湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

冬期講習が始まるので…/若者と向き合うキャリアガイダンス Part2

2006-12-15 06:20:20 | 引きこもり
DAISY format のCDを入手して、再生してみている。読み上げ等のオーサリングソフトなのだが、読み上げ速度の調整も出来るので、読み書き障碍のある人には作品が整ってくれば使えるソフトとなるだろう。書き込みソフトが申込制なので、審査を受けることになる。詳細はいずれまた書き込むが、品川裕香さんの「キミはキミのままでいい」を聞いていて、なるほどこれも「わーく」マルチメディア版のフォーマットになりそうだなとも考えていた。

昨日は、生業の方、一本。冬期講習の助っ人に入るので、調整会議。本部はTV会議システムを持っているのに使ったことがない。ツール先行で持ち腐れになる例の多いこと。電子メディアを使うとき、このねっとりと動かない状況を覚悟しないと、かならずから回りに終わる。電話でも子機間を転送するのが使えなくて、結局音のしている電話に向かう熟年者の多いこと。「わーく」を携帯電話端末を主にしたのは、そのようなことが頭にあったからでもある。機能もできるだけシンプルに絞り込む必要がある。

私達は軽度障碍の方たちと手を組む活動を試みている。このとき、携帯電話の負担はどうだろう。視覚掲示は意味があるだろうが、全然別の問題が邪魔をしている。通信料金である。病院システムのような一括したコミュニケーション環境があるのと違い、各自の持っている携帯を結んでいかなくてはならない。安定性の高い信頼できるシステムが欲しい。プロジェクトを技術面で支えてくれるチームが育たないと、苦しい場面が出てくるだろう。

藤沢のパソボラの近藤さんに、謝りのメールを出した。Open PNE は相変わらず動かない。私の担当している子が緊迫した状況にあったために、近藤さんの協力を日程的に生かせなかったのだった。カウントダウンの年の瀬そして年始という困った時期にセットアップがもつれこんでしまったからだった。しかしSNSにしてもそうだが、藤沢と茅ヶ崎のテレコムの価値認識の差はどうだ。茅ケ崎にチームを組めない石頭状況をなんとか動かせないかと思ってため息をついている。

近藤さんからは、自前のサーバなどという面倒なことはやめた方がいいというご忠告をいただいた。そうそうなのだ。しかしこの試み、いずれ半官半民に押し上げたいと考えている。このときレンタルサーバの信頼度、個人情報漏洩などの対策は、結局大手プロバイダ認可の環境にしておかないと、乗り入れが難しくなるから、@nifty やら So-net やらを試みているのだ。しかし@niftyは、つれない…。

面白い話を聞いた。私の@FreeDカードがDoCoMoがPHSから手を引くために、カードの買い替えを考えていたのだ。そこに例のZero3が登場した。このZero3のUSBポートに、USBキーボードを付けると、使えるというのだ。テキストエディタがしっかり長文対応してくれれば、これは重いノートPCを持ち歩かなくても、入力ができるではないか。折り畳みキーボードとZero3という組み合わせを考えている人は、やはりいた。試してくれたから買う気になった。PCとは、ケーブル接続になるが、この方がよさそうだ。

なぜこんなに持ち歩ける端末にこだわるかといえば、テレコムの技術トラブル相談を置く必要があるからだ。連絡先を私のアドレスで捌く。携帯で画像を送るにはどうするのかとか、ログインできないとか様々なトラブルが待っているから、どこででも対策が打てるようにしておきたいのだ。ただの携帯電話では役不足なのだ。

今日は午後から

「若者と向き合うキャリアガイダンス Part2 ~ ツールの活用を中心に ~」というIT講習に出る。主催:労働政策研究・研修機構(JILPT)だ。

パネリスト
島津和代 (ハローワーク府中 若年者ジョブサポーター)
西尾 章 (雇用・能力開発機構東京センター 能力開発総合アドバイザー)
宮脇優子 (女性と仕事の未来館 キャリアカウンセラー)

コーディネーター
室山晴美 (労働政策研究・研修機構 主任研究員)

ということで、かなり相談実務の環境的な部分の話も聞けそうだ。


今年は明日が養護学校進路担当者の連絡会の講演、17日はジョブコーチもどきというかIT関連の仕事をハンデを持った方が学ぶときのファシリテータ的なサポートをするボラの研修があって、20日の実務者ネット懇談があって、今年の会議は終わる。冬期講習に火が付くからだ。

積み残し作業がたまっていくが20日まで、ともあれ追い込んでいかないとと貧乏性発揮している。

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「12/13障害者就労支援シンポ PartII」に参加し

2006-12-14 07:32:32 | 引きこもり
「障害者就労支援シンポジウム PartII~労働施策と福祉施策との連携のあり方を考える~」に参加してきた。ニッショーホール、会場7割の入り。全国社会就労センター協議会、日本知的障害者福祉協会、きょうされん、全国精神障害者社会復帰施設協会、全国精神障害者地域生活支援協議会の主催。

障碍者のライフステージを追って、青年期の就労支援を軸に福祉的就労から一般就労への道を開く険しい道。共同作業所・授産施設からの具体的な取り組みを聞いておきたかった。厚労省の資料の数値が、重度障害者がダブルカウントされていることや、就労訓練・トライアル雇用時の給付金と比べて、企業にパートとして就労したときの賃金の方が安いという不可解な現象の話などは、引きこもり領域から飛び込んだ私のような素人には初耳だった。

企業就労の法定雇用率を達成させようという話にのって、厚労省障害福祉課就労専門官の箕輪優子氏からの話は、民間企業の実雇用率が急速に向上しているという話として資料にグラフを提示していた。すぐに罠に気が付いた。縦軸が「0」からスタートしていない。「0.7」から「0.1」刻みで「2.2」までになっている。描いてみればわかるが、海底から水面の波を描くのと、波だけを描くのとでは、後者が増減が増幅してみえるのだ。しかも横軸が昭和52年から30年間比較しているのだ。当時と比較すれば向上していない方がおかしい。しかも現在に至っても、1.8%の法定雇用率が達成されていない。ひどいものだねと舌打ちしていたら、壇上の施設側関係者からさっそく叩かれていた。

養護学校からの卒業生の就職率は2割で、その大半を身体障碍が占め、6割が施設就労している。その施設から企業への就労は1%に満たないという固定した状況をどう変えるかという話を聞いていた。障碍者の雇用状況が大きく向上しているというのは、身体障碍者が法定雇用率を達成する範囲で、やっと動き出したということにすぎないという。

引きこもり・ニート青年を取り巻く一般就労枠でいえば、フリーターよりさらに正規雇用に敬遠されている状況があっても、それはやはり一般就労の中の話であって、状況からすれば、全く雇用水準が違うのだ。(このことは知っていたが。)

ここに橋を渡す実践を求めたのが、今回の集まりだった。注目したのは世田谷のネットワークが仕事を作り、それをつないでいく活動であったり、和歌山県田辺市のやおき福祉会の「グループ・ペア就労」だった。これは私が提案していた「ケア・パートナー」に一脈通じる発想が流れていた。やおき福祉会の話は別途書いてみるが、見学したい実践だった。

ここの中で描かれてる就労は、まず当事者に作業出来、工賃(または給料)が高い作業の開発という立て方であり、企業就労・または共同出資のように企業が引き上げる職場への就労へとつながる展望を持つ仕事作りという試みだった。

私が考えていたことは、彼らと共に働くことの出来る仕事作り。そのデザインの中に、社会的企業を浮き上がらせ、引きこもり青年たちにスタッフ的に場を開くという発想だった。引きこもり青年を既存の企業枠にはめ込むのではなく、地域就労ネットの重要な一翼として位置づけて、就労を描き直していくという話だった。

JDD-NETの分科会の中で、作業所の女性職員はともかく、男性職員希望者は採用したくない奴ばっかだもんねというブラックユーモアが跳んで、笑いを誘っていたが、今のままの福祉的就労を支えることと、新しい仕事を描き直す地域の社会的就労の労働力としての引きこもり青年の意欲のカギを、障碍者がはずしていくという流れの中の話とは違うだろう。その仕事の具体例を、やおき福祉会の実践はヒントを垣間見させてくれたように思うし、より安定した中間形態を世田谷のパイ焼き窯の実践が見せてくれたように思う。

