湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

12/8 病院詣初級編始まりか

2010-12-12 10:07:14 | 引きこもり
2010/12/08 記
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左目の霧は晴れてきたが、右目は外周数箇所、自分から見て「E」の太字状の位置以外の部分、つまり体側部分が、ややものの形が見える程度に霧が部分的に晴れてきた。結局、涙液の点眼薬で日に数回洗浄し、眼圧のレスキュラ点眼薬を日に2回点眼、ビタミンA剤(1万単位)を同2回飲み続けて、網膜と神経束の血流を良くし、眼圧上昇を抑え続けて眼球の抵抗力を支援し続けているだけなのだ。

大阪大学医学部では、電子機器を体内に埋め込み、視力回復を目指す研究が行われている。カメラ等に使われる感光素子のICチップを額に埋め込み、その電気信号を網膜近くに埋め込んだ増幅ICチップを経て、視神経へと信号を送り込む。つまり身体の一部をロボット化して代替する研究だ。京大のiPS幹細胞による視神経再生治療よりも早く実用化できる見通しで、数年先に先端技術医療の現場に登場すると聞いた。しかし瞳に細工するわけではないから、3つ目とか4つ目人間登場となるわけで、眼鏡状に感光素子をかぶせる形を取る以外、視差の問題が残っていく。初期は装置の埋め込み手術とメインテナンスの技術費が高いだろう。また電子回路への誘導を軽減しないと、心臓のペースメーカーと同じ悩みを抱えそうだ。

左目だけで字を読み書きしているので、長時間の凝視は全盲への道を歩むことになる実感があって、疲労感に一喜一憂している。オブラートを被った様とも形容できるが、右目中央部は何cmモノを近づけてもかすんで見えない状態になった。網膜色素変性症は、増殖しない視神経が死滅していくために自然回復はしない。右目は明るさ、色はわかるが、輪郭はむらのある曇りガラスを通したような視野の中にいる。18日に慈恵医大眼科で治療戦略をたてるための網膜の部分撮影を行う。今までの医師は現状維持を治療と位置づけてきた。今回はより詳細な状態像を知ることによって、+αの治療を探すというものだが、iPS細胞の再生技術以外に回復はしない。再生技術実用化は最低十年はかかる。

眼の乾き感があって、地元眼科に頼み込んで、二次障がい対策の治療を受けている。医師というものは教員と同じ、一国一城の主の感覚が強い。ましてや慈恵医大の検査待ちとなると、補助という事になるので、素っ気ない。

昨日も昼前に眼科を、午後は糖尿病治療の内科に行ってきた。母が眼科に通院しているが、私の眼科と母の眼科は違っているので、午前中母がかかってから、私が携帯で連絡を取って迎えにいくことで、危険を避けた。母の「めまい」の調子は小康状態のため、行きの家からタクシーを使って通院するのをやめ、路線バスを乗り継いで通院した。帰りは私が駅前で路線バスを待つ形で合流し、家に戻す。母の眼科主治医は眼科領域の病ではないと言い切っている。しかし精神・神経系の地元医は大学病院と同頻度でしか治療が受けられないので、胃切除の消化器系の内科医のところと精神・神経系の大学病院の二股で治療を続けている。「めまい」は突然やってくるが、平常時は元気だ。私は注意力が、母は突然の身体制御が問題で、待ち合わせをしても意味が薄いと自嘲談義をしている。

午後の内科医のところでは、医院存続が危ぶまれるほどの通院患者の少なさ、私が行くと、私以外患者がいない若い医者のところに通っている。私は酒煙草をしないし、最近はほとんど外食を断った。喫茶も無糖の紅茶にコーヒー、ミルクも入れない。食事も量が問題があるが、素材は模範的である。だから医師は検査以外は、話題に苦労している。ただ今回は少し新しい情報を持ち込んできた。私のようなII型糖尿病(非遺伝型)は、新薬の開発でここ数年のうちに薬物治療可能になるという話だ。新聞情報よりやや詳しい話を聞いた。自助努力は今よりもはるかに軽減されるという話で、要するに今、受け取っている「エクア」錠は、インスリン分泌促進剤ではなく、インスリン分泌促進ホルモン分泌促進剤の柔らかな薬であり、新薬なのだという宣伝なのだとわかる。しらけるが、薬をもらいに行っているようなもので、ならばすいている専門医の方がいい。

