2019/12/24 記
--------------
母が、「今日は医者に行かずに、年賀状を書く」と言い出し、またも「火曜災害ミニカフェ」が流会になる危機。
--------------
母が、「今日は医者に行かずに、年賀状を書く」と言い出し、またも「火曜災害ミニカフェ」が流会になる危機。
浜見平の我が家の観音様の##さんに相談。母を連れてくれば、16時位までなら預かってくれることに。
そのあと母の地元医のリハ外来まで車で送ってくれるというので、母に「##さんが一緒に年賀状を書こう」と言っていると白々しい嘘をつき、タクシーで##さん宅に送り込み、私はそのままタクシーでサポセンに乗りつけ、ミニカフェは14時半に滑り込みで間に合った。
リハは13時からやっているので、初めは母をリハに送り込み、そのあと続けて診察を受けてもらい、その後、母は路線バスで駅前に移動、ミニカフェを終えた私と合流する予定だった。わずかな迂回だが、三千円近くが飛んでしまう。冷や汗がでる。
母は嘘がわかっていて、BDプレヤーを抱えてあたふたしている私を、「クリスマスイブに、白髪振り乱して何やっているんだろうねえ」と、息子のアホさ加減を嘆いていたと##さん情報。
火曜災害ミニカフェ、今回で120回を迎える。NHKの首都直下型地震発生時のドラマ「パラレル東京」(DAY1)と、「平成が残した宿題」を紹介した。
同伴者のネグレクトで、対話失敗に終わった懇話会ゲスト福永年久氏。彼の若いころの映像がでてきて、我を恥じ入っていた。福永氏は青い芝の会などの川崎バス闘争で、バスの前に横たわった方だし、熊本の東弁護士も懇話会招待打診したが、交通費支払いができず無念の取りやめとなった。お二人の映像を見ながら、苦い記憶にため息がでてきた。
今回は被災地のお医者さんか、現地の障碍者支援活動をしつつ生活記録を取っていた社会学者、PT、訪問薬剤師さん。現場の語りに接したく腐心している。
しかし高齢者関係が手薄になっている。
---------------
母と日持ちする根菜やレトルトパック・乾麺などを買い込んだ。そこに%%子から電話。「21時過ぎからにしてくれ」と応答し、怪訝な顔の母の背を押しつつ帰宅。そこに教材屋からの留守電。忘年会をしているそうな。
%%子からの電話なし。
サポセンで&&さんと会った。やまゆり園の襲撃被害者家族との緩やかな交流活動をされているそうな。素敵な活動である。親同士の壁のなさがうらやましくもある。
火曜災害ミニカフェ新年版を作りつつ、録画しておいた首都圏の流通革命関連の番組を見ていた。
海外観光客を2倍弱受け入れるために、羽田空港の進入路を禁忌の都市上空通過の北側を使うことにふみきる話、ひとの命を奪ってまで三里塚を取り上げ成田空港を作ったことを忘れまいして。羽田が満杯になったからではなかったか。オリンピックを契機に、首都圏を目いっぱい流通網を効率高度化し、配送網を張っていく画像、渋滞解消のために海底トンネルを掘削していく技術者たちの真剣な表情を見ながら、首都直下型地震が起きたら、一極集中分配型のこの都市改造が経済被害を深刻なものにするだろうにと、息苦しくなる。愚かだ。あまりにも愚かしい。
夜間傾聴:ひとり
(校正2回目済み)
(校正2回目済み)