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嬉しいこととは/平塚西図書館に品川裕香さんの著書を借りに行きつつ

2006-12-13 05:36:58 | 引きこもり
小5のときから不登校を続けてきたO男は、大検から某美大に入り、6年かけてCGを学び、私が勧めたヤングジョブスポットよこはまを経由しなかったけれど、昨日外資系子会社に契約社員として採用された。あるプロジェクトの期間中だけではあるが、やっと道が開いた。

彼は鬱との付き合いが長かっただけに、両手をあげて万歳とは、まだいえないけれど、彼の某師匠が「力があるから大丈夫」と言ってくれているので、当人も自信たっぷり。よかったね、O男君、おめでとう。(これ以上書くと怒られそうなので、この辺で。)

年末はいろいろな子の消息が入ってくる。一時ぷっつりと消えていた情報が十年近くたって、その子の友人を介して入ってきている。彼のように関西で教員をしていたり、別の子では、東京の子だったのがなんと我が家から徒歩15分ほどのところに移り住んでいたりと、驚くことも様々なのだが、一番驚いたのは、今40の大台に乗ろうとしている初期のころの教え子が、「祖母」になっていたことだ。彼女の母親とは年賀状交換程度のお付き合いが続いていたが、教え子が「祖母」というのは、さすがに平静のまま聞けなかった。

しかし、このスパンで当人を眺めると、時が解決してくれるその力を目の当たりにする思いがある。

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話の断片ばかりで申し訳ない。話は変わる。

ある女性の熟練市民活動家と「ケア・パートナー」つまり、「ひとは他者に働きかけるときに情熱的になる」ということを話した。「自分のため」「糊口を継ぐ」ということでは、なかなか立ち上がることができない方も、自分の関与のスタイルが確立していると、そこから次の「就労の意欲」に結びついたりという例を出して、私は現在の就労支援の発想のおかしさについて、話を持ち出した。これに対し「他者のため」というのはおかしい、やはり「自分のために働くのだ」とその方が反発されたのだった。

これは、すぐに話がずれていることに気が付いた。私は「他者と共鳴していく存在が人間存在なのだ」と言っているのであって、「滅私奉公」「自己否定」を奨励しているわけではないのだ。女性の存在がつねに「他者のために」置かれていることは私も自覚している。ただその「他者のため」というのは、「自己犠牲」を強いる論理のそれであって、私の言いたいのは、人は社会歴史的な諸関係から断ち切られた脳内現象の活発化させ、それを束ねるようにして人の社会関係ができているわけではないのだということだ。「自己犠牲」を元にせよという話では全くない。働きかけ働きかけられる相手があってこそ、ひとは活躍できるのだ。この一見当たり前のことが、就労支援の場には成り立っていない。指導者は企業に当てはまる個人の決意のボルテージを、手練手管を使って上げている。目隠しをしたまま、「大丈夫だから、さあ、跳べ」と言っている。そのおかしさを言っているのだ。

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昨日は平塚の西図書館まで出かけていた。品川裕香さんの「心からのごめんなさい」や、あと事前チェックした数冊を借りにいったのだった。地元の茅ケ崎市立図書館は本が古い。予算がないのだろうが読みたい本を注文しても、入るのは早くて数カ月、遅くて半年もかかっている。結局隣接の藤沢市立図書館や平塚市立図書館のご厄介になる。

P君の病院を覗いたあと、講演会講師の依頼で近くの事務所に某氏を訪ね、その足で平塚に出てきたのだった。移動時間が長かったので、テキスト入力用軽量通信端末マシンが欲しかった。ZERO3に外付けキーボードがついたら、さっそく購入していただろう。漢字変換効率が高ければ、普段の通信以外の機能は必要がない。携帯電話では変換法や字数制限などの限界が大きいからメモ程度にしか使えないが、2kg、3kgするマシンを持ち歩く気にはなれない。B5マシンがあるが、多機能すぎて値段も高いから、もっと単機能、軽快な通信端末が欲しいのだ。

講師の依頼は、「私達の活動の資料を改めて読んでから」ということになったが、いわゆる引きこもり青年の就労というより、遅滞の青年たちの就労支援の立場の方なのだ。一般就労の側からではなく福祉的就労の側からでは、見える世界が全く違ってしまう。その狭間の活動なので、理解には時間がかかるのだ。

西図書館では自閉症の青年がビデオの周囲を走り回っていた。私と両手の握手をして、彼は再びうなりながら周辺を走っていた。少しして母親らしい方が現れたので、少し世間話をしながら、仕事のことを聞いてみた。どうも大神あたりの町工場の事務所で軽作業をいただいているようだが、彼は日によって調子が極端に違うけれど、最後までやりきるから担当の方にかわいがられているのだそうだ。調子がわるいとき、図書館でビデオを観て帰ると元気になるのだそうだ。

彼が突然やってきて、再び私の両手をとって引っ張るので、もしやクレーンかと思っていたら、窓際で両手の握手。彼と親御さん(?)に挨拶をして帰ってきた。巨体の彼がどんな仕事をしているのだろうかと想像するのは、なかなか楽しいことだった。協業は夢と切り捨てるのではなく、可能性を具体的に考えてみたい。

もし「わーく」の解説のCDを図書館に置いてもらえたらなと思いつつ、バスの中で、うっかりうたた寝。冬期講習の分担表に顔を突っ込んでいた。しょうもない話。

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17日に茅ケ崎の勤労市民会館で、引きこもり関係の集まりをもつ。残念だが当日私は、IT講習に挑む障害のある方を指導する支援者を育てる講習に出ている。内容は、掲示板の方に、丸山さんが日程を書き込んでくれるだろうから、それをご覧ください。

品川さんとは集団の考え方がちょっと違うなと思いつつ、品川裕香さんの著書を当たっている。今日入手した書を紹介しておきます。


●「心からのごめんなさいへ
  ~一人ひとりの個性に合わせた教育を導入した少年院の挑戦~」
  品川裕香・著 ISBN:4-8058-2593-6 July.'05
http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%83%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E3%81%94%E3%82%81%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%B8%E2%80%95%E4%BA%BA%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%80%8B%E6%80%A7%E3%81%AB%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B%E3%81%9F%E6%95%99%E8%82%B2%E3%82%92%E5%B0%8E%E5%85%A5%E3%81%97%E3%81%9F%E5%B0%91%E5%B9%B4%E9%99%A2%E3%81%AE%E6%8C%91%E6%88%A6-%E5%93%81%E5%B7%9D-%E8%A3%95%E9%A6%99/dp/4805825936/sr=1-2/qid=1165955895/ref=sr_1_2/249-4066316-6579546?ie=UTF8&s=books

 ----- 鎌倉中央・厚木中央・綾瀬本館・平塚西・横浜市立栄 の各館に有り。

以上
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傾聴の嬉しい話が一件ですが…/1月講師が決まらずに

2006-12-12 06:40:54 | 引きこもり
傾聴が今終わりました。報告できるかな。一応解決した話です。当人の許可が出たら書き込みます。ヤングジョブスポットよこはまに、次のステップの話で、当人がいくといいのですが。

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「わーく」活動の解説を書いています。20日に集まるので、そこで配布0号と一緒に公開できるといいんですが。

品川裕香さんの講演が決まったのはいいんですが、まだずっと先。ということで、1月の講演会講師がまだ決まらず、少々あせっています。明日、IT講習(指導者養成)に出るので、東京にいく前にハローワーク関連を歩きます。今日は市内かな。今回は時間切れ。お許しを。
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JDD-Net大会に参加してきました

