湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

12/12 絵本「終わらない夜」を入手して

2010-12-15 06:11:57 | 引きこもり
2010/12/12 記
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叔父の入院は月曜日までとのことで、母がクールダウンした翌朝話をして、巡回の後に見舞いに行くことにした。橋本巡回の後、横浜線で直行の東神奈川の病院だったので面会は楽だったが、叔父の家から近いわけでもないのになぜこの病院なのかは謎だった。

叔父は救急車で運ばれたわけではなく、娘の車で救急外来に飛び込んだらしい。頭を打っているので様子見だったらしい。これ幸いと持病の方も見てもらおうとしたが、その件で入院はダメだったと大きな声で叔父は語った。同居の婿さんと会ったのは10年ぶりだろうか。相手も白髪が増えていて、ずいぶん会っていなかったのだと実感した。叔父の体調は打ち身の痛みだけ。母が動き出さないように、すぐに電話を入れて様子を伝えた。高齢者介護の話のときもそうだが、医療・福祉の知識が全く無い上、偏見と強情がものすごいので、叔父には深入りしたくなかった。祖母の介護のころから、始末に終えないひどい目に、何回もあってきたからだ。

帰りに横浜でクリスマスプレゼントに毎年贈っている絵本を眺めてきた。中学生になった女の子なのだが、本を探しているうちとんでもない絵本に出会って買ってしまった。ほるぷ出版から出している「終わらない夜」である。フロイト系のひとが喜びそうな幻想的な絵本だ。ロブ・ゴンサルヴェスのシュールな絵は、マグリッドの影響を受けているという。そういえば重ね合わせた色紙のように、切り抜かれた空間は異空間へとつながっている。次元の重なり、なるほどと思う。この絵本は死の世界が現世に織り込まれているかのように描かれる。幼いころの夜の闇が異次元へと連なっていた悪夢の世界、これではプレゼントはできないが、それ以上に自分が探して本だったので、カードで購入してしまった。不吉な絵本。しかし誰もが持っている闇への旅のパスポートである。

私はひどい喘息持ちだった。小学生の頃、寄り道をしてひとり川原に出たとき、満月の明るさと,陶土のひろがる川原のひと気のない神々しい世界に足を踏み入れて凍えていたが、不思議と自分のたどり着く世界を垣間見たような死への共感のようなものを感じていた。60歳の今になってみれば、この体験が私の死生観に大きな体験だったとわかるが、死は切断の恐ろしいものではなく、どこか隣にいつも存在している親しい存在でもあった。病弱の死の苦しみを経てきた者の子どもなりの諦念の境地だったのだろうかと思う。柱や天井の年輪に顔が潜んでいたりした体験は、している方が多いのではないか。ただ私はそれを心の原始の母斑と解釈した。

この書は、そうした思いを彷彿とさせるものだったのだ。自分宛なのに包装して貰った。それをバッグにそっと忍ばせた。

茅ヶ崎に着いて、私はサポセンに向かった。湘南あすなろ会は、ビッグイシュー販売を軸にすることが出来なくなった。従来の地元支援団体のように、ホームレスの生活支援、医療支援に踏み込む必要があった。またあすなろ会は市民生活の日常とホームレスの存在を仲介する活動を個性としていきたい。

鶴嶺高校のボランティア塾の授業は、予想以上の反響を得た。生徒さんたちのアンケートは素敵なものだった。表にまとめられているので印刷したかった。(後で紹介する。)もうひとつは、湘南あすなろ会のパトロール用の「困ったら連絡してください」とかいたメッセージ名刺の3つの案を印刷しに来たのだった。

ひとつは登山靴のようなマークだ。もうひとつは空のベンチ。最後はベンチに横たわる方の足の先が見えている夜の公園の背景。決まったらブログに紹介する。

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だらしの無い話だが、今回は猛烈な眠気のなかで書いている。母の高齢のダンピングが午前3時半過ぎに始まった。

なぜ「高校・中学校の元担任」に会うのかという誤解を招きそうな部分の補充をしておきたかったのだが、これも次回。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)


(校正2回目済み)

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12/11 職リハ 就労支援者講習会に参加しました

2010-12-14 16:11:26 | 引きこもり
2010/12/11 記
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師走というのにまた出かけるのかという母の小言をラーメンで封じて、何とか昼前にJR相模原の塾に到着した。FAXの一件である。ずらり携帯に呼び出しメールが溜まっていては、言い分けのしようがない。朝、叔父が転倒で検査入院したとの連絡が入っていて、悪役になりきらねば午後からの発達障害指導者研修に参加のしようがないのだった。叔父の件は私が電話に出てよかったのだ。母が出ていたら騒ぎになっていた。

塾の呼び出しは、要は予定変更事件だった。ビルの屋内電力線が老朽化していて漏電騒ぎがあったらしい。その工事があるので一部授業が変更になった。その変更連絡を私の担当する子にしなかった。それが原因で、彼が工事担当者と小競り合いを起こしたのだった。予定外の不可解な出来事が起きて困ったら、私の方に電話連絡せよと言ってあった。前のパチンコ店の店員とは和解したらしい。今回、彼は言われたとおり私の携帯に電話した。ところが私は夜間傾聴専用の携帯を持たずに横浜のCB見学会に参加していたという間の悪さが影響した。工事担当者は荒っぽかったらしい。彼は爆発してしまった。

ちょっと事務所に立ち寄ってくれれば、事態は起こらなかっただろうにと思いつつ、工事担当者の胸座をつかんだというところで止まってくれたことに、反面ほっとしていた。彼が私が携帯に出なかったことを訴えたので、塾から呼び出しとなったことがわかった。翌日、私が到着した時間に彼がいなかったので、詳細はわからないが、その日、彼は連絡に出ない私が悪いと、事務員に言ってのけたという。笑ってはいけない。怒りが私に向けられたが、たしかに携帯が空振りだったのだ。

「工事屋さん、始末ついたのか」と問うと、担当者は、怒りさめやらない顔で「そっちは怪我もないし大丈夫」ということで、私は学会ベルというか、受付のベルをチーンと鳴らして、「ご愁傷様でした」と挨拶して謝罪(?)は強制的に終えてしまった。一応私は免責となったが、この事態は塾長の方に流れていく。しかし、仕事とはいえ、事前にもらっている活動費の中から往復の交通費はとるものの、無償労働である。とは言いつつ、「暴力は認められないが、まずはこれに懲りずに専用携帯に電話をしたまえ」と彼に車中でmailし、何はともあれ、横浜線経由で桜木町に向かった。

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到着は時間ぎりぎり。横浜市従会館は紅葉坂のそばと聞いていたが、神社が邪魔して道が無い。ぐるぐる回って高台の会館に着いたのだった。

会の名前は長い。
「神奈川職業リハビリテーション推進フォーラム平成22年度就労支援者講習会」である。

主催はさらに長い。
「神奈川労働局、独立行政法人高齢・障害者雇用促進機構 神奈川障害者職業センター、横浜市発達障害者支援センター」である。共催はうんざりなので書かない。

テーマは「事例で考える発達障害者の就労支援」である。

要するにケース・カンファレンスに講評者が付いたようなもので、2つの事例をめぐって、その事例に対する就労相談をどう組み立てていくかを考えていく。

7~8名ごとのグループセッション。お互いをよく知らないものどおしの場で流行のように使われているKJ法で論理の系統樹を組み立てていく。しかしKJ法でなければならない必然は無く、私は入れ籠方式の議論の方が好み。またmind map のような論理の枝作りや分布作りの方法もありだと思っている。KJ法は雑多な着想クラスタを更に任意に関連付けて論理を組み立て構造化していく。議論の偶発性も取り込みつつ可視化していく方法だが、先はどうなろうとお任せ的な側面もあって、発想の素子の束を後から組み立てる、論理系統化の見立ての部分が気になってしょうがない。偶発性を含んだクラスタは、見通しの刺激剤になるが、構成センスは任意。そこに事前準備された誘導すら入りうるから、この方法は好みになれないのだ。創造性は突然割れる卵のような登場の仕方をするときと、急な出会いから触発される場合がある。前者は経験蓄積が前段に入りうる。後者は偶然の割合が多いが、出会いに意味を見つけるのはその人のセンスだ。

と言っても仕方が無い。リバイバル流行のKJ法に乗ってケースカンファは進行した。

1例目は最近書籍も刊行されている高学歴の広汎性発達障害の男性の例。就職のために精神の手帳を取得。依存性が高く集団を乱すことは無いというタイプ。独居。

2例目は広汎性発達障害、精神3級手帳取得、気分障害(躁うつ病)があり昼夜逆転がある。IQはボーダーに近いがクリア。障害年金2級を受けている。両親と同居。

始めに注意すべき観点のコメントがあって、そこをめぐって自分ならどうするかということを片っ端に付箋に書いていく。それをグループのファシリテーターが集めて、主旨を聞きながら論議し、模造紙に貼り付けて、同傾向のものをまとめてクラスタを組んでいく。そのクラスタ間を関連付ける議論を踏まえて論理系統樹を組み立てていく。つまり系統表は、その事例の方に対する関わりの戦略合意となる。

私のグループ構成メンバーの所属は、大学就職課・多機能型事業所・就労支援センター・就労移行支援センター・公共職安・(神奈川労働局)の相談業務担当者で、就労支援についてアマチュアはわたしひとり。また市民活動畑も全体でわたしひとり。ビギナー研修というわけでもないが、60代白髪おじさんもひとりという具合だった。当然視点が違う。事例のプロフィールから想起するタイプのイメージは皆、経験的に持っている。しかし、後者は午前中、アスペの方に関わってきた関係で、イメージが重なってしまい少々困ってしまった。両者とも陰と陽、異なる自尊心を抱えている。なかなか仕事に結びつかないことは共通している。

私の生業は教育関連企業の講師だ。だから就労ということは、ふたつの立場で関連している。ひとつは教育カウンセリングの中で、進学か就職かという選択をめぐる相談、もうひとつは仕事をやめて再進学を計るため進学の目的をフォーカシングする相談、不登校・引きこもりに区切りをつけて進学に踏み切る際の進学のモチベーションを高める目的を持った相談というような、相談業務からの立場。もうひとつは、社会活動として滞留する引きこもり青年の脱皮の伴走者として、就労支援を行う立場だ。前者は進学が前提になることが多いために就労支援は間接的だ。

このいずれも、研修会では近い方が大学や専門学校の就職課の方だが、教育機関としては最終に位置して、職場に引き渡していく方たちなので、私とは違っていた。多数は公共職安関係者である。

話の中では、自分の障害受容が出来ていないとか、障害特性に合わせたマッチングという話題が出てきたが、「職場は出来合いのもの」「変えるのは就職希望者である」という大前提があって、「地域起業」とか「チーム就労」というような社会活動畑の発想は完璧に無いのだった。適材適所を目指して、配置の技能を磨くためのケースカンファなのだ。勿論、社会活動として企業就労や職業開発を行う場でも、プロフィールと、クライアントの希望を出来る限り細部に至るまで知ることは必要だ。

しかし私が当人の了解の上で時々行う、彼が以前通っていた高校・専門学校・同業者などの担任・担当者を訪ねることは、顰蹙をかったようだ。どこまでやるかということと、縦割り行政の相互不可侵のプロの壁である。この調査のときは、できるだけ本人を同席させるが、狙いはストレングス視点を持つ数少ない評価者だから、いわばツボを複数の眼で見つけ出していく基礎作業になる。軸を定める意味、または売り物を知るということだ。

