後、西浜高校に向かいました。帰りは、辻堂で外食。ライブに振り回され、つかれました。

さあ、書きはじめます。
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西浜高校では,JRCの話が教員間で共有されていなかったため、危うく生徒さん達とすれ違うところだった。教員は雑務だらけ、企業ほど伝達の正確さが鍛錬されていない。だから、こんなものとあきらめている。しかし無事会うことが出来、むだ足にならず、ほっとした。

@@先生が急遽担当されたが、無理があったようで、ご苦労様でした。

生徒さんは、見知らぬ親父の前では、沈黙を守る普通の女の子。教員からどのような呼びかけを受けているか、前段がわからず、軽い自己紹介のあと,その辺の打診から始めた。

私は場面緘黙の不登校の中学生と出会って、ひどく苦戦したことがあってから、相手が複数の時は、キャッチボールではなく、撹拌することにしている。相手が互いに様子見している状態を壊し、おしゃべりを始めるようにしむけている。

しかしもうひとつ、7年目の落差を発見した。視覚障害の進行。表情が見えない、離れているので息がわからないのだ。悲しかった。私自身がシンクロ困難なのだ。
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予備知識の打診から始めた。災害とはどんなものかと問いかけた。大人も含めて、津波・地震・洪水などをあげるが、人が死ぬとか、家族が壊されるというような光景を語る人にであったことがない。ましてや痛みを感じさせる連想は、戦災を語った高齢の方だけだった。いかに災害を間近に捉えていないかがわかる。話によると地震体験車が文化祭に来て、震度7を体験したが、立っていられなかったと語る。思うのだが、遊園地のアトラクションとどう違うのか、当人に体験からの連想がない。日常生活・社会生活が破壊され、人生がねじ曲げられる恐ろしさ。この隙間をこの子たちにつたえられるのだろうか。

話しながら、太宰治のトカトントンではないが、この虚しさ発作が起きた時は、@@先生に振るに限る。学校ではどのような防災企画を進めているのかと、生徒の予備理解を探った。

授業をしていますと…これも空転。

こうなると、被災地支援の体験談を手がかり探しで語ることになるが、ここにはまると、聞いていないから終わる。

途中で作戦変更したのだが、関東大震災の震源を全員知らず、鬼怒川の氾濫があったことを知らなかった。あとで話題にした「ご用聞き」支援の「ご用聞き」自体が通じなかった。

自爆する前に、JRCに届けておいた長野県の紙芝居を出してもらおうとしたが、管理者ではないのでわからないと空転。

そこでクイズ形式で、問いかけることにした。

(続く)

(校正1回目済み)





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