2006-12-11 05:00:54 | 引きこもり
「12/10日本発達障害ネットワーク(JDD-Net)第2回年次大会」に行ってきました。関心の中心は青年期の軽度発達障害者の就労支援にあったのですが、ぴたりと当てはまるところがなく、ひとつは「シンポ;二次障害の理解と予防~今、私たちに出来ること~」、もうひとつは「行政解説 & トーク;特別支援教育、発達障害者支援法を解剖する」だったのですが、なんと配布プログラムの日程表が間違っていて、ニキ・リンコさんたちのフリートークと「行政解説 & トーク」の時間が入れ替わっていたため、「行政解説 & トーク」を聞き逃しました。やむを得ずと言っては分科会シンポ主催者には失礼ですが、氏田照子さんたちの「企画シンポ5;どうなる、自閉症支援」を最後まで聴いてきました。

「企画シンポ5」は「強度行動障害」を伴う重度の自閉症青年Tさんの事例をめぐって、3人のパネリストたちが「乳幼児期・青年期成人期・在宅、地域生活中心」という3つの役割分担を持ちながら、Tさんの事例にコメントを付けていく構成でした。

Tさんは関連機関・施設を通して成長していきますが、この「機関・施設」の側からみた問題点を洗い出していきます。

私が祖母の介護のときに知った、認知症の高齢者のストレス発散行動とそっくりな、行動障害が、事例として語られました。排泄物のこねまわし等。つまりここの分科会で語られている内容は、重度の自閉症の方の生涯の居場所の話だったのです。これはこれで聴く価値の高い議論でした。

時間が前後しますが「二次障害」のシンポの方は、品川裕香さんが圧倒。宇治少年院のルポを織り交ぜながら、集団(社会・職場・対人関係)にスムーズに適応させていくその事例を少年院の指導の合理性を語るのです。この辺は集団の考え方が無批判で危ういのですが、「二次障害をおこさない」支援の仕方を論じてみたくなりました。

結局、軽度発達障害関連の話がないのが残念。来年は名古屋だとか(行かないな…)。

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品川裕香さんと話すことが出来、茅ケ崎に5月21日に講演決定。詳細はメールにてという形で行うことになった。


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Daisy CD-ROM 「デイスレクシアって なあに」「キミはキミのままでいい」を購入。

以上

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発達障害ネットワーク(JDD-NET)大会に参加してきます

2006-12-10 06:14:00 | 引きこもり
「日本発達障害ネットワーク(JDD-NET)第2回年次大会」に参加するため、準備を進めています。

本業が3時に終わり、常連にはパスの連絡を流していたのに4時過ぎに電話が鳴り中断。今日はこのまま会場に向かうことに。電車が混まないことを祈ります。

神奈川子ども未来ファンドに、「わーく」発刊活動への「支持」をお願いできないかと無茶な依頼をし、当然のことながら無理との応答をいただきました。これはコンビニが、常時設置の印刷物持ち込みに対し、公共性と必然性を問うために、行政や公共機関の支援がないと、その都度店長裁量に委ねる形になり、本部指導が入ると撤去の可能性が大きいのです。その前に、店長が難色を示すはず。前回、県・本部への問い合わせをしてきましたが、店長裁量との話を得ていますが、不安定なのです。要は公式回答が得られていない。

「わーく」店頭置き0号が出来次第、県・本部と駅前店を歩き始めますが、このときCDを持ち歩きたい。口頭では説得力が弱いからです。編集部には引きこもり青年2名がいるけれど、ひとりは親子対立中で、対策を打っている最中で余力なし。もうひとりは、夜間しか外出しないため、店舗説得が夜になり、私の本業とぶつかってしまうため、連れて歩く場面が限られてしまいます。とすると、私だけで歩くことになると、青年の独自活動という部分の説得力に欠けることになります。現状ではやむを得ないので、とにかく歩き始めます。

JDD-NET 会場で、1月以降の講師依頼をしてきます。職リハ関係の方だと発想に重なりが多いのですが。吉祥寺の成蹊大学が会場。仮眠取ります。では。
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「わーく」解説を収録し/昨日は茅ケ崎で県精神の発表会があり

2006-12-09 06:57:21 | 引きこもり
ざっと説明を録音してみた。15分以内には、なんとか収まりそうだ。アウトラインのチャートを書いていないので、話があちこちで前後している。論点が引きこもり青年の現状から「わーく」の試みを説く形になっているので、軽度発達障害への公的支援の端緒を開くというところが挿入の形になって、必然が弱いことがわかる。これは軽度発達障害者の現状がアクチュアルに捉えられているのではなく、理念的なとらえられ方をしていることが原因している。引きこもり青年の課題が、実践的な水準の問題として「今」をとらえているのに対し、軽度発達障害の課題が「現状」の課題として就労という場面でどのような困難となってきているか、どのような取り組みの壁が見えてきているかということが、やはり押さえが弱いのだ。これは軽度障害というくくりに論を広げた場合に更に顕著になってしまう。

軽度発達障害者を含む軽度障害者の課題が、引きこもり青年の課題とどのように重なり協力しあえるのか、そういう包括的かつ持続的な活動が「わーく」という活動として登場させることによって、何をなしうるのかという「プレ就労」的な世界、「なすことによって考える」拡張的な世界、まさに「働く」という共有される協働の世界によって、様々な活動が生まれてくる「苗床」のような活動を浮き上がらせるかそこにも思案が必要になっている。

この提案が重篤な症状を抱え込む引きこもり青年や、精神の障碍、とくに鬱症状の引きこもり青年には一般化できないところも明記する必要がある。「わーく」が持続的でありながら、「企画」「発刊」という単位でモジュール化しており、その枠の中で参加が可能という、小刻みな構造を持つがゆえに可能となる弾力、「部分参加」「一時参加」が活かされていること、かつ「仕上がりの共有」という成果を共有できることによる「働くことの意味」の大事な側面が活動の中に育みうること、様々な分業と実際には境界の越境によって、「協業」という他者と活動を分かち合うことも、脱競争の世界の中で考えうること。「取材」という社会把握の拡張の場面に問いかけの形でかかわれることなどの魅力を持っている。

「わーく」が企画仕様を固めた実現の過程の実践ではなく、アメーバのような増殖型の活動であることも特徴となる。つまりマスコミ営業もどきの活動と自称しつつも、不定形をもって定型となす、伸縮自在さがある。予算規模・行動範囲によってなしうることは拡張的に分相応で行けるのだ。

この活動は言い換えれば、社会と取り結ぶパスポートのような社会参加の活動である。この活動は計画・予算・実現という行動ではないがゆえに、既存の援助の枠をはみ出してしまう。この辺について、つながり方をもっと具体化していかなくてはならない。

一方、システムに折り込まれた仕掛けを十分に拾い出し、活動の安定化を進める指導者が必要となる。社会や同僚とのトラブルに対応できる話し合い(会議?)や経験者の限定的介入が構想されていくべきだろう。

こういう細部を描く「わーく」活動解説は、指導者向けに必要であるが、むしろその魅力のことを浮き上がらせた協力者候補向けのCM版も必要となる。今の吹き込みがこのふたつの仕様によって、まとめなおすことにした。

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昨日は茅ケ崎市市民文化会館小ホールで、精神障碍関連の県成果発表会が開かれていたのでお邪魔してきた。「発病と治癒」というスタイルが知的障碍の会と様相が違うところだ。青年代表が語る世界はみごとに開いていた。親御さんや支援者をはじめとした応援席から、この発表に笑いと声援が飛んでいた。活動を楽しむことという会のポリシーを味わうことができた。知り合いの方々は席の前の方にいらしたため、最後尾の席の私と出会うことができなかったが鎌倉の方と初対面で友人となった。

会を最後まで見ていられず、市教育研究所にお邪魔。○○君の依頼から、人探し。相談室の室長さんとしばらく、引きこもり青年の地域参加・就労の件について話し合うことができた。

藤沢大庭図書館に飛び込み、「ヤングジョブスポットよこはま」のミニ講座紹介チラシ配布と、不登校の子との近況話とTOTOドロノワ倶楽部あなもねWSへの誘いを行い、その足で翔の会の本部にMさんを訪ねた。12/20の懇談食事会へのお誘い。残念なことに会うことができなかった。文教大経由で香川駅に移動しようとして、寒川まわりの茅ケ崎駅行き路線バスに乗り、下宿屋さんに移動中、Z君の件で携帯が鳴る。