私の提案は時間が限られた相談業務の実務枠に入らない。だからところどころ、肩透かしとなるが、それはわかって言っていることだった。

こうして、3時間半にわたる議論は、あっという間に過ぎていった。就労相談は予備校や塾の双方とも、私と専任の担当者各ひとり以外は、経験交流する相手もいない。だから、職場見学会やケースカンファは極力、利用して行きたいと考えている。地域起業モデルを思い付きから脱皮させるためにも実務者の眼を作っていかなくてはと思うのだ。

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研修を終えて、私は中華街に走りこんだ。重慶飯店の肉まんは、我が家の好物なので、土産で雷の避雷針にしたかった。甘かった。私の部屋のチラシ類はすべてゴミ袋に詰め込まれていた。化学雑巾と掃除機、バケツが私の部屋の真ん中においてあった。歯科から差し歯の領収書を忘れて行ったとの電話が入っていた。保健外診療なので、黙っていたことがばれていた。こういうときは「めまい」も「嘔吐」もおきないのだった。

年末に外食連れて行くことで妥協線が成立したが、30日は湘南あすなろ会で寿町企画。31日昼間も寿町で炊き出しの手伝いである。どうしたものかなあと悩みつつ、洗濯機を覘いていた。

夜間傾聴:橋本3君(仮名)
     相模大野3君(仮名)
     大森君(仮名・傾聴にあらず。お久しぶり。)


(校正2回目済み)

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12/10 見学会後遺症の一日

2010-12-13 10:06:36 | 引きこもり
2010/12/10 記
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浦河べてるの家から、「銀聖」と題した新巻鮭と日高昆布のお歳暮パンフレットが送られてきた。北海道の知人に北海道産ではなあと思いつつ、歳とともに贈る相手が減ってきていることを実感している。それはそうと、浦河べてるの家のURLを記すので、ご一読を。三協水産という企業にべてるの家が関わっているようです。しかし、「ぶらぶらストア」の方が、べてるらしいと思ってしまう。お歳暮オーダーは、注文表を下記へ。「@@」は「@」に直してください。

e-mail: bethel-order@@vega.ocn.ne.jp

「(社福)浦河べてるの家」
「三協水産 ONLINE」
「カタログ・注文表」
「Bethel ぶらぶら Store」

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見学会はなんとも片目・睡眠不足の参加となり、加えて薄暗い階段が変則的で、見えない恐怖の中の見学だった。以前、見学会で忘れ物をしたトラウマがあって、どこまでもバッグとコートは手放さないぞとしがみついていたので、暑かった。しかも階段は突然ウェルカムマットがあって、足がひっかかって危なかったりと、眼ににごりがない分、他者からの警戒がないために列の途中でこけてしまわないように実は冷や汗を書いていた。暑かったり、冷や汗をかいたり、睡魔に襲われたりと、忙しいこと。

帰宅した我が家では、母が抗議の居眠りをしており、家事一切は手付かずのまま。参ったなあと思いつつ、相模大野に寄った関係で藤沢経由したのだから土産で誤魔化せばよかったと後悔。夕食を食べていないというので、隠匿していた上質の鶏スープを解凍して、玉ねぎを丸ごと煮た。時間がかかるので普段は面倒だからと作らないのだが、胃切除している人間には優しい料理のうえ、面倒ではないので実行。鶏レバーの煮付けを冷凍しておいたものを解凍。葉酸取れるしとぶつぶついいながら、ついでに千枚付けを細ギリにして焼き海苔を添えた。固めの粥を作って鶏皮をからからに揚げたものを少量乗せ、高級ゴマ油をたらすという具合に、鶏づくしで仕上げた。しかし親である。喜んで食べたのも食事中だけ。またむっつりとベッドの中へ。どうしたものかと思いつつ、炊事洗濯雨あられ、とにかくやっつけて、PCの前に座ったら、塾の方から緊急呼び出しのFAXが入っていた。昼過ぎのFAXだった。いつもはメールなのにと携帯を見ると、携帯にずらり、呼び出しメールが未読で残っていた。惚けているのである。さてその始末をどうつけるか思案の夜は更けていったのだった。

今日は歯医者である。また金がでる。親には内緒である。買わない宝くじの当たりを思った。給料が出ても冬期講習が始まってしまう。因果な商売である。

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クリスタキス&ファウラーの「つながり 社会的ネットワークの驚くべき力」が着いたと図書館から連絡が来て、これから茅ヶ崎図書館に立ち寄る。Facebook の背後にある思想というべきか、知り合いの連鎖はたちまちのうちに世界中を覆ってしまう指数の世界。書店で覘いて注文かけたのだが、専門書ではなく一般向けの書らしい。オンライン世界を虚と否定的に取る方の多い福祉の世界で、なんらかの説得の話はあるまいかと余計なことも思ってしまう。

FAXの件は、いつもあたってくだけてしまっているので、今回はどうしようかと考えている。パチンコ屋自転車事件といい、一万円つり銭事件といい、茅ヶ崎からの緊急出動はしんどい。応急絆創膏は携帯対応かなと。

夜間傾聴:中央林間君(仮名)


(校正1回目済み)

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12/9 よこはまコミュニティビジネス体験セミナー(見学会)に参加して(1)

2010-12-13 08:35:12 | 引きこもり
2010/12/09 記
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昨日は、コミュニティビジネスの職場見学会に参加した。アクションポート横浜の横浜コミュニティビジネス応援事務局が仕掛けた見学会なのだが、私はおそらく参加者と少し違った視点で参加したのだと思う。

主催者側は公共のニーズの仕事民営化に力点を置いたコミュニティ・ビジネスの検討の意味で企画していたが、私には地域起業のモデル、特に実務上の仕事の切り分けの形をつかみたかった。出来るだけ現場に踏み込んでいかないと、障がい者や引きこもり青年等の、個性の強い若者を協業の中に組み込んでいけないだろう。企業就労のような人と資金ののりしろのある活動からスタートするゆとりは地域起業にはないだろうから、仕事は出来るだけ具体的に洗い出しておいたほうがいいのだ。その意味で現場で考えられる貴重な機会だった。

もうひとつ、ここでいうコミュニティビジネスは、有志結集型。働くこと自身、雇用に公共的意義を持たせるのではなく、その仕事に意味を持たせていく。ビッグイシューのように販売活動が意義を持つのではない。社会の中の機能が公共的という視点が貫かれている。

ソーシャル・ファームのような雇用創出と活動自身の公共性のカップリングしたスタイルよりも、ベンチャー企業起業の色彩が濃い。この境界線が曖昧なので、収益分配の部分を見ないと、社会活動であるのか企業活動であるのかがわからない。極論を言えば、簡易宿泊所ビジネスも、ホームレスに住環境を与える社会的意味を持たしうるが、現実には貧困ビジネスとして、生活保護費を吸い上げる商売になっている。活動を地域還元するという条件を付け加えれば、この「ソーシャル・ビジネス」は「コミュニティ・ビジネス」と一応は言えてしまう。

私がいつもこの点にこだわっているのは、社会活動の自然発生性の担保という部分がある。社会的企業は、自然発生的な関心共有(趣味サークル等)と目的解決の市民活動または社会活動の展開が、時代的な傾向である、地域的結びつきの喪失と、慢性不況によるゆとりの喪失という篩(ふるい)にかけられて、より強靭な基盤、より大型化した活動を求めるという時代的な要請が背後にある。

しかしその一方で、行政のアウトソーシング(外注)を求める企業活動もその範囲を広げている。更には企業活動自身がもともと社会性を帯びたものであり、例えば生鮮食料品を地元に届けるという活動は、社会的意義を持っているが、企業の収益活動である。つまりすべての企業が社会的意義を語れば社会的企業に化けてしまう。

私が求めるのは、市民活動または社会活動の活性化と自立、市民活動では自治となろうが、社会活動は公的課題の解決が軸となるので解決力の獲得ということを通して、活動の脱皮を遂げていくことにある。企業活動や、熱意ある有志の結社を持って社会的企業を語れば、それは山の裾野のような緩やかな結集は、切捨てられてしまう。行政の民間委託営業所を地域配置していくことではないと思っているからだ。どんなに先鋭化した切れ味のいい活動も、裾野を持たない活動は、活動の代理制を引き寄せ、専門家集団を持って市民活動や社会活動を語るという閉鎖性を養成してしまう。自主性・自治の魂が抜けていく危うい道だからだ。結局、企業活動に食われてしまう。企業的手法が収益が目的化していく綱渡りになりかねないからだ。

活動による目的解決を含む利益をどう生かしていくのかという部分、会社集団と株主に利益配当していくか、より活動の拡大深化のために収益が使われていくかという違い、そしていかに裾野を活性化していくかという、活動の血流として収益が活かされていくかが鍵になる。前者は地域・社会全体が株主になるのなら、意味が変わってくるが、これとて代理制を前提にした固定化が行われている。

だからこの辺を制度的に歯止めをかけていく組織体が協業組合であるが、これとて内と外という内壁があるために、市民活動や社会活動の総称となることは出来ない。

(つづく)
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12/9 よこはまコミュニティビジネス体験セミナー(見学会)に参加して(2)

2010-12-13 08:30:18 | 引きこもり
(つづき)

今回の見学会は、ワーカーズ・コープの活動が中心になった。巡回したのは下記の通り。

●港北区地域子育て支援拠点
どろっぷ
(港北区大倉山)

●オーガニックスペース
かれん
(港北区大豆戸町)

●NPO法人
サイドワークネキスト
(緑区東本郷町)

●NPO法人
ワーカーズ・コレクティブ
くまさん
(緑区竹山)

私は今回、仕事つくりのヒント、障がい者・引きこもり・社会的挫折者のための仕事の仕分けという観点で参加している関係で、焦点が労働そのものに向いている。これは主催者の意図するところではないので、お邪魔だったかなと思いつつ、社会貢献という労働が、就労困難者の仕事のやりがいやプライドを育てる有効な活動となるという思いから見ていくという視点が重なると思うので、お許しを。

まず「どろっぷ」の見学から始まった。

緩やかな時間、穏やかな居場所空間を運営している保育園の空気を吸ったのは何年ぶりだろう。空間を有効に使ったエリアの穏やかな仕切りに乳児と幼児の住み分けが行われており、機能が交差しないように綿密な設計が背後にあるのがわかる。仕切り中間層に母親の茶話会的テーブルスペースが配置されており、そこから全体が見えるようになっている。図書貸し出しや企画運営、情報交換などもここで行われる。玄関側手前にはプレイルームと作業台が設置され、いわゆる職員スペースは玄関受付と2階に厳格に分けられており、利用者の自主運営の空間が守られていた。中庭には泥遊びを行う閉鎖空間があり、中庭の様子は広く採光されたガラスサッシ越しによく見えるのだった。ここには港北区の枠を超え、横浜・川崎から子どもが来ていたが、利用者増大によって、今は港北区在住の方の利用制限をしているという。大蔵山は世代循環がうまく行っている地域で、若い家族人口も多いという。

ここは、正直言って私の範疇外の場所。保母や養護資格のある職員に守られた母親のスペース。雇用と社会参加という面からすれば、通園の部分と企画参加の場面以外に見えてこない。通園はマイクロバス運転手・送迎員、企画参加は外出ならポーターや誘導員、屋内企画なら父親パートのような大道具屋などとなり、日常的な接点は見えてこない。

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次が「かれん」。途中「アートかれん」、「モアかれん」を回る。障がい者のアートを使った販売スペースが「アートかれん」、自然食材販売店が「モアかれん」、最後の自然食レストランが「オーガニックスペースかれん」だ。障がい者のいわゆる福祉的就労の場、店舗販売活動の場である。

