湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

3/30&31 目のセカンドオピニオン/夜間傾聴最終日

2021-04-01 02:52:00 | 地震津波災害ボランティア

2021/03/30&31 

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3/30

目の調子が悪い。見える側に白いランドルト環状の輪が複数突然現れて視界を妨害する。大学病院でお手上げなので、開業専門医の予約をとったが、みな午前中。渋々起きて大船乗り換えで、某クリニックに行った。外来の照明を暗くしてあるのが独特の雰囲気だ。(事前に瞳孔をひらくつもり?心理効果?)


大学病院にセカンドオピニオン紹介を求めるのも何だが、わからないのだから、経過引継ぎ記録をしっかり書いてと要求した。案の定専門医紹介は言葉を濁してしまうので、調べておいたクリニック名2箇所で書を作ってもらっていた。(1通は、"内緒で開封"用。<タチ悪し)


クリニックで、それを活かすとは思っていなかったが、やはり1から検査のやり直しが始まり、診断は次回という。脳外科の検査のことはどう解釈したらいいのかと質問。難しいところと応答があった。実はカマ。書には脳外科の話は一行も書いていない。読んでいないなとわかる。


期待せず、次回待ちとした。患者をなめてはいけない。

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嫌がる母をつれていったので、帰りは外食をおごった。時間が遅かったが辻堂で昼食。和定食。まあまあ。


頻繁に発作が起きるので、作業はお休み。不可解な処方だったが、処方された弱いステロイド剤を飲んで、溜まっていた録画ドキュメントを見た、いや、正しくは聴いただ。

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3/31

今日、40年続けてきた夜間傾聴が終わった。自立した効果を提供するものではなく、夜間という医療支援の手薄となる時間帯を補佐し、医療専門職に引き継ぐ仕事だ。もうひとつの特徴は、「命の電話」のように不特定の方の相談を受け入れるのではなく、不登校引きこもりの青少年を受け入れている私の関係した予備校や塾居場所から紹介を受けた方を対象にしていたこと。特に自閉スペクトラム症や鬱のプロフィールをもち、二次障害をかかえ、時間的にフォローしきれない方の支援とした。


必ず家庭訪問し、当人にラポールをたて、医療担当者の話をきいた。


こうした「手に負えぬ」というレッテルを貼られた若者は、孤立して危ない綱渡りのような不安定な状態にあり、私のスタンスの「教育」という枠をはみ出し「医療」との境界にある仕事となった。


彼らは常にオンラインゲームに没頭して苦悩を回避しているわけではない。「自分は一体何をやっているのだろう」と我が身に立ち返り、「魔がさす」というか、明け方に「魔の時間」を持っている。夜が明けて睡魔に身を預けるまでのこわい時間。


リストカットがあったり、オーバードーズが行われる時間帯、ただそばにいる支援が夜間傾聴だった。長い付き合いになると、没頭できる「遠隔学習」を望んだり、新たな道(進学就労等)を探ったりする方もでてくる。私はそれをレジリエンスとかんがえていた。(私へのご機嫌取りという辛辣な指摘もあるが。)自発性に寄り添うが、ここが吹っきれないところだが、彼に合いそうなことを、時に勧めもした。それが「夜間傾聴」。気の遠くなる、時を待つ実践だった。だが、医療の方に引き継ぐ方もあり、時には緊急出動や警察の仲介にたつこともあった。夜の時間の活動は、命と対話することであった。このことは、医療補完活動とはいえ、医療専門職の際に接する反則行動であったのかもしれない。勿論金銭はうけとらない。いわゆる節操は守ってきたつもりなのだが。だから弁明はしない。


細く長く続いた夜間傾聴は、こうして終わる。途絶えたことがなかったことだけが誇りだ。

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昨日、相模原の塾長夫妻から、「我慢できるの」というシビアな慰労の言葉があった。塾長は、まもなく退院する病院からだった。湿気っぽくなくて見事だねと応答した。これからは音訳ボランティアなり、フードバンクや子ども食堂カンパ用食事提供実験なりを夜間にあてる。


では最後

夜間傾聴 なし

(校正2回目済み)


である。


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