予定変更で茅ケ崎駅で大きな声の密談。Z君のアパート情報をえて、帰宅。

今夜は傾聴常連ひとりと話す。切々とした語りに作業を中断。弟の結婚式に身を置いた彼が身体の震えが止まらなくなって、救急診療を受けたこと。親のいない家にひとり夜を明かす不安。それは少年の魂のようでもあり、身の軋みに耐える彼との大切な共有時間となった。数日中に彼と会うことになったが、彼は都内、林試の森の近くだから、日曜日発達障害ネット(JDD)の大会が吉祥寺の成蹊大であるので、会場で合流することにした。なかなかOpenPNEを直せない…。少々焦っている。

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介護と活動の両立の布石/茅ケ崎高校にお邪魔しつつ

2006-12-08 07:20:39 | 引きこもり
父の状態は落ち着いたものの、重なる転倒の対策を打たなくてはならなくなった。事故後、この間病院の検査を受けているが、確定的な原因を得られないまま現在に至っていた。いずれにせよ、急な行動は危険ということと食事療法管理に従うことで、当人の自覚を促す必要があった。「間食」と「茶の間のTV前の置物状態」の相乗作用が限界に来ているにもかかわらず、注意の一切を無視してきたこの間の経過から、それは至難の業ということで、通院の回数を増すこと、杖の使い方をPT(理学療法士)さんに依頼すること(足の前に突き、前傾姿勢をとることの危険性)、菓子、果物、飲料や甘い惣菜をいっさい家に置かないことを確認した。父の知り合いから蜜柑の見舞いが飛び込み、父が自室にそれを持ち込んだことでまた衝突。このままでは、私達の行動が身動きがとれなくなるので、医師に通院時の指導を依頼した。繰り返しだが手がないのだ。

昨日は医師のところに父の代理で相談に行った。待合室は子どもの影もなく、高齢者が次々におとづれては、数分で問診を終えて出てくるという、これはこれでうんざりする光景をみてしまった。受付窓口で支払いする高齢者に対し、「いつもの薬が出てますから」という言葉を何回聞いただろうか。普段と変わりがないか問診し、薬を出すという繰り返しに医師が追われている。私が食らい付いて話をすることが、医師のストレスになっていることがありありとわかるのだった。これでは、短時間で薬を得る申請窓口になってしまい病院から開業医に変えた意味がなくなる。家族メモを必ず医院にFAXするので読むことを承諾させた。父は問診に協力せず、症状も問われなければ語らないことは、この二十年の経過でわかっている。毎回同伴通院できないので、玄関の段差までは医院の責任で、送り出してほしいとした。これは無理、却下。目印テープを段差境界線に貼るでもいいし、車椅子スロープがありながら、そこで行動が遮断されてしまうというのは、おかしい。

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茅ケ崎高校に寄って全日制の教頭さんと話し合ってきた。高校生のユースボランティアの件と「わーく」の活動についてだった。あいにく定時制の教頭さんが外出中だったので、この件を改めて定時制に話すよう仲介を取ってくれた。強い関心というのが成果。

大庭図書館は時間切れ。

一通コメントメールが届いている。音声版「わーく」解説が必要なのはなぜかということに応えたい。それから「訪問指導」は「訪問(学習)指導」のこと。念のため。

「わーく」をコンビニに置くにはいくつもの難関がある。ひとつは「公共サービスであること」。求人誌のように料金を支払って店内の場所を確保するわけにはいかず、市の広報すら置かないのだから、強い公共性と必然性がなければいけないことや、地域や県、中央の上部組織の了解をえることが必要.そのうえで店長裁量にゆだねられる。

このため、短時間のスライドショーのプレゼンソフトがあれば、担当者に見てもらえるし提供できれば効果も大きいと判断した。勿論、持っていきっぱなしで放置されることは十分にありうる。

また行政や公共団体の協力・支持をえるというのも、この「公共サービス」証明によるもので、加えて「なぜコンビニであるのか」という説得が必要。この間のコンビニでは、本部の了解と公共活動の証明があれば、考えてもいいという話だった。ここが第一の関門なのだ。市の広報なども置かないのは、店がチラシ置き場となり、管理に仕事が増えるのは困るというものだった。

第二の関門は、「あなただけ特別」という理由が見えないといけないこと。地域の学校行事や公共団体の行事などの短期掲示と違い、長期掲示であることが問題。置くことが店のためにもなっていないといけないということだ。これも難しい。

0号とプレゼンソフトを持って説得にあるくということになるのだ。そのバックアップがほしいのだが、そこもまたなかなかうまくいかない。

Open PNE @nifty は、なぜかまだ動かない。9月から足踏みなのだ。So-net を検討し始めた。

8月末に若くして急逝された「わーく」第一号編集部員Oさんのお母さんから電話が入った。葬儀のお礼らしい。そう、彼女の文章は、どうしても「わーく」に載る必要がある。障碍を抱えながら、新しい活動に挑戦した気持ちに頭が下がる。どうしても実現したい理由のひとつであるのだ。

The Big Issue 誌の東京事務所と連絡が取れた。茅ケ崎駅頭に立つ方の担当の方に依頼。日程がまもなく決まる。1月下旬。近々に東京事務所にお邪魔する予定。

フラッシュのSuzukaを使い始めている。とりあえず解説チャートを書いて、音声の部分を作り始めた。


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介護は感情を超えていく

2006-12-07 07:16:16 | 引きこもり
昨日から庭に職人が入っている。その職人の間をすり抜けて、朝8時、石油の配達販売業者が玄関ブザーを鳴らした。わずかなタイミング差で、父が応対に急に立ち上がり、あせって廊下で転倒した。恐れていたことが起きてしまった。嘔吐と起き上がることができず救急車で病院に搬送。救急外来で大声で医師を指図する父の声に、体調の心配よりもうんざりするものを感じていた。私達の父への言葉は全く無視されていた。その結果起きた出来事だと思うと怒りも胸の中にあるのだ。軽い捻挫。ただいつもどおり目まいが問題になった。点滴を済ませる間に父は眠ってしまった。私は徹夜状態。点滴パックを恨めしげに眺めている自分。

14時から、私の今後のことについて話しておくべきひとと会うことになっていた。このような形で中断されることに、納得がいかないのだ。母は早々引き上げて、床を整えた後用事を済ませるために東京に向かった。私の仕事は夜だったので、父の付添は私がやることになっていた。父とタクシーで帰宅。嘔吐物の匂いの残る身体を支えて2階に持ち上げ床に寝かす。何回かやってきたことだが、自分の動きが機械的というか実務的になっていることがわかる。

運転手なみに指差し点検。父に携帯電話番号メモを渡し、急いで着替えて、庭の職人に支払いの確認をとり、外に待たせていたタクシーに乗って目的地に飛び込んだ。

こうして約束の時間は数分前到着で守られたが、次の茅ケ崎養護学校の用事を済ませて家に一度戻るころには、日が落ちてしまった。真っ暗な家、真っ暗な部屋。父は暗闇の中で手元灯もつけずに、ラジオを聴いていた。部屋の明かりをつけると消せとどなる。この声は習慣であって、怒りではないとわかっているのだが、腹に澱が残る。他人と話すときにも声の大きな人に好印象を持てないのは、こんなやりとりが影響しているのだろう。

父の状態を確認し、用意しておいたおかずを足して、かゆ膳を出して、相模大野へ。代行授業に飛び込んだ。これもまたぎりぎり。藤沢で乗り換えた後、うかつにも居眠りをして平塚で折り返した。まあこれが幸いして待たずに最終バスに乗れたのだが。

電話の音で目が覚めたら夜中の1時だった。傾聴の常連からの電話だった。終わって2時半。仕事の用事を済ませて4時。父の寝どこ確認をして、メールの応答を書き、Open PNE の本をメモしながら、この文を書いている。

10時には父の診察の予約があり、開業医の診察とリハが16時半からある。送迎を手伝うことにして、母にバトンタッチ。今日は茅ケ崎高校・辻堂図書館巡回、面談を大庭図書館でやる。訪問(学習)指導は日送りした。録音続きは今夜。