いわゆる箱物である。その店自身が特定障がい者の日中活動の場、居場所として位置づけられており、店舗活動の社会参加や収益は副次的なものになってしまう。実際、市場変動や同業者の売り上げ競争のようなリスクを負わない分、店舗展開の社会性は乏しく、収益事業で食べていくような展開は希である。「モアかれん」を見て、食材が日本各地のものが揃えられている割に、店舗の戦略商品のような配置が目立たなかった。共作連や日本財団CANPAN PJのような関連仕入先を通せば近い多品種仕入れは可能。類似店舗があるのだ。しっかり隅々まで店と商品が磨かれているのに、一般の類似店舗のような癖や偏りを感じなかった。力の入った福祉的就労の場であるが、商売の場ということでは疑問符がつく。販売活動が地元住民との接点となり、社会参加となると他の店舗展開でも意義が説明されるが、個性が見えないのはどうしてなのだろうか。

「アートかれん」は、作れるものを作り、ギャラリーに並べている。その商品は精密な木工を行ったものもあるが、買う人のニーズに応じているとは思えなかった。他店と違う個性を持たせている素晴らしい同業展開を身近に知っている関係で、売り上げ向上を目指す試みを感じられなかった。むしろ、自由に作品作りを行っている「利用者(障がい当事者)」さんのゆとりある作業の様子が印象に残っている。

「オーガニックスペースかれん」は14席規模のレストランスペースを展開している。見学会参加者は、こちらの弁当をご馳走になったが、有機食材の膨らみを十分に堪能できたから、地元の方が昼食を取りにレストランにやってくるのは納得できた。

弁当のポテトサラダは適度にハーブが効いて驚かされたが、鶏の肉団子もすり身の大きさや、加熱時間等に工夫があり、口当たりが一般の弁当屋の肉団子とは比べ物にならないほどおいしかった。米の弾力のよさなど単に有機食材を集めたというだけではなく、食感の差を際立たせるように調理師さんの工夫が感じられ、おいしさを引き出している。レストランにお客さんが付くのもわかる気がする。

つまり「かれん」さんの活動は、福祉的活動の範疇で捉えるならば磨かれた活動であるが、これは企画者の視点の問題かもしれないが、社会的企業というところからすれば、やはり違う。お客さんへの真摯な対応が収益を引き出すという点では地域貢献を語れるが、主人公は誰なのかということ。ここで障がい者の社会との絆を保つ受け皿という目的が浮かんでしまう。時代を超えていくための手法としての企業経営のプラスαの効果を認めるという活動ではないと思うのだ。

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私たちは、ここで用意された貸し切りバスに乗って、緑区の東本郷町に移動した。食事を終えた程よい満足感も手伝って、隣の中小企業診断士の方には失礼したが、うとうとと居眠りをしていた。だから距離感が全然わからないまま、私は次の「サイドワークスネキスト」という介護タクシー会社に到着していた。鴨居と小机の中間あたりと聞いた。鴨居<>緑車庫の路線バス東本郷町バス停周辺である。ここが実は私が見学に参加した狙いの活動だった。

「サイドワークスネキスト」の活動は数年前に聞いていたが、タクシー会社の運転手さんが発起人となって、タクシー経営を資本に介護タクシーを運営するという活動が進んでいると聞いていた。

現時点でタクシー台数28台、そのうち介護仕様のタクシーが8台という規模に成長している。既に介護タクシーの内部がよく見えるように、ストレッチャーの入る後部扉を開いて待っていてくださったので、見学は短時間で済んだが、車の中には100Vインバータや(普段はずしているが)酸素ボンベが設置されており、仕様は本格的なものだった。タクシー免許の2級免許だけでなくヘルパー2級を習得した方がこの車を担当していた。活動エリアは横浜・川崎。営業許可は三浦半島・横須賀も取っているとのことで、今後その方向に拡張していくのだろうと思われた。全従業員数50名、乗務は一日おきの2交代制で、フルは21時間労働というからきつい。定年退職後再就職した方の中には午前中だけの方もおり、就労形態は様々だという。

ここで面白いのは、割り切り方。収益は一般のタクシー業務に求め、介護タクシーは、制約の多い助成金受け入れをやめてしまったということ。8台の介護タクシーは完全自前で走っている。

活動の履歴を感じさせる話の中で、車客席の出入り口側の座席の一部がドア側に90度回転して出入りしやすくなる回転椅子が設置されている車両を見学したが、実はこの椅子、車の購入時、初めから設置の仕様として組み込んでおかないと、改造の形で後から設置すると、うまく機能しないのだという。つまり経験がそこにあるわけで、ストレッチャーの入る車両も後部座席を折りたたむ形になっていて、その使用頻度と経済性を意識していた。そういう蓄積の上に活動が拡がっていた。

私が見たかったのは、引きこもり青年や、精神障碍の方の調子の波があるための短時間労働ということと、社会貢献性の強さということ、自分が必要とされているという体験が伴う仕事が自己肯定感を養成するだろうという予測、そして移植性、そこで得た体験を持ち帰ることが出来るかという点が関心の中心であった。

私の想定していた仕事は、運転手ではなく「助手」。生業としては無理があっても、運転手さんひとりでは道路交通法上問題があったり、移動に困難があったりしたときの補助の仕事に当たること。予約制のニーズの中に、助手が必要な場合が出てくる。そのときに出動し、平常時は事務や、この会社が運営している整備工場の洗車などの補間業務に当たるということが可能かという観点を持っていた。

実際営業所に行ってみると、やはりいくつもの問題が出てきた。ひとつは立地の問題。オーダーが入って駆けつけるには、やはり不便。例えば駅前に助手要員が到着しそれを車で拾って、お客さんのところに行くということも考えてみた。しかし、私は引きこもり青年と時間待ち合わせをしたとき、頻繁に時間にルーズな方に出会っている。生活が弛緩しているためだが、これでは待ち合わせも出来ないだろう。生活を規則正しく整備してから就労という立て方自身が実践的ではなく、これもだめ。仕事体験のなかで生活を切り替えるというのが実際のところとなる。初めは生活に踏み込むジョブコーチ的な寄り添う活動がいる。となると、給与の採算からすると、補間業務をつけることになるだろう。その補間業務があるか、助手が必要となるケース、つまりニーズがあるかということも知りたいところだった。

体調の不安定さというところからも、会社の個人採用という形ではなく、チーム就労契約をする自主派遣型の組織を別に準備する必要も出てくる。この派遣会社を社会的企業で作ることになると、介護タクシー会社助手という形だけでなく、福祉・医療部門にアクセントをおいた組織の図面が必要となる。どこまで介護タクシー会社の展開力の協力を得るかという点が、連携構想の実現の鍵となってくる。家族会や支援者団体そのままでは就労支援は無理がある。そこに特化したネットワーキング(ワーカーズ・コレクティブ)が必要なのだ。

見学した「サイドワークスネキスト」の活動は、申込側の体制があれば連携申込の話が可能なキャパを感じたが、安定して人材を提供することが鍵だろうと思う。ここが成り立てば、雇用創出として「助手」の仕事が生み出せると思った。この仕事は高齢者介護等の送迎の仕事の広がりを持つもので、介護事業所との間でも同様の連携を考えうる。「サイドワークスネキスト」見学は、その送迎に特化した職場として、是非見ておきたかったのだ。

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最後にまわったところが、「ワーカーズ・コレクティブ くまさん」だった。お邪魔したのは、利用者10名規模のデイの高齢者ホームだった。見学者の中には幼児のお子さん連れの方がおり、その娘さんがいつの間にか、利用者さんのテーブルを囲んで、お手玉の山に棒をたてただけのゲームに夢中になっていた。順にお手玉をとっていくのだが、棒を倒したら負け。単純だが夢中になるゲームだった。

このゲーム、大きなテーブルの真ん中にお手玉の山があり、お手玉を取るには「立ち上がり」「手を伸ばし」「座る」という動作を反復する生活動作の維持回復訓練を同時にやっているのだという。しかしそれ以上に、初対面の利用者さんたち高齢の方の輪が、幼い娘さんを受け入れている様子がほほえましかった。そういう温かみがある場なのだった。

入浴の場面も、私が父の介護の関係で回った特養ホームの設備より簡素なのだった。これも安全を考慮した上で、自分のことは極力自分で行うという生活自助訓練が行われていたのだ。厨房は前述のテーブルと同室の一部分に作られており、料理の香りや湯気もテーブルに流れていった。アットホームな場を形作っていたのだ。

「くまさん」は、高齢者の介護事業として訪問介護、居宅介護や外出介護等を行っており、もうひとつの柱は障がい者ホームヘルプがある。今回は高齢者の方を見学させてもらったのだが、こちらは見学終了時間が迫っており、詳細な見学とはならなかった。どこかに、仕事の切り出しが出来ないかなと思いつつ、空気を読むということが大切な仕事ゆえに、就労の場としては難しい印象を受けてしまった。

この場所は、ワーコレの牛乳加工配達の拠点の施設(竹山)もあり、こうした製造部門も見学したかった。これは追々機会があったならというところだ。小机解散したときには、日が落ちていた。見学者を中心にコミュニティビジネスのメーリングリストが生まれることになっている。

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「見学を終えて」

横須賀の「アンガージュマン横須賀」では、上町商店街の行事企画や雑務サポートを引きこもり青年たちが担っている。事業所就労の形ではそういう補間業務の仕事を作ることは困難が伴う。拠点を構えそこから同心円状に活動を拡大していくというセオリーに乗った活動は、原資がいる。無店舗型のような活動をデザインできないか、それが成り立てば、圧倒的な地域潜在数の引きこもり・精神・社会的挫折・職場復帰待機者等の現状に切り込むことができる。領域と関係者横断的な地域就労支援ネットの政策的実現への道も切り開かれると思うのだ。自分のできる範囲を抱え込む形の活動は限界に来ている。そこに社会的企業の就労支援活動が次の扉を開くことになると考えるのだ。

来年2月からは障がい者採用をしている企業見学が立て続いている。こちらは企業就労の関係だが、引きこもり青年との協業、チーム就労の形などとは違う、いわば身体・知的の就労の本道のような見学となる。働くことのメンタルな充足感連携感が生み出すものの大きさを私は就労支援の根幹に据えたいと思っている。あの日本理化学工業の大山会長の言葉ではないが、自己有要感(有用より強い)の大切さを育てたい。挫折を含んだ若者の復活はそこに鍵があると思うのだ。
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12/8 病院詣初級編始まりか

2010-12-12 10:07:14 | 引きこもり
2010/12/08 記
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左目の霧は晴れてきたが、右目は外周数箇所、自分から見て「E」の太字状の位置以外の部分、つまり体側部分が、ややものの形が見える程度に霧が部分的に晴れてきた。結局、涙液の点眼薬で日に数回洗浄し、眼圧のレスキュラ点眼薬を日に2回点眼、ビタミンA剤(1万単位)を同2回飲み続けて、網膜と神経束の血流を良くし、眼圧上昇を抑え続けて眼球の抵抗力を支援し続けているだけなのだ。

