湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

12/18 世田谷の地域コミュニティー懇談に参加してきました

2019-12-19 06:31:16 | 地震津波災害ボランティア
2019/12/18 記
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母の東京のリハに連れ沿う。母は帰りに区内の友人宅で過ごし、渋谷22時合流で帰宅することに。
私は19時から世田谷の松陰神社前の会場で行われる「シリーズ講演会・コミュニティは『求められていない』/宮定章氏」に参加。久々の熱気ある議論に触発されてきた。
宮定章氏:
認定NPO法人 まち・コミュニケーション 代表理事
 
災害対策活動では地域コミュニティが問われるのは、発災後、外部ボランティアによる支援の波が引いてから、バトンを戻された地元活動の土台整備に入る場面からである。急性期の段階では、活動の既存資産を使い切る混戦の
中に地域組織が登場するが、持久長期戦に脱皮するときに、被災からの回復の力が足る社会的関係性が、議論の俎上に乗った。
 
感覚的物言いで言えば、「まちづくり」と言い出した瞬間に、高所論議で災害弱者は無視される。だからあまり期待していなかったが、やはりここで論じられている「求められていない」とは、「都市型災害の多様性」に基づく「地域連携の難しさ」であり、旧来の地付き生活共同体への回帰強制は、根拠を持たない。テンニース流に言えば、ゲゼルシャフト(機能体組織、利益社会)にゲマインシャフト(地縁・血縁社会)の結束を「絆」と呼んでいる。しかし仮想ゲマインシャフトは的をはずしている。ゲゼルシャフト的な「アソシエーション」(共通の目的をもつ人たちの組織、関連)の中で、整理されるのが現実的であり、地域を論じるときに、既存地域組織は地域コミュニティを支えきれない。八方塞がりになっている。
 
私の発言は、高齢者や障碍者等災害弱者は、困難の集中する層であり、被災者というくくりの中で無視される。災害弱者は少数派・多数派の天秤にはなじまないものであって、常に舞台の奈落に押し込まれてきたもので、災害対策活動の歴史のなかで、地域コミュニティーは、災害弱者にとっては無縁なもの、支援する側、される側ともに「求められていない」ものになっている。ゲマインシャフトともに志向的な解決策は齟齬をおこしているというものだった。
 
小グループ討論では、世田谷の発足時メンバー3人との議論だったが、すれ違いは予想通りだったが、久々に建前論を超えた議論になったように思う。しかし社会学者の高田保馬氏のお孫さんがいらしているとは知らなかった。
 
しかし、他グループから「村八分」は、悪いとばかりは言えないという発言には、びっくり。しょうもない人だ。
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母は時間通りにに私が来ないので苛立っていた。結局茅ケ崎に着いてから外食をおごり納得させることに。しかし、松陰神社前(世田谷区若林)は遠い。2時間かかる。乗り継ぎがいけない。
 
夜間傾聴:なし
(校正1回目済み)
 
コメント
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