今日はここまで。

p.s. "The Big Issue"を購入。東京事務所と連絡を取るが留守。留守電に
   1月講演依頼の日程調整の件を吹き込む。講演会は1月下旬。
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録音は電話に中断されつつ…

2006-12-06 06:42:35 | 引きこもり
一日中、青少年の相談に追われた一日だった。

先ほども明け方4時半ころ、Z君から電話が入った。体調を崩した状態で働き始めた職場が長続きせず、昨日退職願を出した。追い込まれる心にどう接したら良いか、私の体勢整え直しの中、私はZ君の面倒をみているおかしさ。例え、今抱えるふたりと、外勤講師の**人で私の仕事が終わっても、私がのたれ死にするまで、私はこの仕事を続けるし、仕事はやりきっていこうと思う。この最低限の「節操」のうえに、百万の空転を乗せようと思う。ひとはひとのために情熱的になる存在なのだ。

Z君の立てなおしは、細いが一本の道が開けている。話をしていくうち、私の知り合いの話が出てくるので驚く。この道の周辺に先々つながっていきそうな彼のセフティネットが浮かび上がってきた。

**は某私大の推薦枠からこぼれ落ちた。自暴自棄になり友人を殴り怪我をさせてしまった。転倒時の擦過傷が大きかった。学校が警察沙汰を避けたことで、双方のご両親が激しく対立した。私と組んでいる外勤講師★★に非番対応を頼んだ。彼は地元だからだ。電話で親御さんと延々2時間話し込んだ。おかげで「わーく」解説録音はずたずた。やむなし。

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「わーく」のペーパー試作品をもって、知人の今宿の店に立ち寄った。ひきこもり青年がこないからと断られた。それはない、彼が引きこもり青年を知らないだけだ。

帰りにかかりつけの茶屋町の糖尿病開業医のことろに立ち寄る。検査結果は快調、食事療法だけになっていたが、バランスも良好。通院回数を大幅に減らすことに成功。

茅ヶ崎サポセンに立ち寄った。12/20に実務者ネットの懇親食事会参加要請のチラシづくり。完成。一部をやまびこのロッカーに投函。偶数月なので内輪の会。NPOサポートちがさきの情報広場受け持ち配布する分を受け取る。

ハローワーク藤沢の☆氏に、企画転載の許可申請。

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必要と可能性がひとをつなぐ。必要と可能性をどう浮かび上がらせるか、それが問題。私の課題は、後者が優先して進むことになるだろう。

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録音はPCのマイクを使うと冷却ファンのノイズを拾う。音が籠るがメモリー録音のiPadもどきを使った。成功だが、自分の声は歯切れが悪いのがありありとわかる。自分の声はいつ聴いても気味が悪い。まあ良しとしよう。

今日はここまで。

傾聴予約1件あり。今日追加。
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「わーく」のCM・音声版?

2006-12-05 07:05:52 | 引きこもり
父が開業医への転院を嫌がり始めた。糖尿病治療に運動療法が入ったからだ。毎日百歩も歩かない生活をしていれば、糖尿病でなくとも身体に悪い。事実足の筋肉が萎え、立ち上がるときの足の震えは、見ていてもこのままではだめだと思わされる。食器の上げ下げ・新聞の受け取りひとつ自分では、やらない状態を改善しなければ、いずれ近いうちに転倒骨折を起こす。足の前に杖を突き、体重をかける危険な使い方も、全く直さない。頭痛。つまづいて転びやすくもなるし、転倒時、足に杖が挟まれば、たちまち骨折する。医者に情報をFAXし、杖の指導も頼んだ。

訪問指導>町田・自由が丘

(参考)
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●外出しないと歩行障害4倍 高齢者リスク調査(2006年12月02日/朝日)
http://www.asahi.com/life/update/1202/006.html


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Z君の体調が良くない。市立病院に行った帰りに、入社早々長欠した職場の退職手続きを取った。就労時家族ともめることがストレスになっている。転居後の収入確保が問題になりそうだ。ハローワーク藤沢・○さんと連携を取った。

Open PNE のマニュアル本2冊に取り組んでいる。サーバを@nifty のcoocan にこだわるといけないのかと思いつつ、So-net 版への切り替えも準備している。原因不明ほど憂鬱なものはない。

「わーく」の位置づけを、CD-ROM に吹き込むことにした。悪あがきである。DVD の方がいいだろうか。固定画像のスライドショーの背後でしゃべる形。これなら負担は軽減できる。台本をかきはじめた。笑うなかれ。

今日は市役所回り。

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12/3「シンポ:どう変わったの?『自立支援法』完全施行その後」に参加しつつ

2006-12-04 06:08:58 | 引きこもり
昨日は「障害者自立支援法を考える連続シンポジウム~茅ケ崎の明日のフクシをつくり出す~第6回」「どう変わったの?『自立支援法』完全施行その後」があった。90数名の会となった。

茅ケ崎市の障害福祉課からS・Aのおふたりさんの説明。拍手だったのは、「湘南にじ」のOさんの感想。なぜ市の職員が先に説明をして、当事者の話があとになるのかというくだり。配布資料を渡されて私が思ったことをずばり言っていた。この集まりは市の政策説明会ではないはずだ。ダイジェスト版とはいえ、自立支援法施行実務の解説資料がごろりと配布資料に出ていたからだった。問題は法が完全実施されることで、当事者と家族・支援者・事業所が、どのような状態になってきているかということだ。主催者が当事者団体であるにもかかわらず、市の説明会代行になってしまうのは、おかしい。

続いてケアホーム下宿屋のMさんから、Oさんの発言に多少煽られつつ施設の側の現状が語られた。訪問事業との収益格差がこの法律の性格を物語っているということ。サービスにひとを当てはめていく発想のおかしさを事例をあげつつ難点を指摘されていた。Mさんは、就労支援連続講演会にはかならず出て欲しい人物だ。障碍領域の論点がきっちり整理されてすべきことが浮かび上がってくるからだ。

しかし、コメンターから、こうばっさりやられていても、市のA・S両氏は顔色も変わらない。「慣れているな」と、これもまた野次馬的な視線とお叱りを受けそうだが唐突に思いつつ、そのAさんが私の提唱している構想の担当者だという現実にため息もでたのだ。強固な常識は新たな試みを認識できない。私の構想は常識の隙間をぬって、現状の打開の導火線を作っているようなものだからだ。

しかし、この場にいる私は何者なのかとも思う。自閉症スペクトラムや外傷性遅滞・ダウン症の子たちと私は私教育という立場からつきあってきた。不登校・引きこもりの子たちには生活支援の内容に拡張して関わってきたし、家族の中の生死に至る綱渡り崩壊の危機に、プロの顰蹙の眼差しの中、昼夜を問わず介入をし、危機を回避させてきた。だが自分の交通事故入院を境に、素手の状態で、昔フリースクールをやってきた湘南の古巣に戻ってきた。それ以降、私は自分の命を取り留めた代わりに根を失った。中間支援者となったのは、今なしうることを追った結果だ。もとの塾のつてから、紹介された学習困難な子に通信教育を試みたり、一番不安定な深夜時間帯の引きこもり青少年の孤独な語りの傾聴をしたりしているが、私の年齢からすれば「緊急出動」は、体力的にもう長くは続けられないだろう。私が抱えている重篤な困難を抱えた子たちへの支援を、代替させる新たな企画を直結させることは難しいが、回復期(状態は波動があるが)の青少年に働きかける自己脱皮のプログラムが動き出せば、そして彼らの活動があちこちで始まってくれば、重篤な子の状況も影響を受けて変化するだろう。引きこもり青年に見通しがでてくるから、そして社会的認知が変わってくるからだ。だがこれを実現する人の集まりが私にはない。