大阪大学医学部では、電子機器を体内に埋め込み、視力回復を目指す研究が行われている。カメラ等に使われる感光素子のICチップを額に埋め込み、その電気信号を網膜近くに埋め込んだ増幅ICチップを経て、視神経へと信号を送り込む。つまり身体の一部をロボット化して代替する研究だ。京大のiPS幹細胞による視神経再生治療よりも早く実用化できる見通しで、数年先に先端技術医療の現場に登場すると聞いた。しかし瞳に細工するわけではないから、3つ目とか4つ目人間登場となるわけで、眼鏡状に感光素子をかぶせる形を取る以外、視差の問題が残っていく。初期は装置の埋め込み手術とメインテナンスの技術費が高いだろう。また電子回路への誘導を軽減しないと、心臓のペースメーカーと同じ悩みを抱えそうだ。

左目だけで字を読み書きしているので、長時間の凝視は全盲への道を歩むことになる実感があって、疲労感に一喜一憂している。オブラートを被った様とも形容できるが、右目中央部は何cmモノを近づけてもかすんで見えない状態になった。網膜色素変性症は、増殖しない視神経が死滅していくために自然回復はしない。右目は明るさ、色はわかるが、輪郭はむらのある曇りガラスを通したような視野の中にいる。18日に慈恵医大眼科で治療戦略をたてるための網膜の部分撮影を行う。今までの医師は現状維持を治療と位置づけてきた。今回はより詳細な状態像を知ることによって、+αの治療を探すというものだが、iPS細胞の再生技術以外に回復はしない。再生技術実用化は最低十年はかかる。

眼の乾き感があって、地元眼科に頼み込んで、二次障がい対策の治療を受けている。医師というものは教員と同じ、一国一城の主の感覚が強い。ましてや慈恵医大の検査待ちとなると、補助という事になるので、素っ気ない。

昨日も昼前に眼科を、午後は糖尿病治療の内科に行ってきた。母が眼科に通院しているが、私の眼科と母の眼科は違っているので、午前中母がかかってから、私が携帯で連絡を取って迎えにいくことで、危険を避けた。母の「めまい」の調子は小康状態のため、行きの家からタクシーを使って通院するのをやめ、路線バスを乗り継いで通院した。帰りは私が駅前で路線バスを待つ形で合流し、家に戻す。母の眼科主治医は眼科領域の病ではないと言い切っている。しかし精神・神経系の地元医は大学病院と同頻度でしか治療が受けられないので、胃切除の消化器系の内科医のところと精神・神経系の大学病院の二股で治療を続けている。「めまい」は突然やってくるが、平常時は元気だ。私は注意力が、母は突然の身体制御が問題で、待ち合わせをしても意味が薄いと自嘲談義をしている。

午後の内科医のところでは、医院存続が危ぶまれるほどの通院患者の少なさ、私が行くと、私以外患者がいない若い医者のところに通っている。私は酒煙草をしないし、最近はほとんど外食を断った。喫茶も無糖の紅茶にコーヒー、ミルクも入れない。食事も量が問題があるが、素材は模範的である。だから医師は検査以外は、話題に苦労している。ただ今回は少し新しい情報を持ち込んできた。私のようなII型糖尿病(非遺伝型)は、新薬の開発でここ数年のうちに薬物治療可能になるという話だ。新聞情報よりやや詳しい話を聞いた。自助努力は今よりもはるかに軽減されるという話で、要するに今、受け取っている「エクア」錠は、インスリン分泌促進剤ではなく、インスリン分泌促進ホルモン分泌促進剤の柔らかな薬であり、新薬なのだという宣伝なのだとわかる。しらけるが、薬をもらいに行っているようなもので、ならばすいている専門医の方がいい。

ここのクリニックと薬局は同じビルの中にあるために、両者とも出入り口に20cm弱の段差がある。しかもその段はつま先が宙にはみ出すほどの浅いもので、高齢者医療が主になる医療機関としては無神経な状態にある。私が通うパン屋にも段差があるのでそちらは情報提供したが、簡単なステップをいれて解決した。実際に転倒が起きたらしい。しかしこの医院・薬局は言っているが反応は極端に鈍い。全員若いのだ。転倒の危険が理解できない。医療関係者の想像力の無さが気になる。若手の問題は、このビルの関係者だけではない。

私は交通事故で数年間、杖をついていた。退院後、ダイクマから道にでる下り坂のスロープが怖かった。隣の100円ショップと不動産屋の段差は高く、上るのも力が要るが、下りは下手をすれば転落である。こういう街の危険が潜んでいるので、健常者が走り抜けたり、最悪のカートを引きずって、携帯電話を見ながら歩かれると凶器が歩いているようなものである。雑踏は人的にも構造的にも危険に満ちている。

母と歩くことは、その危険ポイントを私の指摘によって実地学習しているようなものだ。茅ヶ崎の街路の桜は背が低い。だから開花時、先行の歩行者が枝を引き下ろすと、後の歩行者の眼の位置に枝が降りてきてしまう。背の高い歩行者なら眼の位置に急に枝が現れる。こういう危険指摘はどこにどう反映させたらいいのだろう。OT(作業療法士)的な視点が必要。それは身体障碍の方のみの必要情報なのではなく、傷病者・子育て・高齢者などにも広がりを持つものだ。

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内科受診を済ませ、母には帰りに買った惣菜と、下準備しておいた食材を確認して、夕食はひとりで摂って欲しいと告げた。私は寿司折とクラコットを買い込んだ。巡回に行く途中、茅ヶ崎サポセンに立ち寄り、北茅ヶ崎から橋本に向かった。

巡回の中心は夜だ。JR相模原の塾の方は、始めに小中学生の臨時の授業をやってから近くの巡回先をまわることもある。教育相談を受けることもある。しかし、事情のある子が増えた。というより、表現し始めたとかんがえるべきなのかもしれない。

今回は教育相談が前段に入っていたが、塾長が対応したので私の時間が空いてしまった。シビアな労働協約をしているところは、急に無くなった授業時間は有給だが、日程変更や家庭の事情からの欠勤に大らかな反面、無給で干される事態も生まれる。こういう時、若手の授業をのぞきに行くと文句がでるので、上司ではない年配者の授業に忍び込む。

生徒がくすくす笑っているのが楽しくて、隣の奴にちょっかいをかけて、私はたたされる。今回はADHDの子の面倒をみさせられてしまった。小4の子と筆談をやっていたが、笑って事務室まで飛び出していってしまった。シャープペンシルの芯をもらいに行ったのだが、思いつくとすぐにやってしまう。私が後を追いかけたら、もう事務員と話し込んでいた。

時間調整を終えて、バスで移動。ほとんど駅前ばかりでいたが、この巡回が始まってから、少し相模原市の地理がわかるようになってきた。複数回行くと、戻りの終バス時刻と電車の乗り継ぎの様子がわかる。

今回はセンター試験をそのまま使って、筆記試験を免除される大学の例を話題にした。彼は塾に出てこない。図書館を使っているようだが、とんでもないところに理由があった。過敏性腸炎と頻尿だったのだ。通院すれば治療効果が見込める。内科通院していたが。喘息の治療をしていた。今の内科でも対策を打ってくれるから言ってみろと指摘した。試験恐怖からは離脱できるかもしれなかった。急にポロリと話が飛び出した。こういうことも結構ある。

終バス前で帰ることが出来た。同僚に南橋本まで送ってもらい、つぶれた寿司折を取り出して食事。母には外食してきたといいつつ、実はどの外食も油が多すぎるとはいえなかった。吉野家・東秀などは、はいったことがないなどという人だからだ。

村上龍氏の「新13歳のハローワーク」を開いて、仕事の洗い直しを少しづつ始めている。この書はすべての図書館に常備してもらいたい。ヒントが結構転がっているのだ。

母は睡眠導入剤を飲んで先に寝ていた。無事早朝ダンピング、ひっかからずに通過。

今日は、これからコミュニティビジネス応援PJの職場見学会に参加する。若いときからの知人Kさんのアクションポート横浜が仕掛けた企画。朝10時大倉山駅集合、また午前中集合なので、惚ける予定。朝型人間は天敵なのだが。

夜間傾聴:相模大野3君(仮名)
     □□君(仮名)


(校正1回目済み)

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12/7 師走の風にさらされつつ

2010-12-10 05:44:51 | 引きこもり
2010/12/07 記
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目の調子が悪い。書き込みが遅れること陳謝。

午前4時半ごろが魔の時間らしい。母がダンピングを起こして咳き込みトイレに嘔吐する。このまま母を午前中の医者に連れて行くのも負担だろう。地元医のところに薬をもらでんわがいに行く。その時間帯車は急いでいる。右方向の注意が散漫なので、自転車と衝突しそうになる。子連れ自転車がバッグに接触。冬場は日照が低い。日射が直接身に入ると、視野がハレーションを起こしてしまい、右目など汚れた窓の外の風景のように何もみえなくなる。

外来は混んでいるが、薬だけなので処方箋を早く出してくれた。どこの医者も月曜日はダメだ。私の巡回は今回は海老名14時。家に戻って仮眠をとる。本来は私の糖尿病の方の通院日だった。医者の15時まで休みというのは、なんともつながりが悪い。

海老名の巡回途中で母から連絡が入る。10日の発達障がい支援者研修の葉書が届いた。それを母が受け取った。稼ぎの巡回以外は、やめてほしいといいだした。心細いのだ。救急のときは連絡せよと言ってあるが、掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)があるので、両手の握る力が弱い。瓶の蓋開けや、玄関の鍵が大仕事になる。勿論水仕事全般がだめ。それにダンピングが加わったので、いわゆる年末の家事が滞っている。不思議なことにこの11~12月は社会活動の企画や、冬期講習など重なる上に、日没が早い。

海老名から家まで相模線だけでも30数分かかる。帰りに北茅ヶ崎で降りて、島忠ホームセンターで買い物し、国道一号線側の01系統で一度家にもどると、次の東林間が間に合わなくなる。会場券の葉書を破られてはなかわないので、夕食は(母の好物の)ポトフを作るからと謝り、梱包剤と庭手入れの材料購入を日延べさせてもらって、相鉄線に乗り込んだ。家から辻堂>藤沢>東林間をやり直すのは避けたかった。

こういう日常を送っていると、いつか破局がくる。暴れた父の介護の末がこの不便かと母に言われても、私にはもう生殺しにはしないで欲しいといいたくなる。30年近くを5人の介護で過ごしてきた。家庭を主軸にし、組織を背景にしない社会活動は、三途の川の石積みのようなものだ。日常を支えることの大事さはわかっているつもりだが、状況打開の歩はリセットしたくない。相手は新しく思っても、私にはいつか来た道であることも多い。先手を取れば先験的になってしまう。

大和から戻る形で東林間に入るが、先方も師走の風に押し出されてきたのがわかっておかしかったが、お前ポトフが手だよとは言えなかった。逃げる図書館が月曜日は休み。終了後、藤沢から本部にFAXを送って一段落。東京シューレなどのように、不登校・引きこもり支援を是として活動しているのではなく、進学校の問題児対策、低学力特別指導巡回として、同僚と2~3人でキャッチアップという形で経営者を説得して出来た仕事。塾の方は経営者が知り合いだったこともあるが、学力回復と風評で最低、損をさせねばなんとか私の首もつながっている。

あすなろの定例会のあと、3月5日のわいわい祭りへの交流豚汁鍋交流の企画をどうネットワーキングさせていくか考えていた。私は異種の活動が出会う活動に創造性を期待している。しかし、出会いから先までは手綱をつけておくべきではないと私は考えるのだが、生み出したいと思う目的が抽象的であることを毛嫌いする。私は入口・出口を定めた活動では、創造性が萎えてしまう。

