バージニア工科大のチョ・スンヒの生育暦関連の報道が出始めて、読んで、涙が出た。この時期に彼の理解者がいたら、彼はこんな自爆的行為に身をやつさなくてもよかったはずだ。彼の間違いは、ひとを自分の対極に押しやってしまったことだ。「ひと」と束ねてレッテルを貼ってしまう。そうではない「ひと」をも押しやってしまったことだ。
「犠牲者、8カ国から 世界的学者や苦学生も 米銃撃事件」(朝日新聞2007年04月20日20時45分)に大切な記事が出ていた。リンクは出来ないからasahi.com (www.asahi.com)から覘いてみてほしい。彼の言う「富裕層」「お前たち」は、そこにはいない。苦しみの向こう側に私を解釈するための物語を作ってしまった彼がいる。視点を過てば、そこから先の情報は、その価値基準に整えられてしまう。事実と呼ばれるそれらは、恣意的な選択がかかっている。「客観的な事実」という幻惑の怖さはそこにある。
いつも思うのは、ひとが単一の社会に生きて、多様な社会の重なり目に生きる場を作り出していないことだ。その社会の挫折がその個人の破滅に直結してしまう余裕の無さ。競争社会とはその単一性を前提に、勝者の支配を合理化するための罠なのだと思う。そこからすると、チョ・スンヒの憎悪はその陰画(ネガ)に見える。
ひとはもともと固有の立場と体験を抱えて生きている。その共通項を作るのが時代であったり、集団という偏在性だったりする。自分をずらしてみる方法論と、重なり目に生きる多様性が育っていたら、こんな乱暴な「ひと」束ねが、いかに表面的なものであるかが見えるはずなのだ。いじめの土壌は、はずれることが破滅に見える偏在性が働いている集団であり、束ねる強権が隠れている。それを見切る分析力は、情況下に置かれた者には難しいことだ。多極・重なり目に生きるとは、「和」さないということでもない。私を一極でくくらないということ。物語を壊し続ける心の強靭さを留保することだ。その生みの苦しみに、もし彼の理解者がいたとしたら…。
そんなことを思うと、出会いの中を通り過ぎていった子たちの顔が浮かび上がってくる。チョ・スンヒ流の発想でいえば「全世界が彼を敵と立ち向かう」ことがあろうと、私は彼の痛みに泣く。願わくば「そのひとり」でありたいと思う。彼は愚かだ。そのために泣く。
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睡眠不足を若干解消して、サポチガの印刷物を抱えて茅ケ崎高校と西浜高校を巡回。
「わーく」の紹介を進路指導担当者の方に見ていただこうとしたが、お留守。教頭先生にちょっとみてもらった。全日制の場合、あんまり反応が返ってこないのが常だが、引きこもっている生徒さんの件で、少し興味を持ってもらえたようだ。ただ私を含めて紙面の感想は、「このままでは読まないね」なのだった。笑いながら、経過をみていただくことになったのは、ちょっと嬉しい。
5月の連続講演会講師依頼の件、電話すれども当人がいない。とにかくつかまらない。このまま連休にもつれ込むのはまずいので、依頼FAXを流した。
NPOサポートちがさきの自主企画PJに「就労に困難のある若年者の就労促進PJ」を提案した。就労支援者の活動のバックグラウンドとなる「研究・啓発と関係者交流」の場を作る提案だ。ところが、声をかけている障害児者当事者家族支援者の会関係者は、まだ地方選のただなか。投票日まで全く話にもならない。ところがPJ設立準備会の日程は、来週中に開かねばならず、その日程は至急公開しなければならない状態にあった。下手に設定すれば、私だけぽつねんといることになりかねない。さて…困ったぞというところ。
来週は福祉PJが(月)午前中、広報PJが(火)午前中、ドロノワ陶芸が(水)午前中、生業の親子面談が(木)午前中と続く。健常者の横暴と言っても仕方ないので、夜間傾聴は午前4時から7時とし、早めの睡眠をとることにした。夜間傾聴の意味をもつ2時から5時の闇を支えられないが、お許しあれ。
#さんのお母さんと会う。横浜の弁護士会を紹介。いずれ仲介することになる。
入院中の*君のお母さんもまた同じ病院にいるが、訪問を控えた。
入谷の約束があったが、自分の体調が完全ではないので、様子を伺い、延期。
皮膚科医院にステロイド軟膏をもらいに覘いたが、幼児でいっぱい。あきらめて、薬局でフルコートを買い込んだ。まだ両足やけどのように真っ赤。抗ヒスタミン剤を飲んだ。またボケる。困ったものだが、やむなし。
PJの事業企画書をバス停待ち時間30分の間に打ち込んだ…が、目の前をバスが通り過ぎて行った。渋滞で遅れていたのだった。虚しさを感じてタクシーに乗った。火事場に座れと*君に言ったなあと失笑。二兎追うもの分身の術とは行かぬものかと。