従来の引きこもり領域の活動は、癒しの発想から抜け出ていない。かたや、経済自立とがんばり奨励の、先祖がえりの愚かしい試みが続いている。不登校・引きこもりの子たちの中に高い確率で重なっている「軽度発達障害の子たちの公的支援」ということを実現目標の媒介に、発達障害児者の支援に広がる地域活動を作りたいと思い、市との協働事業の政策提案型の構想をたちあげた。しかしその構想は、行政の古い委託体質のまま、屋根だけの構想になり私は風化と闘っている。

翔の会S.S.さんとの話の結果、知的障碍を持つ青年とのパイプを断つことにしたから、活動は本来の地元の引きこもり青年を相手に、何らかの方法を模索しつつ、青年を足で集めていかなくてはならなくなっている。来年4月の市民提案型の協働事業構想提案の風船が割れれば、引きこもり青年を結集させる私の中間支援活動は、実質断たれる。残りは重篤な子たちの心身のガードだ。これとて太いつながりの中でやっているわけではない。共産党系の人は私が元過激派であることに一線を引く。その関係者の影響が根強い引きこもり支援活動の領域は防壁の向うにある。彼らの考えの教条的硬さは、引きこもり青年の状況を防戦しはすれ、状況の改善にはつなげられないだろう。私が組んできた人たちは、その政治潮流の中にあり、かつ心の柔軟さを失わなかったひとたちだ。そういうひととはこれからも私は連携するだろうが、今のままでは一般の賛同者は出てこないだろう。しかし、賛同者の輪が広がることを願いつつ、私は、たとえひとりでも愚公の道を選ぶ。ことは何も解決していないからだ。

そんなことを松の実会のSさんの横で、目の前の障害福祉課の薄くなったSさんの頭を後ろから睨み付けて考えていた。ひとりでもやれることはあるはずだ。障碍者とその家族が、否応なくその実情から逃れられないことと比べれば、私のことは所詮ただの節操と片付けられるのかもしれないが、私はこの活動を私の生涯の活動として長年展開してきたのだし、これはこれからもかわらないのだ。

会場で活動報告のパンフレットを私はそれぞれの会の代表に手渡そうとするが、君子危うきに近寄らずで、彼らはすっと距離をおいてしまう。もう言葉は通らないなと思う。それをありありとみてしまう会になった。

会が終わって、私はその足で夕食の買い物を家に置き、再びP君の病院に向かった。担当者のVさんと約束してあったので、退院後の話をしてP君に面会した。落ち着いたP君の表情にうっすら虚無が漂う。薬かなと気になりつつ、病院を出、相模大野の訪問指導を済ませて帰宅した。

このメールを書いている明け方4時、Z君から電話が入った。私を茅ケ崎駅で見かけたようだ。「自殺しそうな感じだったけど大丈夫か」と言われて笑った。この細やかさが自分の首を絞めてしまう。それが引きこもり青年である。「ありがとう」と笑ったものの、茅ケ崎駅ホームから飛び降りた■君(前途ある若者だからと、刑事告発と賠償請求は押さえてくれたけれど)のことをふいに思い出した。■君どうしているだろうか。Z君と電話で話している最中、私の脳裏には彼の顔が浮かんでいた。

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小豆を煮た。半日浸しておいた豆を繰り返し水で煮た。土鍋を使うのだが鍋が割れてしまった。熱湯をあびるところだった。鍋を交換し氷砂糖を買っておいたので、甘味をつけることにした。本来は和三盆糖を加えないとコクがでないのだが、糖尿病では食べられないので、手抜きした。「さてあなたは私の餡子を食べてわかりますかね」とひとりごとをつぶやく。一部は母の口にはいるが、残りは練習用と諦め、ゴミ袋に捨てられる。

12月20日の集まりは、おそらく「来年度の幕引き確認」になると思う。しかし私はずうずうしいが拒否し、ひとりでも提案していくつもりだ。引きこもり者・軽度障碍者とともに就労相談窓口を支える喫茶部をやる話は、すでにかなたに飛んだ。この餡子を出す機会はないだろう。20日に手製の菓子を持ち込むかなと思いつつ、生還策をあれこれ考えている。

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明日火曜日、「わーく」発刊について、「神奈川子ども未来ファンド」にお願いした「支持」をもらうために、説明の場を設けてもらいたいというずうずうしいお願いをするつもりだ。茅ヶ崎市の公的な部課からは「協力」をもらうお願いをする。そのために「わーく」企画申請書をつくる。「支持」や「協力」がないと、ハローワークなどの公共機関が行う諸企画諸研修記事の転載許可をもらうことすら難しいからだ。巡回、まずはここから踏み出していく。

SNS携帯ネット環境のテストは続けていく。家主のいない空き家管理だが、これもまた抱えていく。
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武蔵工大のシンポに参加すれど、トラウマかな?

2006-12-03 05:02:47 | 引きこもり
武蔵工大の横浜キャンパスにお邪魔してきた。ポスト状況論のシンポだったのだが、実はテレコム環境のNOTAについて、携帯ネットとの親和性の件で、洛西さんが参加されていたら相談しようと思っていたのだった。シンポのテーマがばかに武蔵工大好みだなと思っていたら、古株欠席多数で、学生さんばかり。

今までなら、「わーく」編集部活動を推進する意味で若手の皆さんへの参加要請を出すのだが、武藤さんの講演失敗のダメージが尾を引いていた。経過を見てもらいたいメンバーに資料を配り、懇親会を遠慮というか、相模大野に訪問指導を1件入れていたので、早々に退散してきたのだった。

テーマが関心がないわけではなかった。

SFCメディア研究科の岡部大介氏の「ハイブリッドな集合体としての「オタク」」
同、天笠邦一氏の「カメラ付ケータイを利用したワークショップにおける生活者の主体的『まち』構築の試み」

などは興味があったし、特に天笠氏とは隣接地域の活動でもあり、「まちづくり」ではなく「地域のひとのネットワーク」に関心が有った。

しかしいずれも、必要性から構想されないのはなぜだろう。そのプランは面白いがどこに適応させるのだろうとか、無理矢理抽出できる事例を持ち出して見ていて辛いとかいう印象が常に残るのだ。この辺の事情はアドビシステムの山崎 真湖人氏が企業活動の立場からコメントが入り、むしろここに時間をかけてほしかった。

全体に古株相互の議論とはレベルの違う感じで、学生さん向けだったというわけでもないだろうにと思った。

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しかし中川は不便だ。あざみ野から長津田に出て、横浜線に乗換え町田へ。町田で乗り換えて相模大野である。横浜線のダイヤを調べてあったからで、中央林間から相模大野とい
うコースが無難なのだが。遅刻して飛び込みコーヒーをおごらされた。

さて今朝は10時から「自立支援法その後」のシンポがある。茅ケ崎のコミュニティホールなのだが、睡眠時間の戦いになる。今回はこれで終わり。

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1月の講師選択の悩み・講演会は連続で考えて欲しいのだが…

2006-12-02 06:35:17 | 引きこもり
訪問指導>相模大野・旗の台

久々の旗の台。もとの塾のそばだ。地元のようなところなので、知り合いの店で食事をし、結婚した塾生の子どもを見せられた。サルみたいだとはいえない。かわいいねと言って、消化不良のまま店を退散してきた。おっさんじみた奴だったが、すっかりおっさんになっていた。まあ、この脱皮が大事なのだが…。

父の調子がいいので、外回りを重ねた。巡回後、茅ケ崎に戻って床屋に行く。身体を触られるとたちまち眠くなる。しょうもない話だが、理容師の兄ちゃんを困らせてきた。Z君からの電話も入らないし、今日は平和ではあった。

ふたつのpjの1月の講師の件で、堂々巡りをしている。

ひとつはNPOサポートちがさきの福祉PJの講師の件だ。茅ケ崎の駅頭で「The Big Issue」を売っている。関東も、やっと路上生活者生活自立支援活動が始まっている。この冊子の販売収益が収入になる。支援のやり方が面白いので、販売している○○さんと、東京事務所のIさんをサポセンに招待して、話し合ってみたいと思っていた。ところが素直に事は運ばない。○○さんが人前にでることを承知しているわけではないからだ。大袈裟になれば、彼はいやかもしれない。いやいや、年末にハローワークに挑戦すると言っていたから、就職がうまくいったのかもしれない。ともあれ○○さんと会えなくなっているのだ。東京事務所も留守が多い。留守電はついているが状況判断にふんぎりがつかないのだ。