年間計画をたてて行動するために、連携活動が中途に出会って、新規の活動を呼びかけたら、年間計画に入っていないのでと断わったという。遊びに生産性を見込むのは邪道だろう。しかし、硬直していると思う。会社の経営方法を市民活動に持ち込んでくるとき、それをソーシャル・ビジネスというなら、市民活動のあ壁がますます見え無くなる。だからボトムアップの方向で考えていくべきだ。と考えながら、イメージマップを書いていた。

目の調子が悪い。書き込みが遅れているが申し訳ない。8日に職場見学会に参加する。それまでに軽減させたいと思っている。

夜間傾聴:親御さんから午前2時ごろ電話があった。びっくり。
     □□君(仮名)


(校正1回目済み)
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12/6 休日診療の眼科を探し/湘南あすなろ会定例会がありました

2010-12-08 06:28:06 | 引きこもり
2010/12/06 記
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右目の調子が悪いので、休日診療の眼科が平塚にあったので、見てもらう。事情を話すと、慈恵医大に行ったほうがいいといわれてしまう。慈恵医大は私の症状をつかむために18日に検査を受ける。今のまま、慈恵医大に行っても、応急処置しかしてくれないと話すが、説明しても状況を読んでくれない。かかりつけの医者があるものという決め付けが、説明の内容を弾いてしまう。眼科を追い出される奴も珍しいだろうなと思いつつ、別の医師さがしに悩んだ。

茅ヶ崎市の救急も当番医がいる。しかし駅から離れた当番のところを回されたら、無駄足。結局藤沢まで出て医者に出会った。網膜色素変性症を治してくれと言っているのではない。急にかすんだ目の応急処置をしてほしいのにと思いつつ、今度はすんなりと話がまとまり、洗浄と2種類の薬を入れて待合室で少し休んだ。無口なひとで、こちらから質問しないと状態をつかむことができなかった。左目のかすみが和らいで、焦点が合ってきたので点眼薬の処方箋をもらって一般の薬局兼用の調剤薬局に行った。初めてのところなのでお薬手帳のどうのこうのと話がでて鬱陶しかったが、お決まりの問診表に記入し,初めの医者が問診表を使っていなかったことに気づいた。こういう場面では問診表が役に立つのだと知った。

辻堂の図書館の書籍更新を済ませ、そこで少し休んだ。アレルギーだったのだろうか、かすみはなくならないがだいぶいい。巡回を変更し、一度家に戻った。母は出かけていなかった。朝、ダンピングをやっていたので携帯電話をかけると、母の部屋で携帯電話が鳴った。どうしてこうも、携帯電話を持ち歩かないのだろうと、ため息をついていると、母が++さんと玄関前を掃除していたら会ったのだという。自宅に連れ込まれたらしい。しかし親子そろってこんな調子では長続きしない。家族解体だなと思いつつ、母は予定しているが、視覚障害訓練して独居かなあと思う。転居するにも書庫がいる…そこまで考えておかしくなった。目が見えなくなれば、読み上げ機でもなければ無用の長物ではないか。ツールは今のうちに物色しておくべきだなと思う。

母の夕食の下準備を整え、18時半からの湘南あすなろ会の定例会に出かけた。

恒例のミカンを購入。HL生活はビタミンCが欠ける。だからというわけなのだが、いつもの調子、初め30分前には皆そろっている。

ビッグイシュー茅ヶ崎販売終了が宣告されたときの経過を話す。検察調書作りのような経過だったことを伝えた。元販売者Eさんの活動は障害されないことを確認したが、私の卸再会はありえないことを伝え、今後地元に当事者さんが販売を希望したときは、Eさんが代表として責任をもつこととして、東京事務所と交渉することになる。

もうひとつは、大阪事務所から556号(最新号)が送られて来ており、開封せずに返送したこと。「路上からの手紙」のチラシも届いているが、販売仲介できないがどう扱うか話した。これはペンディング。

のこりのバックナンバーを一度すべて東京事務所に返す段取りを相談した。

定期購読者や図書館、行政有志への配布分をEさんが元販売者(OB)資格で、メール販売者になることに。中間マージンを取らず、無償労働で冊子を仲介配達する。Eさんは昼間動けない。私が配達することに。

図書館分を配達する件は、東京事務所では販売の本義に反するのでダメという判断を、今回の終了を言い渡した方が以前言っていた。サービス誌送付が当たり前になったが、その当時の抜け出し策として、販売者さんから冊子を買って図書館に私の所有物として寄贈することで切り抜けたことを思い出した。

もうひとつは年末年始期の寿町越冬企画に参加する話だ。30日14時茅ヶ崎駅改札口合流で、当事者を寿町に連れて行く企画を立てた。私は冬期講習最終日なので現地合流。

いまのところ候補者は3名。往復の交通費とカップ酒ひとつを会がカンパを集めて支給することに。交流が目的。

29日から越冬企画はスタートする。行ける人が他の日は手伝いに入るという前の取り決めを再確認したが、誰が行くのかと驚いた雰囲気。また話が変わっていた。私が31日、夕食前まで手伝いに行く。あとは沈黙。##さんはもともといけないと宣言していた。

次が辻堂の単独行動HLの件。これから酔っ払いが増える。ここは以前、ビッグイシュー販売者さんが、カツ上げの暴行を受けた死角のある場所だった。非常に危険なので、きずなの藤沢パトロールに連絡を取った。事件ではないが、駅前交番が私の家に電話を入れて、母がでたので母がパニックを起こしたことがあって、長期戦は避けて欲しかった。パト責任者のMさんから連絡があり、しばらく様子を見ながら関わっていく旨の応答を得たことを会に報告。

これは呼びかけカードがいる。私が名刺大の配布カードを作ることにした。

最後が、3月のサポセンわいわい祭りの出店の話。もうビッグイシュー販売はできないから、交流豚汁鍋をやろうと提案した。もとは○さんの提案だった。これなら公共の場の活動だし、当日は土曜日で休みなので高校生に豚汁交流を呼びかけやすい。市民団体の有機野菜作りの方や、青年会議所など商店会の方の協力も呼びかけやすい。食材をカンパや安く出してもらい、鍋汁炊き出しをHL当事者に呼びかける。一緒に作るのも歓迎。狙いはHLの差別のもとになっている風評鵜呑みの状態を払拭すること。交流である。もうひとつは、うまく交流が進んだら、清掃でもいい、個人の仕事をもらうことだ。就労の契機をもらうこと。

この企画を次回育てていくことを確認した。

しかし清算作業はわびしいものだ。次の日常活動の方針を出さなくては。

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買い物補充をして帰宅。目の状態が軽くなっていることに気がつく。網膜色素変性症そのものの症状ではなく、急なかすみは二次症状のようだ。日々変化するからだ。

異様に疲れ、ひとが信じがたくなった一日だった。明日は母が地元医通院の日。巡回は夜。

○さんから薦められていた「市民自治の可能性―NPOと行政我孫子市の試み」を入手。まもなく梅永氏の著書を読み終えるので、これが続く。

夜間傾聴:中央林間君(仮名)
     橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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平山さん、お恥ずかしい次第です。(コメントに)

2010-12-08 01:31:22 | 引きこもり
平山様>

偶然とはいえ、ひょんな出会いが役に立ちよかったです。
ひとのことはいえませんが、私は講師兼学習カウンセラーではありますが、とても心理カウンセラーにはなれませんね。ひとを解きほぐすどころか、迷惑をかけてしまっています。危うい綱渡りを何年続けてきたのだろう。だから##さんが相談に乗ってくれて助かっているのです。

隔月で、この少数懇談会次回は地域起業の具体例でしょう。自分の調子に合わせて仕事を組んでいくのは起業の道の方がしっくりいきますね。

今回少なすぎましたが、10名そこそこで話すほうが、深く話せます。また気が向いたらご参加ください。

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12/5 内閣府主催 「不登校、ひきこもりへの支援を語る」(東工大大岡山C)に参加し

2010-12-08 01:19:47 | 引きこもり
2010/12/05 記
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内閣府主催の特別企画 「不登校、ひきこもりへの支援を語る」(会場:東工大大岡山C)に参加してきた。終了が17時台なので、母の早い昼食をとらせてからの参加だったので、午前中の講演などの第一部は参加できなかった。ふたり暮らしのとき、一日中の孤食を作らないとすると、外出時間が制限される。体調が悪い相手ならなおさらのことだ。

茅ヶ崎からは、横浜から東横線で自由が丘に出て、大井町線で大岡山に出る。私の参加した第二部は、「支援機関・団体の活動案内」であり、50分4コマの団体紹介を回る。時間が短いので、Q&Aは期待していなかったが、それぞれの団体のすでに知っていることではなく、最近の様子と今後の見通しの語りを期待していた。私が今回注目していたのは、引きこもり青年の就労と起業の関連情報であり、地域起業とセイフティネットの構想だった。

この意味で1番目のグループに入っている「NPO法人ワーカーズコープ」の語りだった。生協や農協はそれぞれ協同組合法を活動のバックに持っているが、労働者協同組合という仕事のシェアリング、起業の種まきをする協同組合は、いまだに活動を保護する法律を持っていない。欧米のソーシャル・カンパニーやソーシャル・ファームと親和性の高い活動であり、地域起業のモデルを提供してくれるだろうと期待していた。

話は終戦直後の中高年の仕事作りから出発した団体だが、引きこもり青年や精神障がい者等地域起業に、もうひとつの就労がフィットする方が見込まれる活動のヒントがあるように思っている。

会は発足時からの歴史を概括し、現行の活動紹介に至る話だったが、現在のネットワーキングの状態解説というよりも、地域起業の遺伝子のような流れのダイジェストだった。一昨日から私の右目は完全にかすんで片目状態のうえ、左目もかすみはじめていたので、書いたつもりのメモが汚く、読み取れない無念さがあるが、下記を参考にして欲しい。

●「ワーカーズコープ東京」

次が「NPO法人・文化学習協同ネットワーク」だが、いわゆる状況論アプローチをしているわけではない。私塾を拠点として、さまざまな文化企画を開いていくことで、地域に広がっていくフリースクール活動。ただ軽度発達障がいの子たちに丁寧に学習プログラムをたてて教えている活動。今の私には古いなあと思いつつ、懐かしい空間の映像を見ていた。何人もの資金提供をする厚篤家がいないと社会改革的に広がっていかない。社会的企業の力学が感じられないのだった。間違いではなく、これはこれでいいんですけどね。湯浅誠氏を10周年シンポに呼んでいた。

●「NPO法人・文化学習協同ネットワーク」

この後、私は東京の団体のブロックから神奈川の団体のブロックに移動し、あとふたつの団体の語りを聞いてきた。育った木の枝が生い茂るようにK2インターナショナルの活動は様々な実践を生んでいる。初めての方には全体像が見えにくいだろう。親御さんの理解の仕方で納得のいかないところがあるが、自前の店舗を開いたり、高校の食堂を運営したり、若者サポートステーションの受託運営や、寄宿型研修システムを走らせたり、ニュージーランドにグループホームと飲食店展開をいる。このパワーはすばらしい。そのK2インターナショナルの自己紹介の分科会に出た。

その後は、「(株)シェアするココロ」の話を聞いた。こちらはIT技術と産業カウンセリングを活かしたような活動をしている。HP画面やサイトの企画を行って、例えば横浜市と「ハマトリアム・カフェ」のようなサイトを受託運営している。またキャリア相談カウンセリングや、高校へのキャリア形成授業の出前などを出自のNPO臭さを残して株式会社展開している。いずれも4~5年前には生まれていなかった活動だ。

