湘南オンラインフレネ日誌

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11/21 鶴嶺高校ボランティア塾「高校生の御用聞き支援」生徒感想への解説

2018-11-22 04:50:48 | 地震津波災害ボランティア
2018/11/21 記
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びっくりした。アクセス数12、閲覧数11。0でもブログは書く。世界中でひとりでも、なさねばならない。共感や連携は望むが頼らない。それが私であるからだ。

今回は、県立鶴嶺高校ボランティア塾の特別授業の中で、高1の子たちに「災害時の御用聞き支援」を託したかった。私の提案は、災害時の「要配慮者(援護者)とその家族」の孤立に手立てを打たなければという思いと、モラトリアムの檻の中で、私を照らす鏡のような「私の現在」から見通す手探りとなる社会的参加の道を拓きたかった。ティーンズは、中高校生であるだけではなく、現在を生きる若人である。不登校や引きこもり経験者は、健常者の壁を見ただろう。その中で社会参加の糸口から、つながりを生み出してもらいたいのだ。

私はここで、提供された40分弱の一本勝負の枠(最後5分は、感想を書く時間に取られる)の中で、災害と被災への予備知識の薄い子たちに、公的保護施策の隙間に抜け落ち、深刻な困難に陥ってしまう「見えない被災者」の存在(自分の家族もそこに当てはまるかもしれない)の自覚と連携を求めるのだ。受動的で補完的存在として身を置く中高生が、周辺参加的探求に踏み出すために、彼らに任せる仕事を置いた。その中に専門職の助手的な「災害時の御用聞き支援」を置いた。

経験は超えられるか…。倫理道徳的な思い込みのガードをすり抜け、ティーンズの心にとどく語りとは。

それには、俗流ではあるが、話題の象徴化と簡素化を心がけた。「避難所生活が無理な人」と語ったが、その「避難所」が通じない。「御用聞き」自身知らない。集団避難と消火活動、避難所運営の手伝いと、瓦礫撤去手伝い以外の集団ではない個人行動という立ち位置の違う活動提案に、彼らは当惑した。

エピソードを多用したが、避難所における聴覚障がい者の困惑、徘徊のある高齢者の場違い行動への無理解。(目配りして、声かけを)手がかりのない床から、トイレに立ち上がろうとする高齢者の傍にいながら、対応できないスタッフ(椅子の効用>スキル自主研修がベター)在宅避難生活の孤立を防ぐ訪問活動これも、なぜ在宅かがわからない。御用聞きは、コンビニができて衰退したが、高齢化社会に向かう中で再評価されている。こんな話が見事空転した。

私からの望みは、「90分じゅぎななた後日の希望者との再会許可」、願わくば「高2」を語りの相手にしたいということだ。

数名、論旨を理解してくれたが、他の子とくらべ、構文が段違いに、しっかりしている。担任がかいたのではと、首を傾げた。

夜間傾聴: なし
(校正1回目済み)

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