携帯が突然見知らぬ番号で鳴った。またかと出ると、市民活動推進課から、「げんき基金」の活動報告書4/30までですよとの督促の電話。早く地方選、何とか終わらぬものか。空をながめて唸っている。
(校正1回目済)
「犠牲者、8カ国から 世界的学者や苦学生も 米銃撃事件」(朝日新聞2007年04月20日20時45分)に大切な記事が出ていた。リンクは出来ないからasahi.com (www.asahi.com)から覘いてみてほしい。彼の言う「富裕層」「お前たち」は、そこにはいない。苦しみの向こう側に私を解釈するための物語を作ってしまった彼がいる。視点を過てば、そこから先の情報は、その価値基準に整えられてしまう。事実と呼ばれるそれらは、恣意的な選択がかかっている。「客観的な事実」という幻惑の怖さはそこにある。
いつも思うのは、ひとが単一の社会に生きて、多様な社会の重なり目に生きる場を作り出していないことだ。その社会の挫折がその個人の破滅に直結してしまう余裕の無さ。競争社会とはその単一性を前提に、勝者の支配を合理化するための罠なのだと思う。そこからすると、チョ・スンヒの憎悪はその陰画(ネガ)に見える。
ひとはもともと固有の立場と体験を抱えて生きている。その共通項を作るのが時代であったり、集団という偏在性だったりする。自分をずらしてみる方法論と、重なり目に生きる多様性が育っていたら、こんな乱暴な「ひと」束ねが、いかに表面的なものであるかが見えるはずなのだ。いじめの土壌は、はずれることが破滅に見える偏在性が働いている集団であり、束ねる強権が隠れている。それを見切る分析力は、情況下に置かれた者には難しいことだ。多極・重なり目に生きるとは、「和」さないということでもない。私を一極でくくらないということ。物語を壊し続ける心の強靭さを留保することだ。その生みの苦しみに、もし彼の理解者がいたとしたら…。
そんなことを思うと、出会いの中を通り過ぎていった子たちの顔が浮かび上がってくる。チョ・スンヒ流の発想でいえば「全世界が彼を敵と立ち向かう」ことがあろうと、私は彼の痛みに泣く。願わくば「そのひとり」でありたいと思う。彼は愚かだ。そのために泣く。
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睡眠不足を若干解消して、サポチガの印刷物を抱えて茅ケ崎高校と西浜高校を巡回。
「わーく」の紹介を進路指導担当者の方に見ていただこうとしたが、お留守。教頭先生にちょっとみてもらった。全日制の場合、あんまり反応が返ってこないのが常だが、引きこもっている生徒さんの件で、少し興味を持ってもらえたようだ。ただ私を含めて紙面の感想は、「このままでは読まないね」なのだった。笑いながら、経過をみていただくことになったのは、ちょっと嬉しい。
5月の連続講演会講師依頼の件、電話すれども当人がいない。とにかくつかまらない。このまま連休にもつれ込むのはまずいので、依頼FAXを流した。
NPOサポートちがさきの自主企画PJに「就労に困難のある若年者の就労促進PJ」を提案した。就労支援者の活動のバックグラウンドとなる「研究・啓発と関係者交流」の場を作る提案だ。ところが、声をかけている障害児者当事者家族支援者の会関係者は、まだ地方選のただなか。投票日まで全く話にもならない。ところがPJ設立準備会の日程は、来週中に開かねばならず、その日程は至急公開しなければならない状態にあった。下手に設定すれば、私だけぽつねんといることになりかねない。さて…困ったぞというところ。
来週は福祉PJが(月)午前中、広報PJが(火)午前中、ドロノワ陶芸が(水)午前中、生業の親子面談が(木)午前中と続く。健常者の横暴と言っても仕方ないので、夜間傾聴は午前4時から7時とし、早めの睡眠をとることにした。夜間傾聴の意味をもつ2時から5時の闇を支えられないが、お許しあれ。
#さんのお母さんと会う。横浜の弁護士会を紹介。いずれ仲介することになる。
入院中の*君のお母さんもまた同じ病院にいるが、訪問を控えた。
入谷の約束があったが、自分の体調が完全ではないので、様子を伺い、延期。
皮膚科医院にステロイド軟膏をもらいに覘いたが、幼児でいっぱい。あきらめて、薬局でフルコートを買い込んだ。まだ両足やけどのように真っ赤。抗ヒスタミン剤を飲んだ。またボケる。困ったものだが、やむなし。
PJの事業企画書をバス停待ち時間30分の間に打ち込んだ…が、目の前をバスが通り過ぎて行った。渋滞で遅れていたのだった。虚しさを感じてタクシーに乗った。火事場に座れと*君に言ったなあと失笑。二兎追うもの分身の術とは行かぬものかと。
携帯が突然見知らぬ番号で鳴った。またかと出ると、市民活動推進課から、「げんき基金」の活動報告書4/30までですよとの督促の電話。早く地方選、何とか終わらぬものか。空をながめて唸っている。
(校正1回目済)