●「K2インターナショナル」
●「(株)シェアするココロ」
●「ハマトリアム・カフェ」

それぞれ資料や情報をたっぷりいただいたが、虚しさが残った。湘南はなぜ大きく膨らむ可能性を秘めた活動が根付かないのだろう。私もそうだが、訪問カウンセリング活動は、当事者の横の結びつきを生まない。守秘義務と引きこもり青年の挫折隠遁的な気持ちを開いていくような自立活動が生まれないのはなぜかと自問自答している。

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帰りはすでに日が落ちて、足元も暗くなっていた。芝生の坂道が怖く、道を迂回したら、生垣が邪魔して別の道に押し出されてしまった。近くの門から出ればいいとたかをくくったのが間違いのもとだった。見えないのだ。右目が闇の中では全く見えなかった。ひと気は無く、学生の声はするが陸橋の下だったりして、左目を凝らして進むうちに、私は西門、緑ヶ丘交番の方に押しだされていた。結局交番で道を聞いて、大岡山駅ではなく緑ヶ丘駅に出た。帰りは乗換えが楽な二子玉川&中央林間経由で相模大野にでた。冬期講習の調整会議だった。椅子の上の輪ゴムに気がつかず、立ち上がったとき尻に輪ゴムがついていて、同僚にどうかしたのかと輪ゴムを払ってくれたが、机の脚を蹴飛ばしてしまった。気持ちではなく、目がいうことを聞かない。その意味でスランプだ。


夜間傾聴:中央林間君(仮名)
     □□君(仮名)

(校正1回目済み)

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12/4 スランプの一日

2010-12-06 18:22:12 | 引きこもり
2010/12/04 記
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右目のかすみが取れない。ドライアイ点眼薬でしのぐが、強烈な忘れ物の失敗が続き、少々音をあげている。携帯でメールチェックしたあと、折りたたみ傘をたたみなおしてバッグの底にいれたら、小脇に置いた携帯が無い。散々探したら、同系色のストーブの上に載っていた。ピントがあわないので眼鏡を架けかえた。宅配便の受け取りにサインを要求されたが字が見えない。はっずしたら2つの眼鏡とも行方不明になった。片方は玄関の棚の上に置いた花瓶のかげ、もうひとつは茶の間のテーブルの上だが、母が左端から右端に動かした。それが見えない。

いかに視覚に頼ってきたかを身にしみて感じている。脳のCTは9月に撮っている。認知症の走りだと母に冗談を言ったが、昨日は本当に忘れに振り回され通しだった。同系色の重なりや、暗部は見えないし間違いが多い。救いはかすみが出た日は間違え、治まっている日は、夕方の2時間ほどを除いて問題を起こしていないことだ。夕方は血の気が引いたように眠気に襲われる。暖かいものを飲んで血行をよくするように努めるが、糖尿病のインシュリン分泌を間接的に促す薬を飲み始めてから頻繁に現れるようになった症状だった。

利き手、右手の置き忘ればかりだ。

そうも言っていられない。行きがけにJR相模原の塾により冬期講習の割り振りの希望表を出してきた。今年、大晦日はぎりぎりまで寿町に行く。母を置いて年越しとはいけないから、日が変わる前には家に戻るが、格差社会のこと、ソーシャル・ファームの芽を現場から考えていきたい。

叔父の方もこもったまま年を越すらしい。高齢者施設のことは認識が少し変わったようだが、正直言って生き方が違うので交流する気になれない。父のことはどうしたものかと、今回家族ばらばらの年の瀬を迎えている。

かすんだ右目のまま、橋本3君と会う。「うちは仏教徒なのでクリスマスはやらないんだ、せんせ」と言われて、ため息がでた。人生後半になってくると、同じ話を何度も聞いている。「お前寒いよ」という。乗りの悪さに時間が来たので指導も終わりになったが、レジに出てレシートを忘れていることに気がついた。レシートを出して各自支払いを済ませたが、小銭入れが無い。ウェイターさんが席に荷物があったと、小銭入れの入ったバッグを持ってきてくれた。レシートを持ってくるかわりにバッグを置いてきていたのだった。どうにかしている。「認知症じゃない?」と彼に言われて、「今頃気づいたか!」と居直ったが、背筋が寒くなった。スランプである。最近不規則だが週に2回ほど右の目のかすみがひどいときがある。忘れ物や蹴つまづきが起きるので、対策を練っている。

橋本から京王線を使って都心に出た。家業の件で始末をつけてきたのだが、スーツ姿ではないと違和感。正式のビジネスとして訪問したわけではないから問題ないが、学校教員ならジャージ姿で片付けるような話。

丸善で、北海道の中学生になった娘さん宛てのクリスマスプレゼントを探す。画家の家系と医療関係者なので、絵本なども結構本物のよさが分かる。私の好きなガブリエル・バンサンの「アンジュール」のクロッキーが通じた。中学生になれば、逆にジュッタ・バウワーや古典はと探したが絞りきれなかった。

母の好きなマイセンのカツサンドを土産に買って帰ったが、私はキャベツの塩味あんかけにクラコットである。力もつかないよなと思いつつ、年の瀬は強制的な幕引きだからなと、わけのわからない言葉つぶやきつつ、つり革に下がって帰宅した。

今日はスランプなのである。


夜間傾聴:橋本3君(仮名・逆にカウンセリングされたような)


(校正1回目済み)
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12/3 英国社会的企業「エデン・プロジェクト」紹介講演(明大経営学部主催)に参加し

2010-12-05 16:28:32 | 引きこもり
2010/12/03 記
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私の巡回している青年たちは、様々な事情を抱えて教室の授業が受けられなかったり、より自分に合った選択をして個別学習を選んでいる。だが予備校や私塾である関係上、彼らの選択は進学にあり就労ではない。しかし一度就労し、再進学を目指す者もいる。その者はより具体的な目標を進学先にたてるので、狙いの就職に進学先がマッチしているかどうかという話もしていかないといけない。また引きこもっていた青年には、進学先がウォームアップまたは切り替えに役立つかという経験的な情報も分かる範囲で提供しなければならない。この12月。進路担当者は最後の詰めに奔走している。私はそのような大きな波を抱えはしないが、彼らの不安と対峙しなくてはならなくなる。

夜の明大経営学部主催の講演会の前に、巡回指導を入れていたが、続けて複数件予定を入れるのは、時間にゆとりをとらないと難しかった。進路相談が入って、かならず延長戦になるからだった。本部からは相談は進路担当が行うので、外勤が応答してはいけないことになっていた。情報確度とその提供責任のことがあるからだし、学生バイトの家庭教師も外勤講師には混じっていたからだった。私は学習指導と教育カウンセリングのふたつを、指導に困難のある若者に絞って担当している。後者の意味で家庭教師とも違うのだが、心の障がいを伴う方は、心理カウンセラーの協力を得る。しかし自閉症スペクトラムの方の指導には私の経験の方が役にたつことも多い。こればかりは、その方との場数、話した時間の差なので、心理カウンセラーには後から承認を得るようなことも多い。

会場には新宿まで小田急線を使い、御茶ノ水に出ることとし、小田急沿線に巡回先を選んだ。東林間君と中央林間君の時間調整したのだが、折り合いがついたのは東林間君だった。中央林間君は後日となり、相模大野2君は通学復帰していた。となると、しばらく担当を変えていた鶴川君か、橋本周辺以外は私の担当する学生がいなかった。鶴川君の担当者に連絡を入れると、鶴川君は通学しているという。結局、本校にもどって自習相談の応援に入ることになった。

私のタイムカードは外勤なので無く、人事担当者に始業終業時刻を連絡して記録する。滞在時間が短いとなんとなく、申し入れしにくい。

東林間君は宿題を出しておいたので、その準備をして関われたが、自習補助はぶっつけ本番。冷や汗かきつつ時間をこなした。上司がブログを読んでいるかもしれないがまあ内緒である。というわけで、17時半過ぎに御茶ノ水に向かった。

「成功するソーシャル・ビジネスの条件」(環境をテーマに人間と社会の変革と地域活性化をめざす 英国「エデン・プロジェクト」と「グランドワーク三島」の実践から学ぶ)

と題する公開講座だった。一見「環境・エコ」系の講座のようにみえるが、主眼は地域の人の結びつき作りであったり、仕事作りであるところが一味違っていた。英国の「エデン・プロジェクト」は刑余者の就労270人を抱える社会的企業なのだった。私はホームレスの屋外就労「公園プロジェクト」などに結びつくヒントが得られるかもしれないと思って参加していた。講演者はハワード・ジョーンズ氏、日本からは、グランドワーク三島の渡辺豊博氏、損保ジャパンの関正雄氏が入った。参加者は研究者と学生、一部ジャーナリストと思われる方が入っていた。あえて参加者数は書かない。

●「エデン・プロジェクト Eden Project 」

英国コーンウォール地方の旧陶土採掘現場の荒野に、複数のドームを集めた巨大な植物園を作った。広大な自然を壊さず、地域の観光植物園を290億円規模の複合計画として実現させたのだが、それを支えたのが行政・企業・NPOの関わる第3セクタ。この規模だけでも市民活動家としては興味が半減してしまう。ここに至る過程が語られないからだ。しかもこの計画には、社会的弱者としての刑余者、ホームレスが270名正職員として働いているという。この計画がなぜ社会的弱者の雇用創出なのか、この辺の計画内容の、つながりの必然がわからないのだが、結果的に大きな雇用が生み出され、彼らは来園者へのサービスとか、植栽管理やイベント企画まで踏み込んでいるという。ひとに頼りにされること、喜んでもらえる体験が彼らを復活させているのだという。

出所した街中では再就職が経歴審査によって振るわれるために、採用皆無なほどに就職が難しい彼ら、起業の元手もなく、公共清掃等の限られた職種に追い込まれている彼らに職を開く活動が必要なのだという。だから観光収益と同時に雇用創出を考えた計画であるということは、すばらしいことと思うが、社会的弱者の雇用という発想がどこでどのように結びついたのかは、この手の講演では明らかにならない。この辺を、英国の分厚いボランティアの歴史といわれても、それでは日本では学ぼうとしても手も足もでない。

私は「エデン・プロジェクト」を、とんでもないところで名前を聞いていた。ホームレスのサッカーチームである。この話は Great Grassというページでエデン・プロジェクトのパンフレットに紹介されているが、サッカーチームにはホームレス以外に刑余者も参加しているらしい。ビッグイシューの英国本部の活動にもサッカーチームの活動がある。複数リーグがあるのかもしれないが、ビッグイシュー以外の社会的弱者のチームがあるか調べていたとき、話をきいていた。なるほど、ここまで計画に組み込んでいるなら、これは本物だと思った。形式だけの雇用なら、このような活動が派生してこないだろう。

●「英国ビッグイシュー(本部)」

日本事務所からは縁切りされてしまったが、ビッグイシューの意義を私は認めている。私は組織管理屋さんといつもぶつかってしまう。それだけのこと。

これと関連しているしょうもないことが、「グランドワーク三島」の講演との間で起こった。

静岡県三島市の源兵衛川は富士の湧き水を下流とした川だが、上流で企業が水を工業用水として使用したために水量が減り、下流の人口増加とともに川が死滅しそうになっていた。これを地元の市民・行政・企業の協議によって川を町の親水資源として復活させたという活動だった。この結果、市民意識の向上は町からゴミをなくし、観光によってシャッター通りを減らし、様々な地域活動へとつながり、活動も広がっているというのだった。

