湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

中継ぎのような一日

2007-04-26 07:56:09 | 引きこもり
TOTOドロノワ倶楽部のWSに1時間遅れで参加。後回しにしていた生業の方の5月の授業計画書、回数が10回に満たないがシラバスを書く。追い込まれて遅刻。この時期、皆年度を切り替えるからいけない。1月1日や9月1日等が有ってもいい。

基本的なメンバーは変わっていなかったが、私の指先が粘土を忘れていた。ろくろの芯出しや、指先の感覚がちがって、左右高さの違う円筒が出来てしまう。下手なのはもともとなのだが、ずっしりと疲れが出てきた。指導者から、身体が曲がっているよと注意を受けた。案山子(かかし)のようにぴしりと背筋を伸ばせという指示ではない。身体が歪んでいるという意味だ。

昼休みに「わーく」のCMと、今後の調整論議。中西さんが転居後、横浜から出てくるといっても、午前中や夜は活動ができない。軽減分の分担は難しい。私が青少年の就労支援専門状態なので、学齢期の子どものフォローにまでは手が回らないし、向いていない。後任者がいないのが頭が痛い。同じ青年層のDV関連なら構えは揃っているのだが。

作陶作業に不可欠な水が断水していて出ないし、予定の野焼きは雨天に阻まれと、いい材料はなかったが、救われるのが不登校のレギュラーの子たちの変化だった。無口で母親から離れなかった子が、作品を台に載せて悠々と歩いているし、ろくろを前にぼんやりしていた子も、半年の間に青年っぽくなって、作陶技法の質問を指導者にしながら、冗談に笑っていた。柔らかな変化が起こっていた。こうした地味な活動が、もっと地域にひろがっていけばいいのにと思う。

午後早めに切り上げて、中西宅へ。転居作業のフィニッシュ。間を空けずに茅ケ崎サポセンの5/27サポセン5周年フェス実行委へ。私が「ぽれぽれ」の代理をするとは思っても見なかった。相談コーナーを分担してひきうけることにしたのだった。

しかし、昨日のごたごたの影響が出ていた。実行委の最中に呼び出されて、私の提案PJの調停やら、危うしと見た会員の離脱話などがあって、私が田の案の定孤立。企画の中身に思い至らない情けなさ。私は状況打開の糸口提案をする。ところが状況の困難を自覚していないと、ただのよいアイデア実行提案になってしまう。時代背景が希薄になってしまうのだ。その提案がひろがるかどうかは、アイデアの質の面白さになってしまい、水門を開ける行為に、なっていかないのだ。私の提案は、いつの時代にも成り立つようなものから出発しないことに生命がある。社会活動は生ものだからだ。

結局、実行委の配布資料をもらっただけで終わってしまった。

そこから夕飯の買い物。東京から帰宅する母に受け渡して、夕闇の平塚へ。「ampm」駅前店の店長さん情報を得て、約束時間に「わーく」設置依頼をしにいくが、まだ店に出勤してこないとの話。4回目の空振り。伊勢原君(仮名)の親戚の方に電話。

帰り、近所の遅滞の女性に会い、バスの中で少し話す。育成会の作業所に通っていることは、先方で出会っているのでわかっているので、育成会の話。「わーく」には関心がなかったが友達になれそうだ。

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*君と電話で話せた。正直言ってほっとしている。彼のお母さんはまだ入院していらした。

夜間傾聴:休み

今日の予定。蟄居PCづけなり。

(校正1回目済)
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