○○さんがいないと、特定の団体を呼ぶことについて、また厄介な議論を生む可能性がある。石頭相手だからしんどい。昨日、結局電話を2回入れたが空振りで終わった。

もうひとつは、就労支援連続講演会の講師だ。SNS携帯ネット環境を使って「わーく」編集部が動き出す。そのツールの研究者、中邑賢龍さんを呼びたいと思っている。だが、今回の武藤啓司さんのように、総スカンを食ったら正月早々地獄となる。ところがテレコム理解者がひとりもいないのだ。編集部に参加したひとも、PCを持っていない。携帯もメール以外ウェブは使えない状態なのだ。最低サポセンのPCがウェブメールを開放してくれればいいのだが、これも禁止。最近に至ってはクッキーを使う掲示板も使えなくなった。清書するにもソフトが入っていないので、定型文書作りしか役にしないのだ。

藤沢市のように市民ネットを構想しているわけでもない。だから私の古いPCを修理してどこかに間借りさせ、行政・サポセンとは関係なく通信端末をつくらないと、役にしないのだ。団体回りをしたが、PCを使える方はいるが、テレコムに関心のある方は皆無。唯一福祉PJ主宰者の岡本さん位だ。岡本さんは、ビジネスネットを張ろうとし、私は市民交流の中に就労支援活動を置こうとしている。岡本さんが無責任と断ずる一般市民・青少年をつなごうと考えている。NPO相互間の連絡網ではないのだ。

だから余計、ネットワークの性格が未経験者に伝えにくいのだ。「わーく」の活動主体は意思ある活動家ではなく、手探りを始めている就労の試行錯誤をしている青少年とそれを外周で別の会話をしつつ見ているネット参加者である。

唐突に中邑賢龍氏を呼んでも、テーマが「コミュニケーション・ツールがもたらす活動の質的変化」だとしても、会場に誰も入ってこないのではどうしようもないのだ。テレコムはただの「便利ツール」ではない。解決しなければならない課題があって、それを追及する過程の延長上にでてきた活動なのだ。ここから引き出される機能を基礎にした展開を考えているからだ。必要もないのに、よりよい状況を生み出すものとして持ち込まれてきたものではないのだ。ここが伝わらない。

携帯電話が日常生活にもたらす劇的な変化は、個人間の空間的な距離が破壊されたことだ。ところがそんなことを意識せずとも携帯電話は使えるし、そのようにして携帯電話は市民権を得て、わずかな時間に生活に不可欠といえるほどに受け入れられていった。始めるが安しかもしれない。

中邑氏は携帯電話のディスプレーを視覚コミュニケーションのツールにしてしまったり、非言語表現を拾い上げたりと様々な諸障碍の支援ツールを開発している。この道具を使って、活動を拡張することを研究されている。

会場は確保したものの、困ってしまった。講師が定まらないのだ。自立支援法関係の方なら会はなりたつだろう。しかし引きこもりの方が引いてしまう。4月の市との協働事業提案に政策提案型の提案を出すには、プランの広がりは網羅しておく必要がある。しかしそれが生きた活動でないのなら、意味がないのだ。

政策会議の委員になった品川裕香さんの話も有った。しかし論点を顕在化する作業は、タイミングをはずしている。「連続」にこだわるなら中邑さんなのだ。ところが「連続」は意識されていない。その都度のテーマの面白さが選択されてしまう。今後は3月に茅ケ崎養護学校進路担当のYさんから問題提起をうけて今年度は終了する。来年度は実例紹介が主になるので、ますます知らない世界を引き込むことになる。就労指導関係者も常識からではつながらないような方もいる。地域に青年活動が根付く契機を組織する活動が「ヤングジョブスポット湘南の『就労しゃべり場』」であるし、その前身ともいえる「わーく」編集部の活動だ。来年度は小集会を小刻みに積む方がいいのかもしれない。例えば諸分野の方に仕事を語っていただいたり、地元小企画を走らせたりすることになるからだ。

今日は武蔵工大で、ひとの活動についての研究者の集いがある。「わーく」の活動がよりインタラクティブな仕掛けを内包したものにできるようヒントを得に行く。

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補足)11月30日に行ったNPOサポートちがさきの福祉PJは、健康麻将の星野朱妃子さんの講演が、開始定刻時、当初役員を除いて0名という凄まじい状態となった。他のPJで星野さんを先に招待して講演したことが決定的なのだが、福祉PJでは、他の活動との接点を探るところに焦点がある。様々な活動をされている方だから、それは可能だったのだが、詳しい話を先に伺っていたわけではないから、事例を掲げて講演をCMすることができなかった。しかし星野さんがどのような活動をされているかを知るという直球ではなく、自分たちの活動と照らし合わせるという変化球を要求していることが、ことをわかりにくくしている。

福祉PJということ自体が、様々な領域の活動の欲求によって接点を形作っているのではなく、トップダウン型の活動だ。市民活動家の研究活動なのだ。ここを忘れるとしっぺ返しがくる。事例を想定しつつ、つかみだしていく作業を荷なっている。

だから最低2名でも事例を蓄積していく覚悟は必要だ。大事なことは「成果を公開していくこと」。分かち合うことだ。

30日は窓口スタッフを引き込んだり、遅刻の☆さんを加えて、後半はヤーコン茶の件やエレガンスネットワークの話で、それなりに盛り上がった。しかし「主婦は社会性が低く無責任にドタキャンする」という話題はいただけなかった。主婦という仕事自身が子育てや親の介護など相手に振り回される「予定は未定」の仕事だからである。だからここは納得できなかったのだ。

以上

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11/28武藤さん講演失敗の中、神奈川子ども未来ファンドへ

2006-12-01 06:50:21 | 引きこもり
昨日、神奈川子ども未来ファンドの助成金説明会に行ってきました。といっても助成金を獲得に行ったわけではありません。

28日の武藤啓司さんの講演会の不調の件で、「わーく」の火が消えてしまうことに歯止めをかけに行ってきたのです。

28日は引きこもり側から、引きこもり青年の地域社会参加としての就労の可能性が開けていることを、事例をあげて立証してもらうことが狙いでした。しかし、ここにも問題が潜んでいます。神奈川県の引きこもり支援活動の主流が「癒し」の発想から抜け出ていないのです。就労は「元気回復した」者の「社会再適合」の「個人的営み」なのです。

引きこもり青年たちの挫折感や社会への違和感から、支援者が社会を見直すことをしていない。かれらは様々な出来事から社会あるいは他者という社会に出会っています。ここで挫折したり関係の取り結びを忌避しています。そこには自閉症スペクトラムの雲がかかっていたり、鬱や喘息・家庭の事情、少数ですが遅滞や内部障害・身体障害・統合失調症など明快な事情を根源とした者もいますが、いじめや粗雑な人間関係への嫌悪など自他共に判断しにくい事情をもつものもあります。この後半の事情に動かされた青年たちは、生活と行動の軸を転換することによって再出発をきることができる方が多いのです。

適切な言葉ではありませんが「坑道のカナリア」の例えのように、ひとの関係の優しさを基準にしているからこそ、社会とは流儀が合わない者たちなのです。これを母子癒着から精神の未成熟の棚に乗せてしまうことがこれまた多いのですが、その生き方を活かすこともできます。一律な健常者像へ病む者を仕向けていくことを指導と呼ぶのかという問題があります。この指導という立場、外部操作の立場から行うかのような立場も問われているのです。

神奈川県の支援者たちの集まりに参加すると、緩やかな隔離とサナトリウムまたはユートピアが描かれます。歪んだ心の是正をし「正常」になったら社会へと返す、その個人的最終儀式のような形で就労が登場します。脳裏の心の歪みを是正するという一見正しそうな筋書きが見落としているものが、「社会」、「時代」という刺身のつま扱いされてきたものです。キャッチボールやゲームが相互関係の中になりたつように、従来の治療のナタでは切れないものが存在します。就労もまたひとの生きていく営みの中に吟味されたとき、ひとはかけがいのない他者のために、ともに生きるために、情熱的につながる存在であることが忘れさられていることがわかります。「糊口を継ぐために」働くという個人的な事情を超えて、その先をデザインしなければ、彼らの疲労の泥沼は続くのです。かけがえのない他者とは、ときに恋人であり家族であり、かけがいのない友人がそこに逢ったとき彼は自分が何者であるかをつかむのだと思います。