ここまでなら、質的に平凡なエコ町づくり活動だなと思うのだが、ここの企画推進は「赤提灯」であり「かあちゃん泣かせの親父集団の活躍」であり、地元つながりからの「地元企業への幼馴染み圧力」であると言い出した。最悪だと思った。「市民」とは誰であるのか。都市中間層、地付きの住人を「市民」と言い換えているだけではないか。エデン・プロジェクトが刑余者の就労創出を言っているのに、三島では「赤提灯談義」なのか。赤提灯談義に刑余者やホームレスがいるのか。障がいを持つものが入っているのか、常識を逆なでするような挑発的な赤提灯礼賛言辞に関わらず中身が陳腐なのでいやになった。予想論だが、町のゴミとともにホームレスが居場所を失っているのだろうなとも思った。

エコ活動は、常に有る特定の社会階層のエゴと結びついている。意見を述べる機会の保証されている階層を「市民」というのはいただけない。私は基本的に、定義のあいまいな「市民」という言葉は使わない。様々な利害の対立した社会に、独立した「市民」を立てるのは、ひとり一票の代表制民主主義の背景をなすものだが、「市民」概念は独立して歩き出すと、事実を隠蔽する概念に化けることがある。だから金科玉条のように私は振り回さない。

エデン・プロジェクトのような社会的企業が障がい者版がないか、気に留めはじめている。そして「ソーシャル・カンパニー」とか「ソーシャル・ファーム」と呼ばすに「ソーシャル・ビジネス」と呼んでいたのも、トップダウン型が想像されることで納得できた。私が行いたいのは公共的ニーズに基づいたボトムアップ型の地域起業、社会的弱者の雇用創出なのである。



夜間傾聴:□□君(仮名)


(校正2回目済み)

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12/2 母の北里東病院神経内科診療は不定愁訴外来の他院へ

2010-12-05 11:07:26 | 引きこもり
2010/12/02 記
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治療法が確立されてない疾病に、外来患者が次々にやってくる状態下で医師はどのような治療戦略をたてるのか。その辺は類型化と逸脱チェックを焦点化した再構築という繰り返しをやっているだろうと予想をたてつつ、医師の言動を注目して見ていく。熟練や個性なども浮かんでくるが、カルテという短時間リセットツールが有効に機能していない医師は、特に治療法が確立していない患者には際立ってわかってしまう。私の眼科医、母の掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)に対する皮膚科の医師がそうだったが、今回、神経内科が母の胃切除後遺症のダンピングとつながった不定愁訴と思われる諸症状への対処は、様子が少し違っていた。

昨日は、11時に北里東病院の予約を取っていた。母の歩行不安定は、眼球の痛みと股関節の緩みと鈍痛としびれともに軽減していた。医師は今回神経内科から心療内科への転科を決めた。ここで付き添う私が母の応答をカバーすることになる。医師は母に「何を治して欲しいのか」を母に質問しだした。この質問はすでにある文脈に乗っている。何回かの診療で症状経過のやりとりは十分してきたし、精神科や神経系の特徴の微妙な訴え記述の分厚いカルテがあり、その上で初めに返ることは、全体方針の立て直しと、いわば引導の準備を意味していた。私は戸惑い症状を羅列して語り始める母を制した。主訴の混乱を患者の責任として押し付けて、それを理由に裁く方法は(最近私も検察調書を取られたが)不当である。準備しているものを先に語るべきだろうと指摘した。

母にはこのやりとりの真意は理解できないでいた。医師は私に神経内科に何を期待されてきたのかを私に質問し、「結局医師は応答側にまわるのですね」と言葉に出した上で私は「各診療科の縦割り範疇ではすり抜けてしまう横断症状を統合的に診断治療する科を求めていた」と答えた。それは初期ふるい分けの「総合診療科」ではなく、「神経内科」、「心療内科」以外にその可能性はないでしょうと、医師に切り替えした。

ここで医師が診療経過をやっと話し始めた。まず総合診断ということ。これは現在の医療では特に総合を意識して作る専門外来があるだろうが、「神経内科」は私のいう「縦割り」の中のひとつとして専門領域を深める方向で大学病院は進んでいる。「横断」という方向ではないこと。同時に、母は不定愁訴の傾向を強めており、精神の領域は「心療内科」や「精神科」以外は扱っていないことから、「心療内科」に移って下さいと説明した。

私は幸か不幸か、引きこもり青少年の伴走をしている関係から、「心療」系医療の現状は見てきていた。不定愁訴外来は数が少なく、その診察のいわゆるいい話は聞いたことが無い。辛辣な言い方だが「愚痴外来」と誰が言い出したのかわからないが、それが言い得て妙という世界。時間のかかる問診に比べて、打つ手が少なく、手っ取り早い向精神薬漬けしたり、判じ物の自主療法(名前は避ける)に満足を仕込んだりする。だから眼球の痛み、腰椎股関節のしびれ違和感にダンピング不眠症状かかぶった症状として「心療」というより「神経」系の診療科を受診していたのだ。だから際どいクリニックを探さずに大学病院系をさぐるが、効率と成果が見えにくく、内科医の知識を要求される「心療内科」は、不況下、精神科への吸収が流れとなっている。医師不足、時間のやりくりが保証できないということで病院がない。つまり病院行脚が始まることを意味していた。

「不定愁訴」診断を受け入れたとして、「不定愁訴外来」の少なさをご存知の上の判断ですねと私がからむ。医師は診断書や紹介状は書きますといい、自分の診察の概略を説明し始めた。この診察戦略とその経過を口にする医師は少ない。私は概略とはいえ、それを語ったことを評価した。つまり神経内科としての手は限界に来ている。しかも母の状態はストレスが原因と見られ、「心療」系に移る段階と思うと語った。先方が利用するか否かは別として、診察経過のデータを下さいねと条件をつけて、次回紹介状を準備することを持って神経内科診療を終えることを承諾した。

医療関係者の目からは、診察戦略と経過の概略を語ったことの是非は、患者側とは違った意見があると思うが、治療は共同行為であり、診療の同意(インフォームド・コンセント)はあるべき姿だと思っている。その意味で満足ではないが納得したのだ。

母は経過が理解できていなかったので、本来のインフォームド・コンセントではないが、処方箋を受取って外来の長椅子に座らせて説明をした。要するに万歳だと古い比喩を使ったら、お前古いよと母にいわれてがっくり。まあ納得してくれた。

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問題は次回の予約が1月5日であり、今月は時間のゆとりがないことだった。母に藤沢と我が家の2箇所からの携帯連絡を義務付け、私は心当たりの心療内科の有る大学病院に立ち寄ることにした。母の状態は定点チェックをすれば、発作的な症状は一応越せ、付き添いの必要はない程度の体調だったからだ。

時間は17時まで。時間勝負で大学病院ふたつをまわった。中央林間で降りて田園都市線高津駅前にある帝京大学溝の口病院、建物が古い。ぶっつけ本番で心療内科受診のための外来状況の説明を求めた。

案の定、精神科への吸収が進んでいた。不定愁訴外来は精神科受診を通して振り分けるが、担当医が少なく数ヶ月待ちであり、他の病院を当たったほうがいいとのこと。つまり医師不足と歓迎されざる不定愁訴患者ということ。

川崎経由で梅屋敷に出た。東邦大学大森病院。結構商店街が長く遠い。あとで蒲田から大森行バスと分かったが、こちらは建物も新しい。診療時間ぎりぎりだったが、不定愁訴は担当医がいるが、数ヶ月待ちは同じ。ただここは、研究者もいる。ここあたりからかなと思いつつ、次は東大附属か東海大かと憂鬱になった。板橋や千葉方向には遠いと母が抵抗するからだ。残念なことに予約がとれなかったが、ここが行脚の出発点になりそうだ。

東海大は何回か仕事の関係で行っているが、あまりいい印象がなかった。東大もなあと思いつつ、私が眼科に行くので慈恵医大精神神経科も行ってみようということにした。森田療法かいなと余計なことをつぶやいていた。

この際だから母には人間ドックを経験してもらうことにした。癌転移のチェックの時期でもあったからだ。

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しかし時間がかかる。幸い母から電話がないので、横浜から海老名に出て巡回に間に合った。母を帰宅させて再度家を出るよりは気が楽だった。

私は病院の医師不足のことをちらりと彼に話した。**先生は優しいよとアドバイスをもらった。ありがとう参考にさせてもらうよといいつつ、「ありがとう」、「参考に」、「笑み」に教員のいやらしさを感じつつ、紅茶を飲んでむせてしまった。罰である。

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蒲田・大森・大井町はもとの私の活動エリアだった。馬込に塾があったので、関連活動の外周地域だった。だから東邦大から逆コースだが大森に出たのも、久しぶりの駅前を見てみたかったからだ。ここは大森君や大森海岸君の本拠地である。巡回が控えていたので連絡しなかったが、駅前の様子がだいぶ変わった。それほど昔の付き合いなのかなと思っていた。

幸い東邦大学経由はバスの本数もある。蒲田から母をバスに乗せれば文句は言うまいと、狸の皮算用やっていたのだった。

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冷えたカレーライスが待っていた。まあいいかと遅い食事を済ませたが、母の「治らないのかねえ」という愚痴の枕詞を聞いて、戦々恐々。「大丈夫、任せておきな」と口封じしたが、何言ってるんだか、見通しもないくせに、である。

睡眠不足、どっしりきていたが仮眠とれる時間ではなかった。夜間傾聴は連続何時間もかかるわけではない。ほとんどが待機だ。だからいつもは、生業の始末や、企画の準備、読書に当てていたが、片目になってから、連続デスクワークが残りの眼のため自重して、休みをいれている。コーヒーブレイクを入れるのだが、ブレイクしようにもコーヒーを切らしてしまった。

眼を閉じ、傾聴希望の連絡時すぐ起きられるか不安だったが仮眠した。無事1件相手が出来て終了。4時50分、まもなく5時だった。

今日は夜に明大駿河台リバティタワーで、ソーシャルビジネスの講演会がある。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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12/1 障がい者の就労相談 その現場から見えること(懇談会)を終えて

2010-12-04 11:25:56 | 引きこもり
2010/12/01 記
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昨日は午後から「わーく」編集部主催(大げさ)の障がい者就労支援の懇談会を開いていた。今回の企画は、日常講演会などではQ&Aの時間が片手間で話足らなかったり、就労支援の件で質問をしてみたかったりしている当事者とそのご家族の方や、支援活動を行っている関係者がサポートをしていて、普段話せない要望や課題の印象などを茶話会というか懇談をしてみようというラフな企画だった。

この懇談会に話題をリードしていただくために、行政の現場担当者の☆さんに無理にお願いをして、年休時の公私の私の立場で参加していただいた。勿論、会は無料であり、謝金もない。無理をお願いして、☆さんありがとうございました。

そんな関係もあって、関係者に連絡することが中心になる呼びかけだったので、人集めが非常にやりにくかった。半公開のような企画だったからだ。しかし巡回勧誘してみて驚いた。いつもより行政・学校関係者の関心が強いのだ。当事者家族はまったく反響が無かった。それぞれの立場で就労支援サポートを行っているし、時々お互い会議などで同席もしている。しかし、ちょっと時間を取って話したり、情報交換したりする機会が案外少ないようにも思えた。

ところが開催時間帯が平日の昼間というのは、研修や出張のような形でしか参加しにくい。反面、当事者・家族は夕方~夜の時間帯が夕食がらみで参加しにくいという相反した都合がある。この辺の見極めを誤ったように思う。

