2023/10/30 記
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ハッカーさん、こんばんは。
辺見庸原作の映画「月」を観てきました。石井裕也監督。津久井やまゆり園の重度障がい者の大量殺戮事件を題材にとった、しんどい作品。
辻堂駅構内を居場所にしていた路上生活者@@さん、私が食事差し入れ等、関わり続けてきたけれど、重い糖尿病、エレベーター前通路上で亡くなったが、彼の遺体は、私が発見するまで死後5〜6時間、通行人にまたがれ、迂回され放置された。誰も悪くない,ただ@@さんの白濁した人形のような虚な目が私の脳裏に焼き付いていたから、またいで通り過ぎたあの人々が、黙って遠巻きに映画を見ている幻視。沈黙の視線をこの映画の、殺戮のヒーローのまわりに感じていました。ちょっとだけ、映画の見え方が皆とずれていたかなと思いつつ、でも私はここにいると、呪文のように、ひとりつぶやいていました。言葉が干上がった無機質な空気に晒されて世界中が沈黙しても、私は私。@@さんを看取ったように、私は@@さんたちの生に寄り添います。
通じない言葉…、さてかきはじめます。
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●公式サイト
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私はこの映画館に来るのは2回目だった。どうでもいいセレモニーの実行委をサボってでかけてきたのだが、駅前の通行規制から初めての地下街に誘導されてから、道に迷った。何と90度方向違いを彷徨っていたのだが、今の私の目には、有名なビルさえ見えない。こういうときは、子連れ夫婦か通りに出ている年配の店員を探すのだが、この街は早足で歩く,連れ添った若い子たちと、外国人しか通らない。店もドアを開けて奥にいかないと店員がいないし、若い子しかいない。大概バイトで、自分の関心ポイントしか土地勘がない。上映開始時刻が迫っているので、思い切って3箇所の店に入り、ベクトル指示のような視覚を使わないガイドを求めた。拒絶は1件もなく親切だったが、全く要領をえず、全員スマホを取り出した。見えないからという私の言葉に困り,頭をひねってくれた。それだけではない。ピアスの学生バイトらしき子は、どこに行って,何をみるのかまで聞いてきた。「月」というと、一呼吸おいて、ああと口をつぐんだ。しっているなとわかった。
夜間傾聴の体験から、若い子の目印範囲をうっすら知っていることを手がかりにした。実住所や通り名は禁句とわかっていたから、島伝い式の質問で、30分遅れでたどりついた。店の扉の向こうは親切だった。障がい者や高齢者へのあわれみではなく、予断せぬことへの応答だった。
途中入場は断っているという職員に、障がい者割引で入ったことを見せ、40分近く道に迷ったことを伝え、このまま帰れというのかと交渉。こうして途中から観ることができた。
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しかし、始め5分、すぐに力がある作品だと分かった。織り込まれる場面、今私は何を目撃しているのかがわかった。
照明のない窓からの明かりを頼りに、室内の重度障がい者の身の回りの世話を機械的に行うシーン。ふたりの職員の会話には、当事者の影すらない。横たわるのは、ものである。強い悪臭を語るが、すぐに次の入所者の部屋へと移動していく。
私の見逃した初めのシーンでは、さとちゃんという若い職員が、入所者の待遇改善や、人権擁護を上司に訴えかけて拒否されるカットがあったらしく、この彼が現場体験の中で、対話の期待を打ち砕かれていき、やがて優生思想に傾いていく過程、どこにも見かける青年が、役に立たない生を不用と判断するに至る変化を、シンボリックに描いていく。
いくつもの伏線に、ひとの生の極限体験をめざす、師匠とあだ名される作家の女性が施設職員のバイトし、夫の映画監督の卵と、生きることに意味を探すことへの疑念を交わす会話に、生きて出会うことの価値がつまづきながら導かれていく。
これらの絡み合いの中に、さとくんの入所者殺戮が爆発していく。平然と厄介者・悲しみ苦しみしか生まない者の処分が行われていく。悲惨というより、映像を観る私は凍りついている。
辻堂駅の@@さんの最後が重なった。身が軋む思いに包まれつつ、歯を食いしばる私がいる。私は幼い時,病弱で2回臨死体験をし、病院生活をしてきた役立たずである。私はいなくなる。だが私は生を全うする。愛おしさとも違う握りしめた実感である。私は寄り添う。外気が寒かった。
(校正1回目済み)
p.s.
<予約した書>
●「月」辺見庸著(2021角川文庫)
ISBN:9784041111505