横浜日本大通りにあるスリーエフの本部にお邪魔した。残念なことに担当者の方が会議に入っており、面会できなかったのだが、資料を取り次いでもらい、再訪問の日時調整をすることになった。面白いことに、他社と比べて待っている私に、関心を向ける方が多かった。「対応していますか」という問いかけも受けた。今日、再度アポ取りとなる。
茅ヶ崎のスリーエフは駅前というには少々距離がある。茅ヶ崎中央病院のとなりにあるのだ。また寒川町に多いことも特徴。平塚市の場合は駅から遠いため、見附店のみ。こうしてまずは4~5箇所、予算と配布者複数名になってから7~8箇所位からのスタート。車がないし、ハンデを持った青年が配布するので、自宅の近所+駅の近くということになるかとはじめ考えた。ところがその青年が長期間「わーく」に関わってくれるとは限らない。彼がやめた場合、彼の自宅の近くは,他者にとっては遠方になることもありうる。ということで配達の継続を大事に考えると、「駅の近く」ということが必須条件になる。
これからスリーエフ以外のお店についても同様の吟味が必要になる。
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帰りに神奈川県庁に立ち寄った。県民部青少年課と商工労働部雇用産業人材課にお邪魔。(保健福祉部障害福祉課は時間切れ。)
茅ヶ崎市との協働事業による「ヤングジョブスポット湘南」作りが困難になり、こうしたトップダウン型の活動と同時に、ボトムアップ型の当事者の活動を行うと説明。「わーく」が「就労しゃべり場」の源泉になることや、発刊活動の可能性を語ってきた。
担当の方は面食らっていらしたが、興味は向けてくださったので、まずは目的達成。改めて次回訪問するときは、まずは障害福祉課になるので、福祉的就労から一般就労への自立支援法の流れの中で、企業就労と地域就労の役割分担と、後者のインクルーシブな地域作りとの兼ね合いを語ることになる。大風呂敷なので、わかってもらえるかどうか怪しい。
以前は「ケア・パートナー」の説明とからめて話をさせてもらったが、今回は自立支援法下増加している特例子会社などへの企業就労に向けたペアリング就労と、地域の商店街作りのような形や自主起業によって社会の中に登場するという方向のふたつについて、「わーく」の役割を概括的に語る必要がある。だいぶしんどい。従来の福祉的就労枠とは異質な引きこもり青年って、関係ないじゃないかと話が横道にずれ、「ケア・パートナー」の話題に移って、本題が毎回消えるからだ。
次回は紅葉坂の青少年プラザにも寄ってこないとと思っている。よこはま若者サポートステーション、かながわ若者就職支援センター、よこはまヤングワークプラザは講演会講師依頼の件があるので、別のときにお邪魔する予定。
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#さんの親御さんと会う。なんともやるせない。胃が痛くなるような経過と状況を受け止めてきた。精神の病は、ひとの関係性の歪みなのだということがわかる。詳細は書けないが命の赤ランプが点いている。*君と同様の夜間対応も行うとしつつも、終電が通り過ぎた始発までの魔の時間、どうしたものかと、#さんの部屋につながらない電話を眺めている。
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*君が携帯電話を確保した。短気に電話に八つ当たりすると、彼は非常時の連絡の命綱を失うことになる。賢明であれ、*君。
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夜間傾聴などの方法を使い個別相談の形で、私は人生から離脱した青年と会う。だからすんなりフリースペースや、社会活動に参加できる状態ではないような苦しみの渦中の子たちであることが多い。心身の障碍ゆえに、押し出されてしまった青年たちと出会うことも多い。
苦しみの果てにやっと、歩みだす自信が芽生えてきた頃、彼らは私の元を去っていく。以前私は塾やサポート校という教育の場から彼らと付き合ってきたので、対象は学齢期の子が中心で、高卒以上の青年は、個人的な付き合いにとどめてきた。
それが就職後の失敗や挫折から、フリースペースなどに立ち戻ってくる青年が増えていた。私が交通事故による長期入院で、活動の過去の基盤の大半を失い、失意の中で東京から地元に戻ってきたとき、以前の学習困難児クラスを設置していた塾や、湘南の知人の支援で、通信塾や電話相談を始めることになった。
そこに昔からの引きこもっている青年や、スクールソーシャルワーカー関連の友人の青年紹介が重なり、重篤な困難を抱える青年たちが私を扇の要(かなめ)に放射状につながることになった。個人情報の守秘義務から、結果的に青年たちのお互いはつながっていないのだ。
その青年たちの状態は、まだ苦しみの最中で、とても「わーく」を支える状態ではないし、青年たちがお互いがつながっていないために、なかなか「わーく」の候補が生まれてこない困難が続いている。
こういう引きこもり側の停滞の中、知的障碍の青年たちと接触を求めたが、世話人の方が、組織の利用と警戒されてしまったために、その絆も、一層細いものになってしまったという経過がある。だから「わーく」を今、街に登場させることは、そこに潜んでいる引きこもり君や、活動の構想に賛同してくれる型への狼煙のようなものだと思ってくれればいい。事はそんなに順調ではないし、ただこの活動は必ず育つと思っているし、各地に伝染すると思っている。
やれるところがどんどん真似していい。ただ形だけ真似すると確実に失敗する見極めの必要な活動だ。活動の仕掛け人がいる。スポンサーがいる。行政の協力がいる。その活動の立上げを始めたのだ。
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夜間傾聴:入谷君(仮名)私から様子見。
レギュラー1名
面談:#さんの母親
巡回:自由が丘のみ