親御さんには、会参加のメリットが見えにくいし、行政・教育関係者には時間的に困難がある。だから無理して参加してくださる支援関係者の方だけの会のようになった。ただ、今回は私の巡回ミスで、住所を間違えて、近くの同姓の方のポストにチラシを投函してしまったことが、偶然聴覚障がいの方のご家族のお宅で、新しい接点が生まれ、会に参加して下さったというハプニングもあった。PC故障で連絡簿が使えず、非常用PCに携帯をつないだのが間違いで、携帯電話内の連絡簿(副)も消えてしまったという事態で、おおよその住所しか分からないお宅に手紙配達に行った、その結果だった。

会の話は☆さんの仕事の内容紹介から始まったが、各自の現在考慮中の課題を順に紹介してもらった。職場開拓はものすごいエネルギーを要するものだが、職場の様子と企業の要望をつかむには、歩かなくてはいけない。そのときの企業情報はそのまま、自分のさぽーとしている子の就労に結びつくとは限らないが、つかんでいかなくてはならないと、チェーン展開している企業人事担当者との話の事例紹介があった。

私は前日の職場見学会を例にとって、企業の側も熱心なところはあるが、親身になって関わってくれても、障がい理解に乗っているとは限らない支援になっている場合もある。だから企業に適切な情報を届けることも必要に思うが、その場面はなかなか作れないと話した。

青年会議所とか企業団体向けの企画が必要という話の他にも、職場ジョブコーチ育成の必要性が話題に上った。トライアル雇用、特別支援校の職場実習のような事前の準備の試みを踏まえても、そこにジョブコーチをつけても、マッチングには時間が足らない。作業習得の壁、職場人間関係の壁、生活変化に伴う新規生活安定化の壁など、当事者の抱える問題を共に考える継続サポーターが必要で、地域なら就労支援ネット(セイフティネット)、職場なら企業ジョブコーチがいる。しかしこの辺が一番立ち遅れているという現状認識を交換した。

しかし、採用時にも採用条件のハードルが高いのが現実で、定時に職場に着くということひとつ取っても、交通機関の乗り継ぎや、健康管理というような就労の底を支えている生活スキルが習得できないために、就労に結びつかない状態を、誰が誰とどう打破していくのか悩むところだという話もでた。

就労後の定着支援も手が足らない。親を失った後の成人後見制度がやっと整ってきているが、ジョブコーチの定期巡回や地域就労支援センターの支援だけではやはり不足。茅ヶ崎市の「サザンポ」(障がい者運営の喫茶)のような場を使って、当事者が語り合ったり、支援者に相談できる場の活用が必要だと話した。その辺の生活を支えるグループホームの価値の話も出て具体例も話題になった。

今回ひょんなことから出会った方から、参加経緯の話があったあと、今回の出会いがあったから支援に結びついたが、どこにどのような支援があるかわからない方も多いのだという話も出てきた。これは知的障がいや、子どものときからの身体障がいの領域の方には特別支援校や地域関係者団体との早期支援があるので気づきにくいことだが、中途からの心身障がいや、手帳取得していない、またはそこに結びつかない精神・発達障がいの地域潜在している方の状況なのだという現状の支援の限界が語られた。ここを超えて行かなければという話が出た。

引きこもり領域では、やっと発達障がいとの関連性や、就労支援への「生きにくさ」の視点拡張が行われて、障がい者支援との関連性が広がってきているけれど、当事者同士が特性を生かして支えあう就労の形がまだまだ企業就労のばでは出てきていないこと。それを地域起業という場面から構成できないかという話には、知的・精神・発達障がいの企業就労が何名という状況から見ると、空想になってしまうという話にもなった。企業が協業を前提に考えていない個人契約を基本とする状況では、地域起業実践や地域作業所実践の延長上から考えることになる。それがメリットとなり、収益を上げていくところまで持ち上がれば別だが難しいという話も。

これは精神障がいの場合の急性期と寛解期の波のように、常時安定を求められる就労と相反する条件を抱える方たちや、心身の条件整備を踏まえたい方の場合も、地域のクッションとなる就労の当事者ネットワークが必要ということと重なっている。補完しあう、リードしあう、そういう就労は起業就労には馴染みにくいという面がある。

こんな話題や、ここには書けない話題が交わされた。2時間は、あっという間に過ぎていった。

この後、☆さんにご足労願って、当事者の方の相談約束などを個別に話し散会となった。次は夜かなあと判断しかねている。

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母がベッドに転がったまま、私の帰りを待っていた。むっつりしている。掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)が出て、ビンの蓋が開けられないし、手袋がないので水仕事も出来ないとの話だった。早朝母はダンピングを起こして、私が介護に入った。そのときは気づかなかった。新規切り替えたレンドルミンが効いて、朝ぐっすり寝ていたが、朝昼兼用の食事の下準備をして出てきたのだが、ここ数日、母は孤食が続いていた。体調が悪いと外出しないので、孤立感が強まっている。家事を山積させて出歩いていると母が怒り出したが、この時期毎年企画が重なるのだ。巡回とあわせると、昼間の在宅時間は縮まる。

加えて私は、辻堂駅のHLの方の孤立を支援に結びつける調整を裏でしていたので、交番から我が家に電話が入っていたらしい。空腹のまま、アル中禁断症状を発症していた。一応の接点を作ったが、駅を通るときに接触を続けていた。Nさんという。

母の怒りはもっともだが、家事を昼間に拡げるのは無理だ。どうしたものかと考えあぐねている。

今日(1日)これから、母に連れ添って11時までに北里東病院に行く。神経内科が治療の限界を言い出しているので、不定愁訴外来を探さなくてはならない。皮膚科は再開でいい。

夜間傾聴:橋本3君(仮名)
     東林間君(仮名)

(校正1回目済み)
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11/30 茅ヶ崎市内の障がい者雇用事業所見学をしてきました

2010-12-03 16:18:45 | 引きこもり
2010/11/30 記
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生活相談室とれいんの企画による、茅ヶ崎市内の障がい者雇用を実現している事業所見学が29日(月)開かれ、惣菜・仕出し弁当の工場と、おしぼりの工場を見学し、8月サザン通りにオープンした市の障がい者のお店「サザンポ」で食事を摂るスケジュールの最後まで参加してきました。

ふたつの事業所とも障がい者雇用には熱心な、実績のある事業所なのですが、実際に言ってみると、様々な意外な情報を得ることができました。見学会参加者は行政・施設関係者で半公募のような形。それだけに余分な説明がなく、じっくりとみることができました。(といっても、右目の調子が悪く、片目でしたが。)マイクロバス3台に分乗、20名弱の集団でした。

仕出し弁当屋さんは、経営者の方も古い地元付き合いで、退職していますが従業員だった方からも話を伺っていました。障がいを持った方を支える職場環境を意識されてきたことは、職場に行ってみてすぐに了解できました。しかし、作業管理の視点から見ると、古い職場のやり方があちこちに危険を残しているように思いました。

一番大きな誤解は、親身に教えればわかるという発想です。熱心なだけにこわい。

仕出し弁当屋さんだから、季節の波があります。また時間帯によってもだいぶ忙しさが違う。早番の方は午前4時ごろから作業をしており、3つの時間帯に属した職員の方が働いているけれど、切れ目がない受け渡しになっていました。

部門はそれぞれ衛生管理の視点からブロックが区切られ、他品種の折りがひとつの流れの中に順次流れてきます。私の見た部門は食材を折りに並べて閉じるところと、梱包してカートにならべ、配送車に送り出すところ。

作業台と通路の幅が狭く、その通路の脇で熟練を要する食材を配置する作業が行われていました。食材を切るなど調理の係と、梱包の係に、技能の状態に応じて知的障がい者の方が入っており、その方も数年を経過し、慣れているとのお話でした。しかし見ていて2つの問題を感じました。

ひとつは、定型業務というより、作業の忙しさに応じて臨機応変さを要求されること。丁寧な指導を行う担当者が配置されていますが、多品種不定形となると難しいだろうなと思うことがひとつ。

もうひとつは作業がマニュアル化していない危険です。狭い通路をカートを持って行きかうのに、巡回が一方通行の規則とか、後ろを通るときに「通ります」と声をかけるというような規則がない。カートは両手で抱える形で、床を押すカートが使われていない。ぶつかりそうになってよけたときに、商品が箱の中で偏ったりしそうです。ましてやトレイを落としたらお弁当は商品になりません。そういう作業環境的な部分が、昔からの経験を伝えるような形で組み立てられているのがわかりました。

梱包の紐も何種類も下がっており、カッターも複数の種類が見受けられました。健常者には、問題に上らないことでも、作業環境の整備、切り分け、定型化は労働の背景に大事な要素です。長年の経験に頼る分、ハードルの高さがあります。人間関係を大事にしてくれるところなればこそ、作業環境の管理は大事だと思わされた。それが感想です。

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茅ヶ崎養護の就労担当の先生に愚痴を言っていたのですが、午前中の企画は夜型人間にはつらいものがあります。移動中のマイクロバスの中では、うたた寝状態。これが主催者のSさんたちとんだ迷惑をかけることになってしまいました。次のおしぼりの事業所にいくときに、マイクロバスの中に荷物とコートを置いていこうと思ったのです。ところが事業所の会議室まで持ち込んでいた。マイクロバスに戻ってきてみたら、荷物とコートが無いということで、忘れ物捜索をお願いすることになってしまったのでした。

マイクロバスは運転席側の一番奥、私の右側に置いたと記憶していたのです。右側は鬼門、傘やハンカチなどをしょっちゅう忘れるのです。右目が見えないせいです。5年前ごろからこの傾向が出てきたのですから。物を見るのも、右から左へ視野をスイープさせると、逆と比較して著しく見落としが増えるのです。今回もこれかと勘違い。実は午前中のボケ。おしぼり工場の昼休み、会議室は昼食を食べる場にも使われるとのことで、急いでマイクロバスに移動したとき、会議室に置き忘れたという失態。

「サザンポ」まで着いて、Sさんの問い合わせの結果、おしぼり工場の会議室にあることがわかり、会の終了後、工場に戻り荷物を無事受取りました。職員の方、ご迷惑かけました。しかし、この忘れ物、頻繁で困っています。最近もバスの中に惣菜を置き忘れました。山のような買い物袋を束ねて持っていたときの右側に置いた袋でした。

Sさん、お手数かけました。

おしぼりの工場で見たものは、ラインの作業の典型。自分のパートがとまるとライン全体を止めることになります。もうひとつは回収カートの洗浄作業。こちらは熟練を見ました。

おしぼりは回収コンベアに乗って洗濯ドラムにかけられ、塩素消毒後、加熱されて袋詰めのラインに届きます。ここに障がいを持った方が働いていて、手で2つ折りして、機械のスロットに入れる作業です。2秒に3枚のおしぼりが流れていく忙しい作業で、上流の取り残しが次々と下流の仕事量を増していく形です。最終的な取り残しは加熱あたりからやり直すのでしょうが、大変。当事者さんは上から2番目、一列8名(?)二列の工程でした。

次がポリ袋がけしたおしぼりが次々と出てくるところを束ねる仕事。これも束ねる押さえ方等に、作業定型化と失敗対策の熟練が必要。社長さんに、トイレのときなどはどうするのですかと質問したところ、作業監視をしている責任者が代わりに入り、ラインは止めないとのこと。

一番驚いたのは、回収トレーの洗浄作業。たったひとりで猛烈なスピードで洗浄して、全身を上下させながら次々にさばいていくのです。この方はこの仕事のみ適合していて、作業がどんどん洗練されている。熟練者でした。

こちらは、作業の定型化が進んでおり、いわゆるラインの工場でした。

まずは「見学」レポートということで。


夜間傾聴:中央林間君(仮名)
     橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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