ここのクリニックと薬局は同じビルの中にあるために、両者とも出入り口に20cm弱の段差がある。しかもその段はつま先が宙にはみ出すほどの浅いもので、高齢者医療が主になる医療機関としては無神経な状態にある。私が通うパン屋にも段差があるのでそちらは情報提供したが、簡単なステップをいれて解決した。実際に転倒が起きたらしい。しかしこの医院・薬局は言っているが反応は極端に鈍い。全員若いのだ。転倒の危険が理解できない。医療関係者の想像力の無さが気になる。若手の問題は、このビルの関係者だけではない。

私は交通事故で数年間、杖をついていた。退院後、ダイクマから道にでる下り坂のスロープが怖かった。隣の100円ショップと不動産屋の段差は高く、上るのも力が要るが、下りは下手をすれば転落である。こういう街の危険が潜んでいるので、健常者が走り抜けたり、最悪のカートを引きずって、携帯電話を見ながら歩かれると凶器が歩いているようなものである。雑踏は人的にも構造的にも危険に満ちている。

母と歩くことは、その危険ポイントを私の指摘によって実地学習しているようなものだ。茅ヶ崎の街路の桜は背が低い。だから開花時、先行の歩行者が枝を引き下ろすと、後の歩行者の眼の位置に枝が降りてきてしまう。背の高い歩行者なら眼の位置に急に枝が現れる。こういう危険指摘はどこにどう反映させたらいいのだろう。OT(作業療法士)的な視点が必要。それは身体障碍の方のみの必要情報なのではなく、傷病者・子育て・高齢者などにも広がりを持つものだ。

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内科受診を済ませ、母には帰りに買った惣菜と、下準備しておいた食材を確認して、夕食はひとりで摂って欲しいと告げた。私は寿司折とクラコットを買い込んだ。巡回に行く途中、茅ヶ崎サポセンに立ち寄り、北茅ヶ崎から橋本に向かった。

巡回の中心は夜だ。JR相模原の塾の方は、始めに小中学生の臨時の授業をやってから近くの巡回先をまわることもある。教育相談を受けることもある。しかし、事情のある子が増えた。というより、表現し始めたとかんがえるべきなのかもしれない。

今回は教育相談が前段に入っていたが、塾長が対応したので私の時間が空いてしまった。シビアな労働協約をしているところは、急に無くなった授業時間は有給だが、日程変更や家庭の事情からの欠勤に大らかな反面、無給で干される事態も生まれる。こういう時、若手の授業をのぞきに行くと文句がでるので、上司ではない年配者の授業に忍び込む。

生徒がくすくす笑っているのが楽しくて、隣の奴にちょっかいをかけて、私はたたされる。今回はADHDの子の面倒をみさせられてしまった。小4の子と筆談をやっていたが、笑って事務室まで飛び出していってしまった。シャープペンシルの芯をもらいに行ったのだが、思いつくとすぐにやってしまう。私が後を追いかけたら、もう事務員と話し込んでいた。

時間調整を終えて、バスで移動。ほとんど駅前ばかりでいたが、この巡回が始まってから、少し相模原市の地理がわかるようになってきた。複数回行くと、戻りの終バス時刻と電車の乗り継ぎの様子がわかる。

今回はセンター試験をそのまま使って、筆記試験を免除される大学の例を話題にした。彼は塾に出てこない。図書館を使っているようだが、とんでもないところに理由があった。過敏性腸炎と頻尿だったのだ。通院すれば治療効果が見込める。内科通院していたが。喘息の治療をしていた。今の内科でも対策を打ってくれるから言ってみろと指摘した。試験恐怖からは離脱できるかもしれなかった。急にポロリと話が飛び出した。こういうことも結構ある。

終バス前で帰ることが出来た。同僚に南橋本まで送ってもらい、つぶれた寿司折を取り出して食事。母には外食してきたといいつつ、実はどの外食も油が多すぎるとはいえなかった。吉野家・東秀などは、はいったことがないなどという人だからだ。

村上龍氏の「新13歳のハローワーク」を開いて、仕事の洗い直しを少しづつ始めている。この書はすべての図書館に常備してもらいたい。ヒントが結構転がっているのだ。

母は睡眠導入剤を飲んで先に寝ていた。無事早朝ダンピング、ひっかからずに通過。

今日は、これからコミュニティビジネス応援PJの職場見学会に参加する。若いときからの知人Kさんのアクションポート横浜が仕掛けた企画。朝10時大倉山駅集合、また午前中集合なので、惚ける予定。朝型人間は天敵なのだが。

夜間傾聴:相模大野3君(仮名)
     □□君(仮名)


(校正1回目済み)

コメント
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