メール:知人の弁護士宛仲介相談
*君
きょうの予定:茅ヶ崎サポセンにて広報PJ会議
スリーエフがOKなら横浜巡回
だめなときは厚木巡回
(校正2回目済)
茅ヶ崎のスリーエフは駅前というには少々距離がある。茅ヶ崎中央病院のとなりにあるのだ。また寒川町に多いことも特徴。平塚市の場合は駅から遠いため、見附店のみ。こうしてまずは4~5箇所、予算と配布者複数名になってから7~8箇所位からのスタート。車がないし、ハンデを持った青年が配布するので、自宅の近所+駅の近くということになるかとはじめ考えた。ところがその青年が長期間「わーく」に関わってくれるとは限らない。彼がやめた場合、彼の自宅の近くは,他者にとっては遠方になることもありうる。ということで配達の継続を大事に考えると、「駅の近く」ということが必須条件になる。
これからスリーエフ以外のお店についても同様の吟味が必要になる。
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帰りに神奈川県庁に立ち寄った。県民部青少年課と商工労働部雇用産業人材課にお邪魔。(保健福祉部障害福祉課は時間切れ。)
茅ヶ崎市との協働事業による「ヤングジョブスポット湘南」作りが困難になり、こうしたトップダウン型の活動と同時に、ボトムアップ型の当事者の活動を行うと説明。「わーく」が「就労しゃべり場」の源泉になることや、発刊活動の可能性を語ってきた。
担当の方は面食らっていらしたが、興味は向けてくださったので、まずは目的達成。改めて次回訪問するときは、まずは障害福祉課になるので、福祉的就労から一般就労への自立支援法の流れの中で、企業就労と地域就労の役割分担と、後者のインクルーシブな地域作りとの兼ね合いを語ることになる。大風呂敷なので、わかってもらえるかどうか怪しい。
以前は「ケア・パートナー」の説明とからめて話をさせてもらったが、今回は自立支援法下増加している特例子会社などへの企業就労に向けたペアリング就労と、地域の商店街作りのような形や自主起業によって社会の中に登場するという方向のふたつについて、「わーく」の役割を概括的に語る必要がある。だいぶしんどい。従来の福祉的就労枠とは異質な引きこもり青年って、関係ないじゃないかと話が横道にずれ、「ケア・パートナー」の話題に移って、本題が毎回消えるからだ。
次回は紅葉坂の青少年プラザにも寄ってこないとと思っている。よこはま若者サポートステーション、かながわ若者就職支援センター、よこはまヤングワークプラザは講演会講師依頼の件があるので、別のときにお邪魔する予定。
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#さんの親御さんと会う。なんともやるせない。胃が痛くなるような経過と状況を受け止めてきた。精神の病は、ひとの関係性の歪みなのだということがわかる。詳細は書けないが命の赤ランプが点いている。*君と同様の夜間対応も行うとしつつも、終電が通り過ぎた始発までの魔の時間、どうしたものかと、#さんの部屋につながらない電話を眺めている。
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*君が携帯電話を確保した。短気に電話に八つ当たりすると、彼は非常時の連絡の命綱を失うことになる。賢明であれ、*君。
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夜間傾聴などの方法を使い個別相談の形で、私は人生から離脱した青年と会う。だからすんなりフリースペースや、社会活動に参加できる状態ではないような苦しみの渦中の子たちであることが多い。心身の障碍ゆえに、押し出されてしまった青年たちと出会うことも多い。
苦しみの果てにやっと、歩みだす自信が芽生えてきた頃、彼らは私の元を去っていく。以前私は塾やサポート校という教育の場から彼らと付き合ってきたので、対象は学齢期の子が中心で、高卒以上の青年は、個人的な付き合いにとどめてきた。
それが就職後の失敗や挫折から、フリースペースなどに立ち戻ってくる青年が増えていた。私が交通事故による長期入院で、活動の過去の基盤の大半を失い、失意の中で東京から地元に戻ってきたとき、以前の学習困難児クラスを設置していた塾や、湘南の知人の支援で、通信塾や電話相談を始めることになった。
そこに昔からの引きこもっている青年や、スクールソーシャルワーカー関連の友人の青年紹介が重なり、重篤な困難を抱える青年たちが私を扇の要(かなめ)に放射状につながることになった。個人情報の守秘義務から、結果的に青年たちのお互いはつながっていないのだ。
その青年たちの状態は、まだ苦しみの最中で、とても「わーく」を支える状態ではないし、青年たちがお互いがつながっていないために、なかなか「わーく」の候補が生まれてこない困難が続いている。
こういう引きこもり側の停滞の中、知的障碍の青年たちと接触を求めたが、世話人の方が、組織の利用と警戒されてしまったために、その絆も、一層細いものになってしまったという経過がある。だから「わーく」を今、街に登場させることは、そこに潜んでいる引きこもり君や、活動の構想に賛同してくれる型への狼煙のようなものだと思ってくれればいい。事はそんなに順調ではないし、ただこの活動は必ず育つと思っているし、各地に伝染すると思っている。
やれるところがどんどん真似していい。ただ形だけ真似すると確実に失敗する見極めの必要な活動だ。活動の仕掛け人がいる。スポンサーがいる。行政の協力がいる。その活動の立上げを始めたのだ。
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夜間傾聴:入谷君(仮名)私から様子見。
レギュラー1名
面談:#さんの母親
巡回:自由が丘のみ
メール:知人の弁護士宛仲介相談
*君
きょうの予定:茅ヶ崎サポセンにて広報PJ会議
スリーエフがOKなら横浜巡回
だめなときは厚木巡回
(校正2回目済)