湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

12/12 絵本「終わらない夜」を入手して

2010-12-15 06:11:57 | 引きこもり
2010/12/12 記
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叔父の入院は月曜日までとのことで、母がクールダウンした翌朝話をして、巡回の後に見舞いに行くことにした。橋本巡回の後、横浜線で直行の東神奈川の病院だったので面会は楽だったが、叔父の家から近いわけでもないのになぜこの病院なのかは謎だった。

叔父は救急車で運ばれたわけではなく、娘の車で救急外来に飛び込んだらしい。頭を打っているので様子見だったらしい。これ幸いと持病の方も見てもらおうとしたが、その件で入院はダメだったと大きな声で叔父は語った。同居の婿さんと会ったのは10年ぶりだろうか。相手も白髪が増えていて、ずいぶん会っていなかったのだと実感した。叔父の体調は打ち身の痛みだけ。母が動き出さないように、すぐに電話を入れて様子を伝えた。高齢者介護の話のときもそうだが、医療・福祉の知識が全く無い上、偏見と強情がものすごいので、叔父には深入りしたくなかった。祖母の介護のころから、始末に終えないひどい目に、何回もあってきたからだ。

帰りに横浜でクリスマスプレゼントに毎年贈っている絵本を眺めてきた。中学生になった女の子なのだが、本を探しているうちとんでもない絵本に出会って買ってしまった。ほるぷ出版から出している「終わらない夜」である。フロイト系のひとが喜びそうな幻想的な絵本だ。ロブ・ゴンサルヴェスのシュールな絵は、マグリッドの影響を受けているという。そういえば重ね合わせた色紙のように、切り抜かれた空間は異空間へとつながっている。次元の重なり、なるほどと思う。この絵本は死の世界が現世に織り込まれているかのように描かれる。幼いころの夜の闇が異次元へと連なっていた悪夢の世界、これではプレゼントはできないが、それ以上に自分が探して本だったので、カードで購入してしまった。不吉な絵本。しかし誰もが持っている闇への旅のパスポートである。

私はひどい喘息持ちだった。小学生の頃、寄り道をしてひとり川原に出たとき、満月の明るさと,陶土のひろがる川原のひと気のない神々しい世界に足を踏み入れて凍えていたが、不思議と自分のたどり着く世界を垣間見たような死への共感のようなものを感じていた。60歳の今になってみれば、この体験が私の死生観に大きな体験だったとわかるが、死は切断の恐ろしいものではなく、どこか隣にいつも存在している親しい存在でもあった。病弱の死の苦しみを経てきた者の子どもなりの諦念の境地だったのだろうかと思う。柱や天井の年輪に顔が潜んでいたりした体験は、している方が多いのではないか。ただ私はそれを心の原始の母斑と解釈した。

この書は、そうした思いを彷彿とさせるものだったのだ。自分宛なのに包装して貰った。それをバッグにそっと忍ばせた。

茅ヶ崎に着いて、私はサポセンに向かった。湘南あすなろ会は、ビッグイシュー販売を軸にすることが出来なくなった。従来の地元支援団体のように、ホームレスの生活支援、医療支援に踏み込む必要があった。またあすなろ会は市民生活の日常とホームレスの存在を仲介する活動を個性としていきたい。

鶴嶺高校のボランティア塾の授業は、予想以上の反響を得た。生徒さんたちのアンケートは素敵なものだった。表にまとめられているので印刷したかった。(後で紹介する。)もうひとつは、湘南あすなろ会のパトロール用の「困ったら連絡してください」とかいたメッセージ名刺の3つの案を印刷しに来たのだった。

ひとつは登山靴のようなマークだ。もうひとつは空のベンチ。最後はベンチに横たわる方の足の先が見えている夜の公園の背景。決まったらブログに紹介する。

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だらしの無い話だが、今回は猛烈な眠気のなかで書いている。母の高齢のダンピングが午前3時半過ぎに始まった。

なぜ「高校・中学校の元担任」に会うのかという誤解を招きそうな部分の補充をしておきたかったのだが、これも次回。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)


(校正2回目済み)

コメント
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