ここの部分を支援者の活動は描けていないのです。心の嵐を押さえる活動はあっても、彼の自分探しは偶発的なものになってしまっている、それが実情です。

ならば彼の居場所を据えなおして、社会的な営みを通じてお互いが結びついていければ、ここが彼の次の飛躍を支える場になりでしょうし、ここ自体がその延長でも社会に参加できる活動にもなるそういう構想があれば、その新たな軸の中で様々な事情の方が合流できるデザインだってありえます。そのひとつが「わーく」という「協働マスコミ活動」(非営利企業体)なのですが、この中身はのちに譲るとして、県の引きこもり青年の状況から言えば、企業就労をした者が続かず退職。フリースペースにも戻れずに、行動研修しかしない公共就労相談窓口に彼らがあふれ、限界を感じて再び引きこもってしまうという「引きこもりの高齢化」が急速に進行しているのです。

フリースペースを作り、それを育て様々な活動の枝を茂らせていくというスタイルが県下では進行しています。小田原の「子どもと生活文化協会」・「ライナス」、川崎の「たまりば」、横須賀の「アンガージュマンよこすか」、横浜の「リロード」・「コロンブスアカデミー」や学校法人はありますが、それをなしうる資金的背景を持った所の局部集中が起き、他のスペースは淘汰が進んでいるという状況です。これでは青年無業者・引きこもりの課題には受け皿の量的にも対応できないのです。

ですから、県の就労支援の実例報告とは、残念ながら既存の活動紹介を持って呼びかけを行うということにはならない。つまり新たな活動を立ち上げないとならない状況なのです。県下不登校の調査数だけでも9,300人を超えます。学童期でこれだけの人数がいるのですから、引きこもりの人数、更にはニートと呼ばれる無業者数はただごとではありません。彼らの活動場所、はまり場所を作っていこうという発想が薄いのには危機感すら感じます。

武藤氏は、小学校教員の頃から、「せんせい、あのね」の作文指導や北村小夜さんたちと障害児教育に携わった、私からのレッテルは「人情派」の方です。そこに起きている諸現象の背後に潜むものを論じることより、その子ひとりひとりに寄り添っていくスタイルをもっています。だからこそ、その事例の中に社会からはじき出されるものの情念を通して、社会をみることができるだろうと期待し、丸抱え大樹志向の曼荼羅を見ることよりも実のある論議を期待したのでした。

しかしここまで書いてきても、引きこもり青年をエンジンとした試みを描くことはできても、地域に共に生きるパートナーとして、障碍を持った方との共通の夢へのアプローチが描ききれないのです。この一点について、今回の講演が10名を割るという厳しい状況を生み出している。そう思います。

武藤さんの講演会では、記録的な少なさだったと思います。帰りに叱られましたが、信じられなかったのでしょう。失礼してしまったという思いが背筋を凍らせます。

今回の呼びかけは関連団体・サポセンや推進センター配布メディア・口コミを通じて行いました。しかし引きこもり領域としては、「あんさんぶる(SSW神奈川)」「リロード」「アンガージュマンよこすか」、時期的に前になりますが「カフェ・ドゥ・そうじゃん」、それ以外にはしていません。直前、藤沢市保健所主催の「アンガージュマンよこすか講演会」会場で配布したチラシ位です。あとは圧倒的に障害関係団体に巡回配布しているのです。前者の反応は以前から少ないというかN・M両氏以外は参加がないのです。理由は私が中間支援者だからです。後者は今回非常に厳しい状態でした。出会いが企画できなかったのです。

しかし藤沢の講演会で気が付いたことでありますが、引きこもり者の高齢化、親御さんが60代後半になってきているのです。この方たちにオンラインCMは通らない、デジタルデバイドがそこにあったのです。テレコムと市民活動ルートを除いて、地域に散っている引きこもりの方へのアクセス方法がないことが露呈しました。

横須賀の見学に行ってみてきたものは、この高齢化した引きこもりの青年、元青年たちが書店経営をしたり、朝市をしたり、地元商店を支えているという事例でした。実際に出会えば現実味を帯びるプレ就労的な「わーく」の活動を、引きこもりや障害を持った方々に提案できないジレンマが起きています。

武藤氏は社会押し出しと再対応受け入れの人情派ですから、様々な活動事例を公開してくれるものと期待していたのですが、個人情報の守秘義務のオブラートに包んでしまったので、リアリティに欠くものになってしまいました。また就労を「個人の営みに、くくってしまうことのおかしさ」の事前議論が、かけがいのない他者とともに生きる熱情の部分が誤解され、「労組を作って、個人の弱さを克服する」という武藤さんのびっくり発言になってしまいました。つまり事前の話が全然かみあっていなかった、私のことを政治的人間と判断したレッテルの産物と思います。私は確かに政治の世界をくぐってきた人間ですし、宗教になびかない程度の思想の立場を留保する者です。理念の現実化に行動を置かず、活動の中に理念を見る人間です。しかし私は断じて特定の政治的立場を固執することはしません。基準は生きにくさを抱える人の共感です。ここが誤解されたことへの幻滅感を実は抱いています。

県下引きこもり支援の世界はローカルな世界です。「ヤングジョブスポットよこはま」が、「楠の木学園」が委託をうけて支えていたり、「神奈川子ども未来ファンド」が引きこもり支援諸団体と、「アリスセンター」によって支えられていたりという具合に、地域の講演会の情報は一夜のうちに全体に回ります。

今回私が「神奈川子ども未来ファンド」にお邪魔したのは、「わーく」の発行資金を確保するために2社企業回りをして、「母体の活動がどのような公的支援をうけているか」(信用調査)を問われたからでした。茅ケ崎市の「げんき基金」だけでは、うんといわない。これが引きこもり支援の狭い世間の中で、いずれ助成を申請するつもりでいた「神奈川子ども未来ファンド」への直撃は目に見えている(事実すでに呆れられていました)ため、内容をしぼって懇談会ではなく、「わーく」発行活動のみの「支持」という名前をもらいに行ったのです。同ファンドは助成対象が「週2回以上の地域の場の集い」を持つことが条件ですから、助成金は申請できなかったということもあります。

来年4月、茅ケ崎市は協働事業の民間からの提案を受けます。私の活動をはじめとした「協働まち研」押し出し組の活動はすべて提案するように、NPOサポートちがさき経由で市民活動推進課との話し合いで希望が出ています。しかし、今年の市産業振興課の「協働は委託」発言のように、協働事業提案は政策提言ではありえない、つまり自前で活動を広げその勢いに行政が乗っかるというスタイルです。そのためにはあと4カ月、力をつけなくてはなりません。半官半民の就労支援定点づくり「ヤングジョブスポット湘南」作りを支える当事者の活動をしっかり芽生えさせること。企業就労推進を軸というより、当事者による社会的企業活動の推進、地域に居場所をという障碍畑とは逆のベクトルの活動、ごっこ的ではあるけれど社会参加と労働の再構成を各自が行いうる仕掛け(たとえば「わーく」発刊)を生み出し始動すること、これをやっておきたいのです。屋根を作ってつぶれて「おしまい」というような年度末の悪夢も十分にありえますが、自殺行為であろうと土俵際のふんばり時なのです。

神奈川子ども未来ファンドのKさんと話をしまして、「きわめて難しい話しながら」という条件付きで理事会に上げてもらうことにしました。やるなら先手をということ。助成金ではない、「わーく」に「支持」をくださいということです。

「げんき基金」の話が通用するうちに、「わーく」の企業回り・「ショップ」まわり・公的就労情報転載許可を取り付けます。理解されていないのだから動き出さなければ価値が出ない、そう思うからです。

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